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3-4


「李汀緒、改めて歓迎する。あなたも眞の言葉が巧みなのだな」

「ありがとウございまス。ユリアン様ほどでハありません。ですが、勉強はしてマス」

「謙遜も巧いな」


 桜嘉は笑った。


「では、汀緒の持ち込んだ情報を聞かせてもらおうか」


 ところどころ説明が複雑になる部分は俐安の助けを借りつつ、彼は西の情勢を語った。


「――というわけで、どうやら狡蒙の攻勢は弱まっているようですね」


 西石領内への侵入はここ二月ばかり格段に減っているらしい。侵入そのものが絶えたわけではないが、あったとしても組織的な攻撃ではないようだ。


「理由は掴んでいるのか?」


 桜嘉の問いに汀緒は首を横に振り、俐安は眉を寄せる。


「狡蒙内部が混乱しているのか、もしくは大攻勢の前触れかもしれませんね――嵐の前の静けさ、というか」


 それを聞いて桜嘉は、ふふと笑みを漏らした。


「なんです?」


 怪訝な顔の俐安に、桜嘉は言う。


「まぁ前者の可能性が高いだろう。我が国との休戦交渉も前進しているからな」

「なるほど……」


 その後、西石に向かった大眞国軍の働きなどを聞き取って、桜嘉は白虎殿を後にした。


『あれがユリアン様を夫にした女性なのですね』


 二人きりになってすぐにテオが感慨深げに言ったので、ユリアンは笑った。


『正確に言うと夫の一人、だな。それに、もっと厳密にいえば夫というよりは共犯者だ』


 テオはため息をつく。


『ユリアン様、本当に異国の後宮にこもって一生を終えるおつもりなのですか? あなたともあろうお方が……』

『あの皇帝の治世が少しでも長く続くことが、我が国の防衛に必要不可欠だからな。彼女をそばで支え、盟約を破らぬよう監視せねば』

『たしかに大眞国軍の派兵には救われました。国王陛下もお喜びです』


 そうだろう、とユリアンは満足して頷いたが、テオは納得していない。


『ですがユリアン様、私は国益の話だけをしているわけではないのです』


 怒りまじりの言葉にユリアンは苦笑しただけで、すぐに話を逸らした。


『最初は桜嘉様を操って、大眞国を都合よく動かしてやろうと思ったんだが、とんでもなかったな』

『あの女帝はどのような方なのですか?』

『面白いひとではある。女に自由のないこの国で、己の才覚を頼りに玉座を奪いたいという野望を叶えてしまった。まぁその片棒をかついだのは俺だけど』


 くすくすと笑ったユリアンが、ふと何かに思い至って嘲るような笑いを漏らした。


『ただその内実は情緒の育っていない子どもだが』


 温厚な主人の珍しく手厳しい物言いに、テオは内心で首を傾げた。

 ユリアンはすぐにいつもの笑みを取り戻して続ける。


『この国の皇帝のことなど、どうでもいいんだ。フェルゼンシュタインが平安であれば』

『ユリアン様はそんな愛国者ではなかったと記憶しておりますが……。とはいえ、北方の脅威が収まって市場も活気を取り戻しています。これが一時的な平穏で終わらなければいいのですが』


『あぁそうだな』

『それに、アルトマイアー夫人も健やかにお過ごしだそうです。ユリアン様への手紙も預かっております』


 差し出された手紙を、ユリアンはこだわりなく受け取った。


『ありがとう、テオ。あとで目を通すよ』


 その達観した笑みに、テオドールは目を伏せた。


          ***


 鎮星殿でその書状が読み上げられると、堂内に唸るようなどよめきが満ちた。


「これより一年の間、大眞国と我が国の国境を互いに不可侵とすることに、緑覇りょくは王・達阿打たつあだ可汗かがんは同意するものである」


 緑覇とは狡蒙の僭称であり、可汗とはその王。すなわちこの瞬間、大眞国と狡蒙の休戦が成立したのである。


 書状を届けた狡蒙の大使を龍座の皇帝が慇懃に労った。桜嘉帝の正面には御簾がかかり、その言葉が直接大使に伝えられることはない。新帝は男ということになっている。桜嘉が女であると知られれば、狡蒙は眞を侮り、休戦など望むべくもなかっただろう。


 だが、その桜嘉帝の提案によって休戦は実現した。束の間とはいえ、民の待ち望んだ安寧だ。


「さすが新帝陛下だ」

「あぁ、天に選ばれただけのことはある」


 鎮星殿を後にする官吏が興奮を抑えながら囁き合うのを、承固の耳はしっかりと拾っていた。隣にいた承陽もそれを聞いて誇らしげに鼻を膨らませている。


 桜嘉は鎮星殿の後殿で衣服を改めている。その部屋の扉の前に、彼らは護衛として控えていた。


(休戦など、戦に疎い桜嘉様の単なる思いつきだと思っていたのに……まさか本当に実現するとは)


 桜嘉が提案した軍制改革は着実に進み、徐々に機能しつつあるようだ。大きな裁量権を得た北境の将軍たちの躍動も、今回の休戦交渉成立に一役買っているとの噂だった。


「鄭侍郎」

「はいっ!」


 官職名で呼ばれ、承固は反り返る勢いで背すじ伸ばした。


「陛下に話がある。取り次ぎを頼む」


 彼に対応を求めたのは蒼将軍だった。大きな傷が斜めに横切る迫力のある顔で、じっと承固を見つめている。


「陛下のお召替えが済みましたら、侍従にお取り次ぎいたします!」

「うむ」


 承固の返答を受けて、蒼将軍はこの場で桜嘉を待つことにしたらしい。ずん、と佇む将軍の存在感に圧迫される。


 年を重ね、戦場に出ること自体はなくなったが、蒼虎大は今も兵士たちの憧れの存在だ。こうして近くにいるだけで握った拳に汗が滲む。


 その後すぐに衣を改め官服姿になった桜嘉が現れたので、承固が取り次ぐ必要もなく二人の会話が始まった。彼女らは場所を変えてじっくり話し合うことにしたらしい。鎮星殿の隣の楼閣まで警護し、命じられて扉の前を守る役目に専念した。


「緊張した」


 二人が楼閣に入った後、弟の承陽がふうっと息を吐き出した。いつも呑気な彼でさえ、蒼将軍の前では体が強張るらしい。


「情けないぞ、承陽。俺たちは雨林軍の所属だ。誰が相手でも平静でいられなければ陛下の護衛が務まろうか」

「だよなぁ。やっぱ兄貴はすごいなぁ」


 自分の情けなさを棚の上に置いたにも関わらず弟に褒められてしまって、承固は居心地の悪さを感じた。承陽はいつもこうだ。獣のような鋭敏さを持ち合わせているのに、他人の悪意や狡さには疎い。


「……いや、俺も実は緊張していたんだがな」


 告白すると、承陽は「なんだ!」と笑った。冗談だと受け取ったのだろう。玉兎などは「承陽は幼稚」だと手厳しいが、要するに承陽は純粋なのだ。だから桜嘉も彼を気に入って手もとに置くのだろう。


 そういえば、と彼は思い至る。


(桜嘉様は、蒼将軍の前でも普段と変わらないな)


 体格では彼女の二倍はありそうな強面で経験豊富な蒼将軍に対して、桜嘉は少しも気後れする様子がない。


(やはり桜嘉様はすごい……なんというか、すごすぎる)


 承固は改めて主を尊敬する一方で、己の思い描いていた桜嘉像と本人とのずれを、修正しきれないでいた。


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