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「受け入れるさ。狡蒙も一枚岩ではない。こちらが新帝即位をめぐって少々混乱しているように、あちらもきっと荒れている。喜んで受諾するだろう」
「なんでそんなことが分かるんです?」
「勘だ」
桜嘉の不敵な笑みを、ユリアンは胡散臭い面持ちで眺めた。
侍従の玉兎が茶菓子を運んできた。彼女も男装だ。上背も身幅もある彼女には、かつての侍女の姿よりも官服が似合っていた。
「俐安との約束通り西石国に一軍を送るよう、蒼将軍に命じておいた」
「ありがとうございます。蒼虎大将軍といえば先々帝の時代から朝廷に仕える重鎮でしたよね。承諾されましたか?」
「よく覚えているな。渋い顔をしていたが、多少条件を譲歩して押し切った。俐安が入輿に際して大量の銀を貢納したからな。莫大な持参金に対してこちらがケチると国の威信に関わるし、西石国の銀に目がくらんだ三司にも後押ししてもらえた」
三司は財務長官だ。
「なるほど、私の故郷は財政難の埋め合わせに使われることになったわけですね」
「心配するな。必要経費以外は奪わせん」
桜嘉は碗を両手で包んでまろやかな茶の香りを楽しんでいる。
「休戦中に軍制改革を進める。辺境軍の権限を強化し、現地の采配でこれまでよりも自由に動けるようにする」
「それは危険では? 中央の監視が及ばぬ辺境軍の裁量を広げると、彼らが自立し朝廷に牙を剥きかねません」
ふふ、と桜嘉は楽しそうに笑う。
「さすが俐安は頭が回るな。同じことを蒼将軍も憂慮していた。だが心配ない。辺境軍の将には妻子――特に男児の長子を都に置いていくことを命じる」
俐安はぎょっとした。
「人質をとる、ということですか。それでは反発が強くなりませんか」
眉間に皺を寄せた彼の前で、桜嘉は突然身を起こして姿勢をただした。折目正しく膝の上でちょこんと手を重ね、困ったように眉を下げる。
「人質? なんのことです? 辺境で奮闘する将軍のご家族を都で面倒みて差し上げようと思っているのですが……。だって将軍職とはそのくらい大変なことでしょう?」
きょとんと首を傾げた桜嘉に、ユリアンは脱力する。彼女は次の瞬間には豪胆な女傑に戻って笑った。
「――と、すっとぼけて強行した」
「はぁ……桜嘉様は本当に悪辣な方ですね」
「しょせん女、と侮られているうちに、阿呆のふりで決定的な改革を進めてやる」
「劉宰相は桜嘉様の即位を後押ししてくださった、いわば恩人でしょう? そのような方を騙して心が痛みませんか?」
意地の悪いことを言ってみたが、桜嘉は全く意に介さなかった。
「何を心を痛めることがある? 叔父上は私を復権のための手駒にしたのだ。こんなことくらいお互い様だろう」
「はは、桜嘉様にお仕えしていれば、飽きることはなさそうです」
振り回されている大眞国の官吏たちを哀れに思うが、ユリアンとしては故国が守られるならそれでいい。大眞国軍が配備されれば、これまでのように易々と故郷が蹂躙されることはなくなるだろう。実質的な軍事力以上に、威嚇の意味合いも大きい。もちろん眞軍自体がフェルゼンシュタインを脅かすことがないように注視しなければならないが。
「じきに私の腹心の部下も手もとにやってきます。そうなれば西の情勢が詳細に分かるでしょう」
「ほう。故郷に手駒を残していたのか。どうも俐安の従者たちは若くてやや頼りないと思っていたが」
部屋の隅に控えた玉兎が頷いた。
「自由に動きたかったのであえて若輩者を選んで連れてきたのです――口煩く言われるのが面倒で」
「どんな人物か楽しみだ」
桜嘉は立ち上がった。
「近々また訪れる。何かあれば宦官を通して文を寄越せ。恋文に偽装しろよ」
「承知しました」
颯爽と桜嘉は去っていった。卓上には飲みかけの茶と、彼女が手を伸ばさなかった菓子が残されている。ユリアンはのんびりと伸びをした。
主君の寵を競う必要のない妃というものは、なんとも気楽だ。
***
白虎殿を出た桜嘉は、後宮の東、青龍殿に向かった。輿から降りた彼女を、邸の新たな主、蒼雨柳が迎える。
「陛下、お待ち申し上げておりました」
細面で線の細い男だ。中性的な面立ちで娘のように美しく、齢は二十三だという。
「蒼貴妃、お出迎えありがとうございます」
桜嘉も穏やかな笑みを返した。繊細可憐な娘の顔を繕って、差し出された貴妃の手を取る。
即位に際し、それなりの家に命じて後宮に男を召し上げようとしたが、息子を入宮させるという異例の事態に名門氏族は乗り気にならなかった。よって後宮には家柄か為人に問題のある男ばかりが集まっている。俐安はどちらにも該当しないが、金髪碧眼の胡人と子を為すわけにはいかないし、桜嘉は彼を妃とはみなしていない。彼は共犯者だ。
いずれ「皇后」に据えるのはこの蒼雨柳だと、桜嘉は目算をつけていた。雨柳は蒼虎大の息子だ。家柄に申し分はない。これまで数度顔を合わせた感触では人物にも問題はなさそうだった。女だからと桜嘉を侮る態度も見せないし、父の権勢を傘にきた横暴もない。温厚で、ごく常識的な振る舞いができる人物だ。
「ずっと青龍殿に渡りたかったのだけど……即位直後の皇帝とは、どうにも忙しいものね」
「そのお言葉だけで寂しい日々が報われます。ご多忙は存じ上げておりますから、どうぞご無理なさらず」
朗らかに会話を交わしながら、桜嘉は密かに雨柳の瞳の奥を探る。
(後の「皇后」候補……とはいえ迂闊なことは口に出せない)
蒼将軍は古参の臣下で、表情の読めない男だ。彼が実子を後宮に入れた思惑を、桜嘉は掴みかねている。監視だろう、とは思う。だがわざわざ嫡男を送り込むだろうか。そもそも彼は実直な男で、後宮政治に興味があるとは思えない。沐伸の後宮にも蒼家の女は入宮していなかったはず。
「陛下、お疲れのようですね」
澱みなく続いていた会話を雨柳が遮ったので、桜嘉はハッとした。
「ごめんなさい、おかしなことを口にしていたかしら?」
策を巡らせながらも無難な会話を続けていたはずだった。卓上に並べられた夕餉にも手を伸ばしていたし、不審な点はなかったはず。
「いえ、大変失礼を申し上げますが、むしろあまりにそつがなくて、そのことが心配でございます」
雨柳は苦笑した。
「今も当たり障りのない話ばかり」
「まぁ……そうだった?」
不意をつかれた驚きを、桜嘉はとぼけて誤魔化した。
「はい。後宮は陛下のお心をお慰めするところですから、ずっと気を張っていらっしゃるのはいかにもお気の毒で」
とはいっても、と彼はからりと笑った。
「蒼家の男を相手に心を許せという方が難しいでしょうけれど」




