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婚約を破談にしたくて記憶喪失のふりをしたらお相手が「俺も記憶を消す」と壁に頭を打ちつけ始めた。やめてええええ  作者: 黒星★チーコ


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第三話

 けれどコルビー前公爵閣下はその絶叫がまるで聴こえないかのように、私に向かって話を進める。


「悪い話じゃないと思うんだが? こいつ、バーンヒル侯爵家の嫡男だし。見た目もわりといい男だし。剣の腕も強いし、真面目だし……」

「団長! 待ってください! なんでそうなるんですか!?」


 耳まで真っ赤にして抗議するジーグフェルド様。これは鬼のように怒ってる……って事よね。なのに流石は騎士団長と言っていいのかしら。閣下は全く気圧されずにケロリとして仰る。


「いいかバーンヒル。噂を撒き散らしてる連中は、この素敵なお嬢さんと俺がチェスを指すフリをして実は愛を育んでいる、というゲスな勘ぐりをしてるわけだ。執務室(ここ)が密室だからって理由らしい。だが、いくらお前が優秀でも、流石に俺の立場でドアを開けっ放しにするのは危険だろう」


 そうよね……閣下はやんごとなき御方だもの。確か王位継承権もまだヒトケタ以内でお持ちだとか。そんな方の愛人って噂になったのは、私も流石にまずいわよね……。


「しかし、アストン伯爵令嬢と俺とは全くそういう関係じゃない。ただのチェス仲間だ。かと言って噂を野放しにもできない……だから」


 閣下はジーグフェルド様と私をそれぞれ指差す。


「この部屋にいつも居た()()()()()と、アストンのお嬢さんがそういう関係だったって発表すれば丸く収まるじゃないか。な?」

「はっ……」


 ジーグフェルド様は真っ赤なまま、私と顔を見合わせ……そしてギロリと睨んできた。


 そう、つまり、この政略結婚は。

 騎士団長の『お気に入り』の私と結婚することで、ジーグフェルド様は騎士団内で確実にエリートの道を歩むことができる。

 私と閣下は、ジーグフェルド様が護衛に付いている限りは、大手を振って密室でチェスが出来る。

 ……という、表沙汰にはできない取引だったってワケ。


 勿論、こんな馬鹿馬鹿しい取引に彼が乗るなんて、私は最初信じていなかった。コルビー前公爵閣下の(ちょっぴり趣味のよろしくない)冗談だと思っていたわ。


 だから、バーンヒル侯爵家から「クラウディア嬢をぜひともジーグフェルドの妻に」と婚約の申し入れがあった時には、両親も私も度肝を抜かれたの。


「う、うちのクラウディアが……?」


 と、お父様とお母様は気が遠くなっていたし、


「うんうん。姉様のお相手ならジーグフェルド様くらいでちょうど釣り合うよ」


 何故か弟は腕組みをして頷いている。何よちょうど釣り合うって! どう考えても私がジーグフェルド様に釣り合わなくてガッターンって天秤が倒れてるでしょう! 弟の私に対する評価が、身内びいき超えて価値観が歪んでるわ!!


 実際、私と同じように思う人が居たみたいで。「何故あなたなんかがジーグフェルド様と」とか「騎士団長をたぶらかして部下と無理やり結婚する毒婦」なんて匿名のお手紙を受け取ったこともあったわ。


 うすうす、ジーグフェルド様は独身のご婦人方から人気があるのではないかと思ってたのよね。バーンヒル侯爵家は権力も財力もあるし、彼自身は口数は少ないけど、私なんかと結婚しなくたって騎士団での出世は十分に狙えそうだし、それにとてもカッコいいもの……。


 それでも、私もあの日までは、ジーグフェルド様は私のことを好きではないにせよ、この婚約を嫌がってるとまでは思わなかった。

 バーンヒル侯爵家から、カードが添えられた贈り物が定期的に届けられていたから。

 カードにはいつも「素晴らしい花を素晴らしい貴女に」なんて、ちょっと嬉しくなるような言葉が書いてあったけれど。今考えると、きっと彼本人ではなく侯爵夫人か、あるいは家令が気を利かせて贈っていたのでしょうね。


 贈り物は花籠だったり、高級なお菓子だったりということが多かったけれど、夜会用のドレスが贈られたことも一度あったわ。ベースは私の髪の色に合わせたブラックドレスなのだけれど、ジーグフェルド様の髪の色である金色が、刺繍や差し色で派手すぎないように使われていて、とても素敵な品だった。


 そのドレスを着て、ジーグフェルド様のエスコートでとある夜会に参加することになった時。

 ドレスが素晴らしいからか、それともうちのメイドたちがドレスに負けないようにと張り切りまくって厚い化粧を私に塗り込んだからなのかはわからないけど、私はかなり変身した。


「わあ、姉様、月の女神みたいだ」

「ちょっと、それは褒めすぎよ……」


 弟の評価は相変わらずおかしいと思う。

 けれど、今日の私は自分でも別人みたいで、これなら太陽のようなジーグフェルド様の横にいても許されるかも? とちょっぴり自惚れていた。


 だけど、地味な私がいくら着飾ったって、だめなものはだめ。むしろ滑稽で醜いのよ。

 私を迎えに来たジーグフェルド様にお会いした途端、彼は私から目を逸らしたんだもの。


「すまない……急に気分が悪くなった」

「え」

「胸が苦しい。申し訳ないが、とても夜会には参加できそうにない」


 そう言って、さっさと帰ってしまわれたの。最後まで私とは目を合わせてもくださらなかった。

 流石にあの時は心が折れたわ。


 その後、彼はいつも忙しいと言い訳をして、私と夜会を共にすることは無かった。

 私も婚約者無しで夜会に出ても嗤われるだけだと思い、夜会には行こうと思わなかった。

 その間、完全に社交を断つのも流石にまずいかと思い、とあるお茶会に参加したけれど。


「クラウディア様は夜会にはいらっしゃらないの? 婚約者のご友人に紹介していただいたりとか、そういう機会も必要でしょ?」


 おそらくジーグフェルド様狙いだったと思われるご令嬢から、くすくす笑いで嫌味な言葉を浴びせられたりして、嫌な思いも何度かしたわ。


 ジーグフェルド様からは相変わらず定期的にカード付きの贈り物は届くけれど、それだけ。お会いするのも、コルビー前公爵とチェスを指す時くらいだし、その時だってひと言も喋らず(まあ、向こうは護衛のお仕事中だから当然かもね)、私を睨むだけだもの。

 贈り物のお礼を言えば「……ああ」と横を向いてしまう。


 私は表向きは口にも顔にも出さないようにしていたけれど、ジーグフェルド様のお飾りの婚約者なんだと自覚していた。



 ◆



 長い長い夢を見ていた気が、する。

 左手に謎の圧を感じながら、私はゆるゆると目を開けた。

 頭上には美しくも派手すぎない、とても趣味のよい布が張り巡らされて、優雅なカーブを描いて垂れ下がっている。


 最初、私は天国にいるのかと思った。けれど耳の横からグスッ、という静かなすすり泣きが聴こえてきて、ここは現実で、目に入ったのはベッドの天蓋だと気がついた。

 それもかなり高級な。こんなの我が家ではとても買えないわ。きっとバーンヒル侯爵家くらいのレベルでないと……と、思ってハッとする。


「……ここ、どこ?」


 ええと、私は階段から落ちて……もしかして、コルビー公爵家のお屋敷からほど近い、バーンヒル侯爵家に運び込まれたの!?


「クラウディア嬢!? 気がついたのか!?」


 耳がキーンとなるくらい、真横で大声をあげられて、しかも同時に左手もぎゅううううっと握られた。思わず左横を見る。


 そこには私の手をがっちり握ったまま、ベッドの横で跪き、ボロボロと泣く男の人の姿があった。

 金の巻き毛は心なしかペショっとしてるし、同じ色の眉毛は眉尻が落っこちそうなほど下がって、情けないことこの上ない。その下の若草色の美しい目も、高く立派な鼻も真っ赤になっている。鼻からは汚らしい液体が雫を作っていた。


 え、見た目はジーグフェルド様にそっくりだけど絶対違う人でしょ。私の婚約者がこんな姿になるなんて想像できないもの。


「……貴方、誰?」


 あまりにも意外過ぎて、心の声が素直に口からまろびでてしまった。


 ほんとに素直な疑問だったのに。それを聞いた彼の目が……泣き腫らして真っ赤な目が、真ん丸に大きく見開かれて。私、この視線に射抜かれるんじゃないかしらと思うほど見つめられたの。思わず口を噤んでしまった。


 私たちが無言でお互いを凝視しあっていると、一拍遅れて周りから驚愕の叫びが上がる。


「姉様!? 覚えてないの!?」

「記憶がないのか!? おお、神よ!」

「クラウディア! お母様の事はわかる!?」

「……お嬢様! なんてことでしょう!」


 弟も、両親も、メイドも。一斉に私の記憶がないと決めつけた。

 待ってよ、なんでそうなるの!?

 思わず叫びそうになったけれど、今回は心の声を外に出す前に理性がブレーキをかけてくれた。


「あっ……!」


 そして私はひらめいたの。

 これは都合のいい状況かもしれないって!


 私が記憶を失くしていれば、騎士団長とチェスは指せない。つまり、政略結婚としての効果がすっごく薄まる。それなら婚約を解消できる可能性が高いんじゃないかしら。

 もともとジーグフェルド様は私のことがお気に召さなかったのだろうし、渡りに船でしょう?


 婚約解消となれば、記憶喪失した側の私の瑕疵(かし)になるかもしれない。けれど、そのきっかけはジーグフェルド様に「帰れ」と言われたうえに追いかけられて階段から落ちたからなのだし、喧嘩両成敗(?)ってことでお互い半々の責任で手打ちになりそうよね。


 騎士団長とチェスが指せなくなるのは惜しいけど、過去の棋譜を脳内でこっそり楽しめば、まぁ半年くらいはなんとかなりそうだし、ほとぼりが冷めてから記憶が戻ったことにすればいいんじゃない?


「……お母様、ですの? あの、私……わからなくて」

「! ……ああぁ……」


 私の下手な演技でも、十分効果はあったのでしょう。お母様はショックで気が遠くなってしまわれた。


「奥様!」


 倒れかけたお母様を、夜会まで付いてきた我が家のメイドが支える。そこにわらわらとバーンヒル侯爵家(よね、たぶん)の使用人たちが数人で囲み、手当てを始めた。私の胸が罪悪感でちょっと痛む。

 ……痛い。胸だけじゃない。左手が。ぎゅうぎゅうと圧を感じる左手を見ると、まだ目を丸くしたままのジーグフェルド様が私の手を握っていた。


「クラウディア嬢……本当に、記憶がないのか」

「あの……」

「なんだ? 何か思い出したか!?」


 今まで私の前ではしかめっ面をして目も合わせず、言葉少なだったジーグフェルド様が、至近距離でまっすぐ私だけを見つめ、次の言葉を待っている。縋るように。

 なにこれ。今までと態度が違いすぎるわ。この人本当に偽物じゃないの?


「すみません。その、知らない殿方に手を握られるのは、ちょっと……」

「!!」


 彼はパッと手を離す。丸かった目がさらに丸く大きくなり、目からこぼれ落ちるのではないかと思えた。


「知らない……俺を?」

「あ……えっと、はい……」


 ジーグフェルド様(?)は、驚愕の表情で私を見つめたまま、よろよろと立ち上がり後ずさる。


「あぁ……」


 言葉にならない声をあげながら、彼は部屋の角に行った。壁際まで到達するとくるりと反転し、壁に手をつき、柱を見つめるように対峙する。


 次の瞬間。


「うおおお、あぁあ!」


 彼は大きく上体を反らしてから、一気に頭を柱に打ち付けた。

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