第二話
◆
私たちの婚約は当然、政略結婚だ。……たぶん。
たぶん、と煮え切らない言い方をするのは、恋愛の兆候があるからではない。全くない。あるわけない。私は地味で、今まで浮いた噂ひとつなかった女だから。
たぶんのワケは、バーンヒル侯爵家という有力貴族にとって、大した力も持たないアストン伯爵家と繋がることにそれほどの旨味があるか? と問われれば、「否」と答えなければならないから。
敢えて言うなら、アストン伯爵家そのものよりも私個人がコルビー前公爵閣下に大変気に入られている、というところが政治的な理由だと思う。
コルビー前公爵閣下は最近公爵位を御子息に譲り、高位貴族としての第一線からは退いていらっしゃる。けれど、現国王の従兄弟という、やんごとなきお血筋なうえ、武官としてはまだ現役の騎士団長。
四十幾つというご年齢を考えると、こちらも現役を引退してもおかしくないのだけれど、「まだまだ若い奴らには負けんぞ!」と公言されているし、実際に騎士見習いの若手では太刀打ちできない強さをお持ちでいらっしゃる。
何故そんな方に気に入られているかというと。
大きな声では言えないのだけれど、私は『チェス狂い』なのである。
アストン伯爵領は、あまりこれと言って特色の無い領地。その森林地帯で採れる木材は柔らかいものが多く、家や家具には不向きな材質だった。
逆に柔らかいので細かい加工はしやすく、木像や装飾品を作るなら適している。それで、木工細工が主な産出品となったの。
我が家には祖父が木工細工職人に作らせた、素晴らしいチェス盤と駒のセットがあった。
ルークの駒は積まれた石の一つ一つまで彫り込まれ、ナイトの駒は生きている馬のよう。クイーンの駒は女性らしい優美な線と、そして揺るぎない強さを表す冠が彫られている。正に遊べる芸術品と言える逸品。
「はぁ……今日もすてき……」
小さな頃の私はそのチェスの駒が大好きで、毎日眺めて過ごしていた。祖父はそれを大変喜び、早くから私にチェスのルールや定石を教えてくれたし、私もまた、その扱いを喜んで享受した。
祖父と孫のWin-Winな関係が10年以上続いた結果。世の貴族女性が素敵な男性に心をときめかせ、恋に目を輝かせるような年齢に到達しても、私の心をときめかせるのはチェスの新しい手と、美しいチェスの駒だけだった。
社交界には殆ど顔を出さなかった私だけれど、社交というか領地繁栄のためのロビー活動は一応していたと言い訳しておくわ。それもチェス絡みだけれど。
私の腕はめきめきと上達し、今や祖父をも凌ぐようになっていた。だから他のチェス好きな人に誘われれば喜んで相手をする。もちろんその時は領地で一番の職人に作らせたチェスのセットを持参してね。
私とチェスを打った人は、その駒の美しさや手触りに感心し、その場で買い取ってくれたり、木工細工の取引の話を進めるキッカケになったりしていた。
チェス好きの人から次の対戦相手を紹介されて、そこでいい勝負をするとさらに次の対戦相手を……といった感じで人脈を地道に広げて行ったのだけれど、何故かそれが一足飛びにコルビー前公爵に繋がってしまったの。
「やあ、アストンのお嬢さん。よく来てくれたね」
「お、お初にお目に、かかります……」
「ははは、そんなに堅苦しくしないでくれ。今は趣味のひとときなのだから」
そう言われても緊張しないわけがない。相手は超大物だし、ここは王宮内の、騎士団長に充てがわれた立派な執務室。前公爵閣下は執務の合間の休み時間にチェスを指したいからと私を呼び出したのだけれど、休憩時間といえど室内には護衛の騎士もしっかり詰めて居る。
「いやぁ、俺の友人から素晴らしい指し手だと聞いていたが、こんなに若くて綺麗なお嬢さんだとは思わなかったな」
「えっ、あの、違いますっ、そんなことないです……!」
遥かに上の身分でいらっしゃる方に社交辞令でも「綺麗」なんて言われて、私は余計に慌てて挙動不審になってしまった。
こういう時、普段から褒められ慣れてる淑女なら、褒め言葉を受け取りつつも「まあ、お上手ですわね」とか「閣下も素敵ですわ」とさらっと返せるのだろうけど。ああ、恥ずかしい。
それでも閣下は私の失態を不快に思うどころか、優しくフォローしてくださった。
「いやいや、お世辞抜きにそう思うよ。な? バーンヒル」
「は」
騎士団長は、その時護衛として執務室内にいたジーグフェルド様に話を振ったの。
これが私たちの最初の会話だった。
正直、その時の私はちょっとドキッとした。だって彼の姿はまさに騎士の象徴のようだったから。
高い背に厚い胸、ガッシリした顎。一部の隙もない立ち姿。太い首筋に金の巻き毛がちょっぴりかかって見えるところは、ナイトの駒の馬の首と鬣を彷彿とさせた。
けれども彼からしたら、仕事中にも関わらず地味な私に社交辞令を無理やり言わなければならない羽目になったのが、かなり不愉快だったのだと思う。
私を見るなり眉間にぎゅっとシワを寄せ、若草色の瞳は鋭く、表情も一気に険しくなる。
「……はい。とても、お、お美しくて」
……ううっ、すんごい頑張った感がヒシヒシと伝わってくる……!! 無理をさせてごめんなさい!!
居た堪れない気持ちになっている私を笑い飛ばすように、騎士団長は明るく言った。
「ははは、バーンヒルのやつは女慣れしてないもんで、悪く思わないでください。では、早速一局お手合わせ願えるかな?」
「は、はい。喜んで……」
ジーグフェルド様が(護衛の監視で)見つめる中、私はコルビー前公爵閣下とチェスを指した。
流石は騎士団長。現実の戦略を目の当たりにしてきた経験からなのか、大胆かつ隙のない手で攻めてくる。私は彼の攻撃を次々と躱しながらじっと耐え忍び、数少ない反撃のチャンスをひたすら待つ作戦をとった。
「あっ、しまった!」
残り少ないポーンのひとつを盤の奥から二列目に移動させた時、対戦相手は額に手をあてた。次の一手で私はポーンを昇格させ、クイーンを手に入れることが確定したからだ。
「『待った』をいたしますか?」
「……いや、よそう。俺の負けだ」
騎士団長はあっさりと投了し、笑顔をお見せになった。
「いやあ、アストン伯爵令嬢は噂以上にお強い! 最後の一手なぞ、カウンターの一撃で喉元に剣を突きつけられた気分だった!」
「いえ、閣下こそ大変お強くて。今回私は運が良かっただけですわ」
これは謙遜ではなく、本心。私は弱い相手と指す時には失礼にならない程度に手加減をすることもあるのだけれど、今回は一度も手を抜けなかった。
この御方は剣の腕だけではなく、大局を観る目もお持ちなのだわ。
「楽しかった! また是非お相手願いたい」
「こちらこそ、是非に」
それ以来、私は何度も騎士団長の執務室に足を運ぶようになった。私と閣下の実力は拮抗していて、毎回勝ったり負けたりと、かなりいい勝負だったからなの。
私たちは身分や性別や年齢差を越えて、お互いを切磋琢磨するチェスのライバルと認め合っていた。
それなのに、どこからか「クラウディア・アストンはコルビー騎士団長の愛人で、執務室に入り浸っている」というひどい中傷が噂として出回るようになってしまったの。
「まいったなあ……俺はこれでも妻一筋なんだが」
「私、自分が女の身である事をこれほど恨んだことはございません。男に生まれたかったですわ」
「いやいや、それは困る。せっかく騎士団イチの堅物が初めて恋……」
「団長!」
そういえば何故かあの時、ジーグフェルド様が怖い顔で叫ばれたのだったわ。
「え?」
「いや、ははは! なんでもない。しかしどうしたものか……」
執務机の上で両手を組み、更にそこへ顎を乗せて騎士団長は考え込んだ。そうしてしばらくすると「そうだ!」と、ニヤリとなさったの。
「アストン伯爵令嬢、君、確か決まった婚約者はまだいなかったね?」
「はい」
だからこそ、あらぬ噂を生む隙があったとも言えるわね。
「うっすら候補になってる奴もいない? たとえば密かに想いあってる男性とか、片想いしてる相手とか」
「全くおりません」
ううっ、自分で言ってて悲しい。
「じゃあ、ここにいるジーグフェルド・バーンヒルと婚約してみない?」
「は……「はああああ!?」
私の声は、ジーグフェルド様の絶叫によってかき消された。












