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「アリエッタ、あなたとの婚約を破棄する……」
「殿下。大変残念ですが、謹んでお受け致します。それが臣下の義務ですから」
アリエッタは、扇で隠した口元が緩むのを抑えることが出来なかった。
(やったわ!! やったわ!! ついに、婚約破棄よ~~!!)
◇
3年前の侯爵家。
「アリエッタ、今度の茶会は絶対に出席するように!!」
侯爵家の次女として生まれたアリエッタは、大変優れた兄と姉がいた。侯爵家は眉目秀麗、頭脳明晰な兄が継ぐことが決まっていた。
それに美しくて優秀な姉は、公爵子息に見染められ、公爵家に嫁ぐことが決まっていた。そんな優秀な兄と姉を持つアリエッタは期待されることもなく自由に過ごしてきたのだ。
アリエッタは先程まで読んでいた、本をパタリと閉じながら言った。
「お父様、今度のお茶会は王太子殿下の婚約者選定なのでしょう? 私が行く必要はないのではありませんか?」
アリエッタは学園を卒業したら、領地に戻る予定だ。表向きには領主代理としてだが、本質としては兄の意思を領民に伝える伝言係だ。いてもいなくてもいいらしいが、仕方がないから任命してもらえるらしい。(お父様に頼み込んだ)
侯爵家は、王国の酪農を一手に引き受けている領なので、アリエッタは領主代理として牛や馬や羊やヤギと戯れながら、のんびりと暮らそうと思っている。実際、アリエッタは長期のお休みになると領にひきこもっている。
「問題ない」
「問題あります!! お言葉ですが、お父様。私は(自分でいうのも申し訳ないですが)見た目だけは良いのです。もしも見染められてしまったらどうするのですか!?」
現にアリエッタと顔が似ている彼女の姉は社交界デビューの日に公爵令息に見染められ、その一週間後には婚約してしまった。心配するのも当然だ。
だが、父は真剣な顔で告げた。
「おまえはクラリスと違って、肌の色も透き通るような白さではないし、色気もないし、所作に優雅さの欠片もない。貴族令嬢としてモテないはずだ!!」
(……悪意のない悪口は辛い……)
アリエッタは心に傷を負いながらも言い返した。
「お父様の言い分は、わかりました。しかし、それでは尚更私が行く必要はないはずです。大体、成長過程の私に新しいドレスを作るなど税の無駄使いです」
侯爵領は貧しい領ではない。むしろ裕福な領である。しかし、アリエッタの父は常日頃から、質素倹約を徹底している。
「大丈夫だ。クラリスの小さくなったドレスをリメイクする。しかも、そのお金は私のポケットマネーからだ!!」
「な!! 貴重なお父様のポケットマネーなど申し訳無さすぎて益々ご辞退申し上げます」
ああ言えばこう言うアリエッタに侯爵はますます大きな声を上げながら言った。
「全く、強情な娘だ。誰に似たんだ!!」
「私の性格はお父様そっくりだと皆に言われますわよ」
アリエッタの父は「むむむ~」と眉をしかめると、青筋を立てた。
「だいたい王家の誘いを断れるわけないだろう!?」
「仮病を使います!!」
アリエッタの機転の利いた返答に、侯爵はとうとう大声を出した。
「先日の乗馬大会と、剣舞会で優勝しておきながら、そんな嘘がつけるか!! 王家の茶会に行きたくないなら、優勝などするな!! むしろ、そんな目立つ大会に出るな!!」
「それは無理です。私は領地の乗馬クラブの威信を背負って出場したのです!! おめおめとその辺の若者に負けるわけには参りません」
侯爵が右手をこめかみに当てて、溜息をついた。
「若者とな?皆、おまえと同じくらいの歳だがな……」
そして侯爵は、ビシッと人差し指を向けた。
「とにかく、これは決定事項だ!! 出席して我が領から出荷された乳製品でも堪能して来い!!」
アリエッタはそう言われてまるで目から鱗が落ちたようだった。
(そうよ! 王家でどのように乳製品が使われているのか、気になるわ!! こんな機会滅多にないわね!!そうね。その通りだわ。視察に行きましょう!!)
「わかりました!! 生クリームやチーズ、ミルクなど乳製品の行く末を視察してきます」
「視察ではないがな!!」
「頑張りますわ!! 私!!」
侯爵の声は全くアリエッタには届いていなかった。
「いや、待て、おまえは侯爵令嬢なのだぞ?いいか?」
「わかっております。優雅に視察して参りますわ~~!!」
「何度も言うが、視察ではないがな!!」
侯爵はますます大きな声を上げたのだった。