第10話 封印記録
格納庫の灯りは白く、冷たかった。
EXA-01《ハルシオン》が回収され、整備班が外装パネルを外していく。
蓮は機体から降ろされると、そのまま医療ユニットの簡易検査台に座らされた。
「意識ははっきりしてる?」
医療班の声が落ち着いている。
「……問題ない」
そう答えた瞬間、頭の奥が少しズキリとした。
痛みというより、感覚が一拍遅れるような、気持ちの悪いズレだ。
秋庭が端末を覗き込み、はっきり言う。
「時間同期のズレ。軽度です。致命的じゃない」
「視界ノイズは?」
医療班が続ける。
「記録は残っています。神経に直接の損傷はありません」
真壁が腕を組んだまま、周囲に聞こえる声で状況を整理した。
「他船団は接近拒否。危険区域は“立入禁止”で封鎖された。
太平洋船団は――今この瞬間から孤立だ」
誰も反論しない。
それが結末であり、今の現実だった。
蓮は検査台の端を強く握った。
「……観測者は俺を止めた」
「第三の存在は?」
真壁が聞く。
「機体に割り込んできた。
境界に触れた瞬間……時間が飛んだ。
それから観測者が言った。『知ったな。次は選べ』」
秋庭は短く頷く。
「回収データは確保できています。今から解析室で確認します」
十分後。
《オケアノス》の評議室には、太平洋船団の主要メンバーが揃っていた。
オオトリ船団長。副長の真壁。主任解析官の秋庭。
農業区画、工廠区画、医療、治安――各責任者。
席につくなり、オオトリは前置きなしに言った。
「結論を先に言う。
我々は孤立した。だが立ち止まらない」
室内に緊張が走る。
船団長はそのまま、指で机を三度叩いた。
「選択肢は三つある。
一つ。孤立を受け入れ、封鎖区域から離れて航行を続ける。
二つ。回収データを材料に、他船団へ封鎖解除と共同調査を求める。
三つ。要求が拒否されても、我々だけで短縮航路を進む」
治安責任者が先に口を開いた。
「孤立が長引けば、内部不満が増えます。
“見捨てられた”という噂は、恐怖に変わります」
農業責任者が続ける。
「補給が減るのが痛い。
今すぐ破綻はしないが、長期的に持久力が落ちる」
工廠責任者は端末を叩いた。
「部品の融通が止まる。
交換用コイル、外殻材、医療用の精密部材――
相互支援が前提の備蓄がある」
真壁が短くまとめる。
「つまり孤立は“立場”じゃない。生存条件が悪くなる」
オオトリは頷いた。
「だから我々は、データを使う。
――秋庭。現実の数字を出せ」
秋庭がホログラムを展開する。星図と、二つの航路。
「安定航路の場合、到達まで百二十〜百八十年」
「短縮航路の場合、到達まで四十〜七十年」
数字が出た瞬間、部屋の空気が変わった。
七十年なら、今ここにいる大人たちが“結果”に手が届く。
百八十年なら、船団は少なくとも二度、世代交代する。
医療責任者が即答する。
「百八十年は危険です。
世代が二回入れ替われば価値観が割れます。
統治の合意が崩れた瞬間、船団は内側から壊れます」
農業責任者も言い切った。
「閉鎖生態系は百年単位なら維持できる。
でも二百年は“事故が続いたら終わる”」
秋庭は結論を明確にした。
「短縮航路が必要です。
短縮航路がないなら、アルカディアは希望ではなく“先延ばし”になります」
オオトリは静かに息を吐く。
「地球に残った人々は、我々の成果に望みをかけている。
数百年も待てない。
だから――短縮航路を成立させる条件が必要だ」
真壁が蓮を見る。
「お前が境界で聞いた“選べ”は、その条件に繋がってる」
解析室で、秋庭は回収データを投影した。
映像は歪み、音声は欠けている。だが数値は残っていた。
「境界は線じゃない。帯です」
秋庭が言う。
「近づくほど現象が強くなる。時間同期のズレ、通信の乱れ、視覚ノイズ。
そして――境界の奥へ入ると、ズレが戻らない」
蓮が聞く。
「じゃあ、俺は奥に入ってないのか?」
「入っていません。外縁で触れただけです。
観測者が止めたから戻れた」
真壁が眉をしかめた。
「観測者の意図ははっきりしてるな」
蓮が答える。
「越えるな、ってことだ」
秋庭は、簡単な言葉にして整理した。
「境界のルールは一つです。
『越えるな。外縁をなぞれ』
越えたら壊れる。
外縁なら通れる可能性がある」
蓮は拳を握る。
「短縮航路は、境界の外縁を通る航路ってことか」
「その通りです」
その夜。
真壁、秋庭、蓮は深層アーカイブ区画に入った。
扉の前で秋庭が先に言う。
「レイナ博士は境界の条件を知っていました。
ただしログは一度書き換えられています。第三の存在の痕跡と一致します」
端末が起動し、古い記録が表示された。
《DEEP ARCHIVE:E0計画》
《封印記録:航路条件》
映像が流れる。古い船内。古い宇宙服。
そして短い字幕。
《境界を越えるな》
《外縁を沿って通れ》
《越えた者は戻らない》
真壁が言った。
「前の開拓隊が、越えたんだな」
秋庭が頷く。
「越えてしまった。
その結果、人が“人のまま戻れなかった”」
蓮は息を飲む。
「……それが第三の存在?」
「可能性が高い。少なくとも“原因”はそこにあります」
映像の次の場面。
混線した命令。はっきりした言葉だけが残る。
『撤退は禁止』
『成果を最優先』
『越えろ』
そして最後はノイズで崩れた。
秋庭が結論を言い切る。
「当時の権力は隠しました。理由は簡単です。
短縮航路がないと希望が成立しないから。
事故を公表すれば、計画そのものが止まる。
だから失敗を隠し、条件だけ残した」
真壁は苦く笑った。
「人間らしい話だな」
その瞬間、端末の画面が乱れた。
文字が崩れ、映像が反転する。機械が壊れたのではない。
何かが入り込んだ。
音ではない。意味だけが、頭の中に直接入ってくる。
『そのデータを渡せ』
『境界を越えろ』
『お前の機体が必要だ』
蓮は即座に言い返した。
「嫌だ。
お前は人類を助けない。奪って、壊すだけだ」
ノイズが強くなる。
『不完全……やり直し……』
真壁が遮断レバーに手をかける。
秋庭が叫んだ。
「今切ると、記録が消えます!」
「消える前に奪われる方が最悪だ!」
真壁が遮断した。
――その瞬間、空気が軽くなった。
重い圧が消えたのだ。
蓮は分かった。
観測者が、また介入した。第三の存在を押し返した。
だが観測者は何も言わない。
ただ“越えるな”という意志だけが残る。
評議室へ戻ると、オオトリが全員に向けて結論を告げた。
「方針を決める。
太平洋船団は短縮航路の準備に入る。
ただし単独で突っ込む前に、他船団へ交渉する」
秋庭が補足する。
「回収データを要約し、暗号化して送ります。
内容は三点だけに絞る。
①境界は帯であり、越えれば戻れない
②外縁を沿えば短縮航路になる可能性がある
③第三の存在が妨害している」
治安責任者が頷いた。
「それなら、船団内部にも説明できます。
隠しすぎると不満が爆発する。最低限は共有すべきです」
オオトリは蓮を見る。
「蓮。次は“観測”ではない。
航路を選ぶ。
そして、他船団を動かす」
蓮は静かに答えた。
「分かってます。逃げない。選ぶ」
送信用の暗号パケットが組み上がり、通信班が送信ボタンを押した。
数秒後、端末に結果が並ぶ。
《受信拒否:連邦アーク》
《受信拒否:大洋連合》
《受信拒否:――》
蓮が眉をひそめた、そのとき。
たった一件だけ、返信が返る。
《東方同盟:受信確認。会う。条件がある》
オオトリが立ち上がった。
「……来たな」
格納庫の奥で、ハルシオンの装甲が閉じられていく。
白と黒の機体は、静かに待っていた。
遠い星の名は、まだ点にすぎない。
だが、そこへ辿り着くための条件は、はっきりした。
――越えない。外縁をなぞって通る。
太平洋船団は孤立したまま進む。
その希望を守るために――次は、交渉が戦いになる。
第10話「封印記録」 完




