7.線引きの向こう
キット様にも、悩みはあるらしい。
今届いた手紙には、私と同じぐらいの年齢の女性の知り合いがいるそうなのだけど、プレゼントにどんなものを贈ればいいか悩んでいると書いてあった。
昔、誕生日に学術書を送ったら三日ほどほとんど口を利いてもらえなくなったらしい。
そんなものを贈ってくるなんて、クリスみたいだなと思った。二十一歳の誕生日にもらったのは、『よく分かる財政管理』だった。ちなみに、一度も開いていない。
『よかったら知恵を貸して貰えないだろうか。貴女なら、どんなものをプレゼントに欲しい?』
なんでもお見通しなのにこんなことだけは分からないのか。そう思うと自分より随分年上のはずの彼が可愛らしく思えてくる。
何より私は、キット様の役に立てることが嬉しかった。助けてもらって、相談に乗ってもらってばかりだったから、キット様が私を頼りにしてくれたということが踊り出したいくらいに嬉しい。
“貴女”と呼びかけられる度に、ちゃんと対等に扱ってもらっている気がする。
ペンを片手にしばし考えてみる。同世代の女の子なら、少しは気持ちが分かるつもりだ。
花束は、悪くない。誰かがくれた花が部屋にあるだけで、ぱっと気分が明るくなる。
アクセサリーも、いい。
お気に入りのアイテムはお守りみたいなものだ。
ネックレスもいいけれど、着けている間手元がずっと目に入るからブレスレットなんかもいいんじゃないだろうか。
けれど、何よりうれしいのは、自分の為に何かを選んでくれる人がいるということだろう。
相手の喜ぶ顔を考えて選ぶといいと思うと、私は書き添えた。
「いいなぁ。私も誰かプレゼントくれたりしないかな」
無論、そんな予定はない。私は便箋をきれいにたたんで封筒にしまった。
明るい色の花束も煌びやかなアクセサリーも、私の毎日からは遠いものだ。それぐらいはちゃんと弁えている。
「なんだよ、そんなしょぼくれた顔して」
読み終わった本を返しに来てくれたクリスはそんなことを言う。
「私はいつもこの顔だよ」
残念ながら私は年中地味な顔だ、あなたとは違って。
「ふうん」
そう言って、彼が手渡してきたのは花束だった。一体どういう風の回しだろう。
「クリス、これは」
「花。見て分からないの。その目は飾り?」
なんてことはない。いつものクリスだった。たまたま何かのついでに、私にも買い求めてくれたのかもしれない。
「うん、きれいなお花だね」
花瓶に入れて部屋に飾れば、しょぼくれた私も少しはマシに見えるかもしれない。
「そのドレス、色が落ち着きすぎてないか? もっと明るい色にした方がいい」
青い目は、さっきまで私がチュールを縫い合わせていた紺色のドレスを見つめている。デコルテからウエストにかけてのラインが上品で素敵だなと思っているけれど、これは私が着るものではない。
「叔母さんがね、次の夜会に着たいらしいんだけど、その、ちょっとサイズが合わなくなったらしくて。直してるんだ」
「そういうのは仕立て屋かメイドに頼めばいい。あんたがすることじゃないだろ」
「叔母さんにはお世話になってるしさ。結構得意なんだよ、私」
親のいなくなった私とライナスが何とかやっていけているのは叔父夫婦のおかげだ。これでも裁縫の腕には自信がある。
昔一度、クリストファーのCのイニシャルを刺繍したハンカチを作ってあげたことだってあるくらいだ。クリスはもう、そんなこと覚えてもないだろうけど。
「代金は? ちゃんともらってるの?」
「家族からお金なんか取れないよ。これは感謝の気持ちだし」
向かいで銀色の頭が盛大な溜息をついた。
「あんたさあ」
気のせいかもしれないけど、周囲の空気が冷え込んだような気さえする。
「他にもっとすることがあるだろ。そんなんだから行き遅れるんだ」
ぐさっ。
心に矢が刺さる音が聞こえるのなら、きっとそんな音がしたに違いない。美しい顔から放たれる正論にはそれだけの威力がある。
「うん、クリスの言うとおりだよ」
なんだかもう笑うことしかできなかった。彼の言うことは何一つ、間違ってはいない。だから何も言い返せなかった。
はっと、クリスが息を呑む。
尖っていた雰囲気が急に鳴りを潜めて、彼は俯いた。膝の上に乗せた自分の手を、クリスはずっと見ていた。
「新しいドレスが欲しいとかは、思わないの」
「うーん」
欲しいか欲しくないかと問われて、欲しくないと答えたら嘘になる。まったく欲しくないわけではないけれど。
「なんなら、うちで」
「クリス」
その先に続く言葉が分かったから、私はそれを遮った。
「そういうのは、だめだよ」
本の貸し借りはいい。お菓子も多分、いい。花束は……ちょっと分からないけれど。
でも、ドレスは確実にだめだ。これは、線引きの向こうにある。
エステル様には本当にお世話になっている。ライナスがちゃんと貴族学校に入れたのも、クリスのお父様の推薦状があったからだ。
いくら母と仲が良かったからって、これ以上甘えてはいけない。他人に頼っていい領分は、もう随分超えてしまっているから。
「これ以上迷惑かけたくないよ」
私がそう応えると、クリスは俯いたまま動かなくなった。流れた銀髪に覆われていて、どんな顔をしているのかは分からない。
「見せる人もいないしね」
美しく着飾るのはそれを見せたい相手がいるからだ。誰かにきれいだと、思って、言って、ほしいからだろう。
私には、そんな人はいない。
「……例のなんとかっていう侯爵様は」
俯いたまま、掠れた声が言った。
「キット様のこと?」
「そう。そいつは……夜会には来ないのか?」
半分だけ顔を上げて、クリスが言う。長めの前髪の間から睨みつけるような目が覗いている。
「どうなんだろ」
手紙ではそんな話をしたことはなかった。現実に顔を合わせることができないような相手ではないのに、お互いに何となくそういう話題を避けていた節がある。
「聞いてみればいい。なんなら、ドレスの一着や二着や三着、買ってもらえばいいんだ」
「そんなの悪いよ。あと一度に三着は着れないよ」
キット様からすれば、ドレスを仕立てるだなんて造作もないことだろう。ちゃんとした貴族なら懇意にしている仕立て屋ぐらいあるはずだ。
「悪いもんか。中年で悠々自適な独り暮らしで暇つぶしに小娘を誑かして文通してんだろ。むしろそれぐらい出さないと罰が当たる」
いつにも増してひどい言い様である。
この前からずっと、クリスはキット様に対して当たりが強い。知り合いでもないのに、ここまで目の敵にされたらキット様も大変だろうに。
「まだ封筒はあるだろ。次の手紙に夜会とドレスのことを書くんだ」
「はあ」
「いいから」
どうして、私が嬉し恥ずかし綴っている手紙の内容をクリスに決められなければならないのだろう。
仮に書かなかったところで、クリスはそれを知ることはないだろう。だって私が送った手紙を、彼が読むことなんてないのだから。
「絶対だぞ」
けれど、こちらを見つめてくるこの目があまりにも真剣だったから、私は気圧される様にうんうんと頷いてしまった。