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4.何も悪くない

『親愛なるキャロルへ


 結論から言えば、貴女は何も悪くはない。全面的に貴女の幼馴染が悪い。全て悪い。

 貴女はそう、彼を殴ってもいいくらいだ。


 しかしながら、彼も本当はそんなことを言いたかったわけではない、と思う。

 

 この年代の男はみんな、虚栄心と承認欲求が()い交ぜの坩堝のようなものだ。己をいつも持て余しているくせに、一人前に大人扱いされたがる。


 おそらく多分、彼もその夜はベッドにめり込むほどに反省していた、と思う。


 どうしようもない自分自身を滅ぼしてやりたい、というようなこと思っているであろうことは想像に難くなく、何度も壁に頭を打ち付けたくなるほど後悔したに違いない。本当は貴女にきちんと謝罪したい、はずだ』


 四つ年下の幼馴染と喧嘩した、ということを簡単に書いたところ、キット様からはこんな返事がきた。

 さすがというべきか、全てにおいて見解が深い。


 いつもよりは勢いのあるダイナミックな筆致で、文字が綴られている。もしかしたらキット様にも似たような経験があるのかもしれない。


 私と言えば、「何も悪くない」と言われたことですっと胸のつっかえが降りたような気がして、その気持ちを正直に返事に書いた。


 その次の手紙には、『貴女の一番好きな本を教えてくれないか』と書いてあった。色々読んではいるけれど、一番と言われると、少し考えてしまう。


 そこで書斎の上から二番上の棚に置いてある何度も読み返した本のことを思い出した。

 最近は開くことが少なくなったけれど、一番と言えばそれかもしれない。


 私は、便箋を広げてその物語について書き始めた。






「ほら」


 しばらく顔を見せなかったクリスがやってきたと思ったら、珍しく手ぶらではなかった。なんだか可愛らしく包装された箱を持っている。彼がこういうものを持っているのは少し不思議だ。


「なあに、これ」

「あげる。今ドーレブールで一番人気のあるお菓子だってさ」


「へえ」


 私はいそいそとお茶の用意をすることにした。うちには使用人がほとんどいないので、自分で紅茶を淹れて、お菓子を皿に盛り付けるだけだ。


 しげしげと眺めてみる。小さな丸い生地を二つ重ねてあって、その真ん中にクリームが挟んであるようだった。食べたことの無いものだ。


「食べないの」

「はじめて見たから」

「そっか」


 きっと美味しいのだろうなと思って口に運んだら、想像したよりもずっとほろりとそれは崩れた。

 さっくりしていて甘い。そしてとても軽い。何個でも食べられそうだ。


「美味しい?」

「そんなに見られたら食べづらいよ」


 端正な顔はいつもと変わらないのに、何だか少しバツが悪そうに見える。タイミングを伺っているような、そんな。


 ああ、そうか。手紙に書いてあった通りだ。


 きっと謝りたいとクリスも思っているのだろう。お詫びにお菓子を持ってくるなんて、クリスのくせに可愛いことをする。


 ここは私が年長者の余裕を醸し出してあげるべきだろう。あくまで何も無かったかのように振る舞う。それが大切だ。


「美味しいよ、ほんと。ありがとう、クリス」


 私がそう言うと、クリスはそっぽを向いて「そっか」とだけ返した。


「別にあんたの為じゃないよ。母上も食べたいって言ってたから」

「うん、そうだね。でもうれしいよ」


「こういうのが、好きなんだ」

「美味しいお菓子を嫌がる人はなかなかいないよ」


 見た目も可愛いクッキーやケーキをもらって、嫌がる女の子はいないと思う。次の夜会に着るドレスのために食事制限をしているとかでなければ。無論、私もである。


「ふうん」

 そして、ちらりとこちらを見たかと思うと、おもむろに切り出した。


「あんたさ、『花咲く丘の二人』って知ってる?」


「知ってるよ。全巻持ってる」


 というか知っているも何も、キット様に紹介した一番好きな本がそれである。流行っているのだろうか、と思ったところで六年ぶりの新刊がもうすぐ出るのだったと思い出した。


「読みたいんだけど、貸してくれる?」

 クリスが読みたいというのは意外だった。


「いいけど、恋愛小説だよ?」


 クリスは貴族学校に飛び級で入学したぐらいなので、すこぶる頭が良いし色々な本を読んでいる。けれど、恋愛小説を好むようには見えなかった。学術書を読んでいる方が、彼には似合う。


「分かってる」


 ばかにしたくて読むのならやめて欲しいと思ったけれど、応える青の目は真摯だった。私のあずかり知らないところで、何か恋愛小説を読まないといけないのっぴきならない事情でもあるのかもしれない。


「書斎に置いてあるから」

「じゃあ、おれも行く」


 連れ立って書斎に向かって、それが収まっている棚の前に立った。


「ちょっと待ってね」


 上から二番目の棚は、手を伸ばしても届かない。本棚用の台を持ってきて、私はその上に乗った。


「これこれ! すごくいい本なんだよ」


 本を取って振り返ったところで、体がぐらりと傾いだ。


「あっ」


 そういえば、この台は建て付けが悪いんだった。直さないとと思っていたのに忘れていた。遠ざかっていく本棚がやけにゆっくり見える。それなのに、どうしようもできない。


「危ないなあ、もう」


 しなやかな腕が背中から回される。抱き止められて、その胸に身を預ける様な形になる。振り返った弾みで手を置いてしまったら、思いの外しっかりとした胸板に触れる。


「く、クリス」


 台の分の高さを借りて、やっと目線が同じだった。青い瞳と見つめ合う。背が高いことは知っているはずなのに、こんな些細な出来事で実感させられる。


「ほんと、そそっかしいんだから」


 呆れたように溜息を吐くと、クリスは私を台の上から下ろした。そのまま棚に手を伸ばして、するりと、望みのものを抜き取ってしまう。


 彼の手はもう、私の手が届かないものに届くのだ。


「きれいな本だな」


 金箔の施された外函を大きな手がそっと撫でる。


「これは豪華版だから」


 両親に強請って買ってもらったものだ。幸せな時の象徴のようで、見るのが怖かった。だから、あんなにもすきだったお話だったのにわざと高い棚に仕舞い込んでいたのだ。


 けれど、クリスと一緒ならそれも怖くない気がした。


「ここで読んでもいい?」

「どうぞどうぞ」


 書斎のカウチにクリスが腰を下ろす。澄んだ目が物語の中へと落ちていく。昔からそうだ。クリスは集中すると周り音が聞こえなくなる。絵を描いている時もいつもそうだった。


 私も手近な本を手に取って、彼の横に座った。隣にいるのなんていつぶりだろう。時折、ページをめくる音だけが書斎に響く。しんと静かなのに、不思議と息苦しい気はしなかった。


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