4.紳士の振る舞い
「にしても、一番チビのお前が、一番早く結婚するなんてな」
グレッグ君は、顎を上げてクリスを見下ろした。分かりやすく挑発されている、というのは私でも分かる。
「おれはもうチビじゃないけど」
対するクリスは椅子から立ち上がって、切れ長の目でグレッグ君を見つめる。
「何、なんか文句でもあるの?」
その顔は、座っている私からはどんな表情を浮かべているのかは見えない。代わりにグレッグ君の目が私に向けられた。
黒い目が眇められて、一瞬歪んだようになる。
「いや、よっぽど見る目のない女なのかなって、思ってさ」
私は、ぽかん、としてしまった。
なるほど、そう、きましたか。
「訂正して」
呆気に取られる私の隣で、どん、と大きく机を叩く音がした。
「おれのことはなんて言ってもいいけど、キャロを悪く言うのは許さない」
そう、クリスは割と喧嘩っ早いのである。見た目の涼やかさとは、裏腹に。
「え、えっと、私は別にいいから」
慌てて私が立ち上がっても、クリスはチラリとこちらを見遣るだけだ。
「あんたがよくても、おれがやなんだよ」
クリスはジャケットを脱いで椅子に掛ける。そのままシャツの袖口のカフスボタンを外して机に置いた。腕まくりをし、ずんずんと歩いて、グレッグ君のすぐ近くに立った。
「大した根性じゃねえか。キットは昔から殴られるのが好きだからな」
グレッグ君も上着を脱いだかと思うと、無造作にそれを傍らの一人に渡す。
「ねえ、それいつの話してる?」
二人の有り様は一触即発といって差し支えないと思う。
どうしよう。こういう時、どうしたらいいのだろう。さっきうまく収めてくれた眼鏡の彼――ユーイン君の姿は見当たらない。
「あとで泣き言言うなよ」
「そっちこそ」
せっかくの婚約式で喧嘩はよくないと思う。止めないといけないと、分かっているのに。
けれど、不覚にも私の前に立つその背中の広さに一瞬、ときめいてしまった。
そうしてクリスが今にも殴りかかると思ったところで、
「やあ、キャロル。今日は一段と美しいね」
中低音の声が朗々と響いた。それだけでこの人がいるところがまるで演劇の舞台か何かのようになる。
「あ、アラン様」
目が合うとにこりと微笑むアラン様は、今日も辺りの全てを塗り替えてしまえるだけのオーラがある。
残念ながらこれはまだ、グレッグ君にも、悲しきかなクリスにもない。年齢を重ねた大人にしかない風格のようなものだ。
「飾られたどんな花も、君の今の輝きに比べれば霞んでしまうようだ」
そう言って、アラン様は私の前に跪き、恭しく手を取ったかと思うとこの手の甲に口づけを落とした。
「「なっ!!」」
グレッグ君とクリスの声がユニゾンする。二人とも目がまん丸になっている。私もアラン様はこういう人だと頭では分かってはいるけれど、慣れるということはない。
「何してんだよ、おっさん!」
慌ててクリスが声を上げる。その全てがまるで威嚇するように、アラン様を見る。
「それはこっちの台詞だよ」
けれど、アラン様は余裕の態度を少しも崩さない。
「ていうか、なんでこいつがここにいるの」
それには私が応えた。
「その、アラン様は叔父さんの取引相手だから」
「ああ、そういう」
「つまり私はキャロルの正式な招待客ということだ。せいぜい口の利き方に気を付けたまえよ、少年」
クリスが小さく舌打ちするのが聞こえたような、気のせいのような。ただ何かを振り切るように頭を振ったかと思うと、
「お久しぶりです、オースティン卿。お会いできて光栄です」
渋々とばかりにきれいな礼をしてみせる。恐ろしく不機嫌そうではあるけれど、正しい挨拶ではある。
「やあ、クリストファー君。ごきげんよう」
橄欖色の瞳は少しだけ冷ややかになって、クリスを見た。
「にしても妻となる女性を放り出して決闘とは、愚かにもほどがあるんじゃないか。それとも君の一番大切なものは、その小さな意地なのかな?」
クリスは何も言い返さなかった。ただ、左の手をぐっと握りしめた。
「さて、神聖なる婚約式で殴り合いとは、感心しないな」
次にアラン様はくるりと体の向きを変える。その目はグレッグ君にも向けられた。
「なんだとっ」
「紳士にはそれにふさわしい振る舞いというものがある」
拳を作ったグレッグ君にも、アラン様は少しも怯まない。片方だけ口角を上げて、余裕の笑みを作る。
「もっとも、君がぼうやだというなら話は別だがね」
そこで今度はグレッグ君も何も言えなくなった。ここで殴りかかってしまえば、自分は子供だと大声で囃し立てるようなものだ。
代わりに二人は険悪な雰囲気のまま睨み合っている。互いにこのままでは引っ込みがつかないんだろう。
「クリストファー君。こちらにチェス盤はあるかな?」
それを払拭するように、アラン様が問う。
「あるにはありますけど」
「君達、チェスはできるかい?」
「もちろん」「当然だろ」
クリスもグレッグ君も貴族学校に通っていた立派なお坊ちゃんだ。チェスの一つや二つぐらい、容易いことだろう。
「では、そちらを用意してくれないか?」
「……分かりました」
そうして、その場に一つテーブルが設けられる。その上にチェス盤が置かれる。つまりは彼らは殴り合いではなくてチェスで勝負を付けるということだ。
何事かとばかりに招待客がぞろぞろと集まってくる。その中に眼鏡のユーイン君とカイル君もいた。
「え、なに? クリスとグレッグまた喧嘩してんの!?」
「喧嘩じゃない。グレッグはキャロラインを侮辱した。おれには正当に抗議する権利がある」
それを聞いてユーイン君は大きく溜息をついた。やれやれとばかりに頭を抱えている。
「さっきはごめん。一人にして」
クリスは一度私の元に戻って来てそう言った。まくり上げたシャツの袖をきれいに整えてジャケットを羽織り直すと、さっきアラン様がそうしたように私の前で片膝を突いた。
「それは、全然」
「さっさと終わらせてくるから。ちょっとだけ待ってて」
少しためらってから、壊れ物のように私の手を押戴いて額に当てる。それはまるで物語の中の忠誠を誓う騎士様みたいに。
それだけ言い残してクリスは、颯爽と会場の中心のチェス盤に向かった。
「ごめん、ユーイン。キャロのとこにいてやって」
「ああ、うん。それはいいけど」
「クリストファー=ラザフォード」
本当の決闘のように名乗りを挙げて、クリスはその席に深く腰掛ける。長い足を組んだかと思えば、迎え撃つとばかりに尊大に腕を組んで顎をしゃくってみせた。
応えるようにグレッグ君も名乗る。
「グレゴリー=アッシュボトム」
二人ともが座れば、アラン様は朗々とした声で宣言する。
「立会人は私が務めよう」
半ばも過ぎた婚約式のよい余興だと思われたのだろう。小さな熱狂のようなものが広がっていくのが分かる。
「君達が正しく紳士であることを、私も期待している」




