30.私の運命の人
“離れていた時間を埋め合うように、二人は話をした。
起きたことは変わらない。寂しかった気持ちはなくならない。
けれど、それがあったからこそ、今一緒にいられるのだとジェシカは強く思ったのだ。
あの日と変わらず、この丘には一面の花が咲いている。
『おかえりなさい、ロイ』
ジェシカは目の前の愛する人を強く抱きしめた。
私はもう、この人を離しはしない。”
ぱたりと、読み終わった本を閉じる。
顔を上げれば、開いた窓からはあたたかな日が差し込んでいて、静かな湖水地方の風景が見える。ふわりと、風がカーテンを揺らした。
「どう? 面白かった?」
隣に座るクリスは、さらさらと鉛筆を動かしていた。
「うん、すっごいよかったよ」
最高の最終回だった。六年待ったからこそ、様々な困難を経てまた出会えた二人と同じ思いが分かち合える気がする。
「じゃあおれも次読ませてもらおう」
目が合うと、切れ長の目元が少し緩む。いっそ近寄り難いほどに感じる白銀がやわらかになって、彼を彩る。
この人はこんな、やさしい目をする人だっただろうか。
すっ、と鉛筆を持っていない方の腕が伸びてきて、髪に手が触れる。すぐ手が届くほどに彼は近くにいるのだと、思い知らされる。
「どうかしたの?」
訊ねられても、こんなこと口に出して言えるはずもない。
「なんでも、ないよ」
「思ってることがあるなら言った方がいい。キャロは変なところで変な我慢をするから」
急に気恥ずかしくなって下を向いたら、ぽんと頭を撫でられた。
「ちなみにおれは今、かわいいなって思ってたけど」
なんだろう。ぼんやりしていることに定評があるこの頭は、とうとう聞いた言語を自分に殊更都合がいいように曲解するようになってしまったのかもしれない。
「うそ」
「嘘じゃない。おれはもう、考えてることはちゃんと言おうって決めただけ」
「そ、そっか……」
「じゃないとロイみたいなことになるからな。ああいうのはもう、ごめんだ」
確かに、ロイは口が重い。言葉が少ないから二人は沢山すれ違うけれど、そこがいいというか、だからこそ最後の彼の告白が活きてくるわけであって。
「お前が告白すれば終わる話だろって、五回は思ったな」
「それを言ったらおしまいだよ」
恋愛小説においてそれはご法度である。ただこの物言いはひどくクリスらしくて、私は笑ってしまった。
「多分ね、そういうところがジェシカは好きなんだよ」
沢山言葉が欲しい時もある。不安になる夜もあるけど、そういう人だからこそ好きになってしまったのなら、もうどうしようもない。
何が輝いて見えるかは、分からない。それは見つけた人だけの宝物のようなものだ。
それが多分、ある種運命と呼ばれるものなのだろう。
「そういうものか」
「うん、きっとそういうものだよ」
「おれとしては、そういうことなのであんたもさっさと慣れて」
顔はいいけれどちょっとばかし口が悪いことだけが欠点だった幼馴染が、晴れて婚約者になった途端これである。
あれから、アラン様は私との婚約を取り下げた。
けれど、あることを条件に我がスタインズ家への援助を継続することは約束してくれた。
「えっと、えっと」
その条件は、私自身が結婚相手を選ぶことだった。
おかげで、私はこうしてクリスと一緒にいることができる。
もしかして、そうすることで私を守っていてくれたのかな、とも思ったりもする。
ちなみに今はラザフォード家とも取引があるのだとクリスがこの世の終わりのような顔をして教えてくれた。
さて、クリスはもはやつっこみどころが何もない、本物の貴公子になってしまった。
こうなると、私も他のご令嬢となんら変わりない。赤くなった頬を隠したくて俯いていることしかできなかった。
「そ、そういえばさっき、何を描いていたの?」
話題を変えたくてそう言ったら、青い目は先ほどまで向かっていたスケッチブックを睨みつけた。
「ああ、これか」
そんな難しい顔をして、彼は何を描いていたのだろう。
「どうかしたの?」
今度は私が、そう問いかける番だった。
「いや、出来に満足できないだけ」
どうやら自分が描いた絵がお気に召さなかったらしい。きっと上手だと思うのに。
「ちょっと見せてよ」
私が覗き込むと、クリスはすごい勢いで体を捩ってスケッチブックを隠してしまう。
「これは、だめだ」
「え、どうして」
「あんたの絵だから」
そのまま明後日の方向を向いて、ぽつりと零す。
「私の絵……」
ずっと風景を描いていると思っていたのに、そんな。
というかこれだけの絶景を前にして、私を描くこともないだろうに。
「え、だったら余計に私に見せてくれたらいいのに!」
勝手にモデルにされたのなら、それぐらいのことを言う権利は私にもあるだろう。
「いいけど、もう少し上手になってからね」
この返答には覚えがある。いつかのクリスもそう返してきた。
「それっていつ?」
「さあ。おれがおじいさんになるぐらいまでには何とかなると思うけど」
勘弁してほしい。こっちはクリスより四つも年上なのだ。
「その時の私の年も考えてほしいな。普通におばあさんじゃない」
「しょうがないだろ。何回描いても現物に敵わないんだ。おれのせいじゃない」
口が立つ上に素直になってしまえば、相手はもう無敵である。勝てる気がしない。
「もう! クリスのいじわる」
「おれがいじわるなのは別に今に始まったことじゃないけどね」
スケッチブックを置いて、クリスが立ち上がる。
すらりとした長身が私の前に立つ。その手が顎を掬っていって、見つめ合わされる。
「じっとしてキャロ」
首を傾げた私に、クリスはにこりと笑って言う。
「動いたらモデルにならないだろ」
確かめる様に、長い指が私の頬を撫でる。
青い瞳が不思議な光を宿して輝く。頭の先からつま先まで見定める様に、熱を孕んだ目が滑っていく。
「大丈夫。おばあさんになってもきっと、キャロはかわいい」
その目を見れば分かった。彼が今心に宿している、ささやかな企みが。
なんだろう。全部嬉しいのに、どこか悔しくもある。してやられてばかりでは、いたくない。
私も立ち上がって銀色の頭を見上げる。それは少し高いところにあるけれど、届かないほどではない。
その広い肩に手を置く。
「キャロ……?」
そして、これから先にすることを考えて、私はたまらなく愉快な気持ちになる。戸惑いを浮かべる青に、微笑笑みかけてみる。
だって、私の方が先に好きだったんだから。
背伸びをして、私はクリスの頬にキスをした。
未来を望んだ少年と、思い出の中で恋をした少女の話。
ということで、完結です。
キャロとクリスを最終話まで見守っていただき、本当にありがとうございました!!
いいね・ブクマ・評価・感想頂けますと励みになります。
次話に表紙イラストを掲載しております。




