20.ずっと一緒だよ
絶対に見つかりたくなかったのに、クリスはすぐに私を見つけてしまった。同じように、机の下に隣り合うようにして座る。
『母上が探していたよ』
エステル様も当然葬儀には出席してくれた。母と過ごした時間は、私よりもエステル様の方が長い。ひどく憔悴した様子だった。
『ないてるの』
『ないてないもん』
年下の幼馴染の前で、私はひどく“お姉さん”を演じていた節があった。なんでも知っているフリをして、強引に手を引いて、振り回していた。
こんな惨めな私を、クリスには見られたくなかった。誤魔化すように、必死でごしごしと手の甲で涙を拭った。
『そんなふうにしちゃ、だめだよ』
子供の手が私の頬に伸びてくる。その指は、そっと涙を拭ってくれた。
そのあたたかさに触れたらもう、だめだった。涙があとからあとから溢れて止まらない。
ぎこちない手つきで、頭に手が伸びてくる。
私がよくそうしたように、クリスは髪を撫でてくれた。
『悲しいことがあった時は、ないてもいいと思う』
『くり、す……』
自分よりも一回りは小さな背に縋りつく。そうしていないと自分が保てなくなりそうだった。
いきなりのことで彼も驚いたはずだ。けれど、クリスは私を振りほどくようなことはしなかった。
『明日が来るのがね、こわいんだ』
だって、昨日までは何も変わらなかったのに。ちゃんと幸せだったのに。目を閉じてまた開けたら、世界は変わってしまった。
未知のきらめきに溢れていた明日が途端に、ぽっかりと口を開けている闇のように見えて、踏み出すのが恐ろしくなった。
『ずっと今日のままでいられたらいいのに』
そうすれば、こんな悲しい思いをしなくていいのに。ずっと、楽しい思い出の中にいたかった。
『それは、だめだよ』
澄んだ青い瞳は、私の我儘を静かに、けれど強く退けた。
『僕は大人になりたいから。だから、明日が来ないといやだ』
きゅっと、クリスは私の手を握る。
『怖いのなら、僕が幸せな明日を祈るよ』
ああ、どうしてこんな大切なことを忘れていられたんだろう。
いや、違う。忘れていたんじゃない。
『何年だって、何十年だって、キャロの幸せを願うから。だから、そんなこと言わないで』
これは私の根底にあるものだから。思い出すこともないぐらい、深く結びついていたから。だからだ。
『ねえ、クリス』
『なあに』
『じゃあ、クリスはずっと、私と一緒にいてくれる?』
もう嫌だったのだ。自分の前から誰かがいなくなってしまうのが。
『うん、いるよ』
決して大きな力強い手ではない。それでも、確かな命綱のように私を繋ぎ止めてくれた。
『僕がずっとキャロのそばにいる。ずっと一緒だよ』
アラン様の言った通りだ。
ちゃんと一番近くに、私の青い鳥はいたのだ。
私がそう願ったから。だから、彼は応えてくれた。
また、足音がする。今度は、しっかりとしたブーツの音だ。
そうだ。彼はいつも、私を見つけてくれる。
呆れたような溜息の後に、クリスは言う。
「あんたはいつもそこにいるね」
私でさえこれだけ窮屈なのだ。あれだけ背が伸びた彼はもう、ここには入れないだろう。ただ机の前に立っている。
やっと分かった。
――明日の貴女が幸せでありますように。
あの言葉をくれた人。私の幸せを、ずっと願ってくれる人。
「……クリスがキット様だったんだね」
机の上で、困ったように笑う気配がした。
「気付くのが遅すぎるんだよ」
「うん、遅くなってごめん」
けれど、私だけが悪いということはないと思う。
「だって、クリスがあんなきれいな字を書けるだなんて思ってなかったから」
あのサインとは似ても似つかない字だったと言えば、「ああいうのは読めないように書くのがいんだよ」とクリスは笑った。そういうものなのだろうか。
「おれはなにも嘘は書いてない。あんたが勝手に妄想を繰り広げて、素敵なおじ様だとか盛り上がっていただけ」
そう、思えば手紙の内容に嘘は何一つなかったのだ。
絵を描くのが好きで、湖の近くの別荘を持っている、高位貴族の男性。
クリスはその全てにきちんと当てはまる。
「あんなに分かりやすく便箋まで買ったのにさ、全っ然気づかないんだから。本当、どうしようかと思ったよ」
けれどどうしてこんな、もったいぶったことをしたのだろう。
「なんで、教えてくれなかったの?」
文通がしたいのなら、そう言ってくれればよかったのに。
「あんたはおれのこと、弟みたいなものとしか見てなかっただろ」
ぶっきらぼうに吐き捨てるように、クリスは言った。
「いつまで経っても、あんたにとっておれは、ライナスの延長みたいなもので。それがずっと嫌だった」
いつも淀みなく言葉を紡ぐ彼には珍しく、ぽつりぽつりと、こぼれ落ちる様に話した。時折照れ隠しのように、ブーツの爪先が床を叩く。
「だから、年下だとか幼馴染だとか、今までの関係性を全部取っ払って、ただのおれとしてあんたと関われたら。そしたら、何か変えられるかなって、そう思ったんだ」
それが、キット様が生まれた理由。
思えば、手紙の中の彼はとても素直だった。思いのままを真っ直ぐに伝えてくれた。
「まあでも、おれも気付かなかったからおあいこだな」
ぱさりと何かを広げる音がする。
「『親愛なるクリストファー様。寮生活には慣れましたか? 私は変わりなく過ごしています。庭の芍薬の花が咲いて、とてもきれいです』」
打って変わって朗々とした声が、何かを読み上げ始める。
なんだ、これは。
「えっ、ちょっとそれ何!?」
慌てて机の下から出ようとしたら、強か頭をぶつけた。やはりいい年をしてこんなところに潜り込むべきではなかった。




