2.親愛なるあなた
結局何回かやって来たエステル様の誘いを断ることができなくて、私は文通を始めることにした。その時にはもう、私自身結構な興味が湧いていたせいもある。自分で払うと言ったけれど、聞き入れてもらえず料金はエステル様が出してくれた。
店を訪ねて手続きをしていると、真っ白い紙を一枚手渡された。いくつかの項目が書かれている。これが例の要望書か。
エステル様の言葉が蘇る。
――運命の相手を手に入れるのよ!!
一瞬、そう書いてしまいそうになった。さすがにこれはちょっと夢見がちがすぎている。私が十代の女の子なら、まだ許されたかもしれないけれど。
その後まったく手が進まずにいたら、店員の方が気遣うように私を見た。
「他の方は、どんな風に書かれていますか?」
ギンガムチェックの制服を着た彼女がにっこりと笑って答えてくれる。
「年齢や性別、ご趣味などを細かくご希望される方もおられますし、特にご希望がなければこちらで適当な方をお選びすることもできます」
完全にお任せもできるのか。だったらそれでいい。まるでサイコロを転がすようで、しっくりとくるような気がする。私は要望書に『お任せ』と書いた。
「お名前はどうされますか?」
本名でもいいが、文通用の名前を名乗る人も多くいるという。やんごとなきご身分の方なら、本名を名乗れない場合も当然多くあるだろう。
考えた末に、“キャロル”と書いた。愛称のキャロでも本名のキャロラインでもない、その間ぐらいの名前。
「こちらが文通用の封筒になります」
そうして渡されたのは真っ白な分厚い封筒だった。三通分あって、どれもAのエンブレムが刻印されている。この文通屋を象徴するようなものなのかもしれない。
「こちらの封筒にお相手にお渡ししたい便箋を入れてください。当店の封筒に入ったもの以外はお引き受けできません」
「三通以上出したい時は?」
「追加で封筒をご購入頂けます」
店先で同じ色の封筒が売られている。何の変哲もない封筒にしてはなかなか強気の値段設定だ。そこで、私はこの商売の構造を理解した。
文通屋の料金自体はそこまで高くない。けれど、気が合った相手と交わす手紙の数としてはひと月三通は少し少ない。相手が理想の相手であればあるほど、手紙の数は増えるだろう。よくできているなと思った。
「一週間以内に、お相手の方から手紙が届きます。お気に召さなければ違うお相手をお選びすることも可能です」
私も、そんな風に頻繁にやり取りをしたいと思えるような人と出会えるだろうか。
もし本当に運命なんてものがあって、それが当然のようにこの身にも与えられるのだとすれば、どれだけいいだろう。
そんなことを考えながら、私は文通屋を後にした。
最初の手紙が届いたのはきっちり一週間後だった。
文通屋の手紙は、かの店の制服を着た配達員が届けてくれる。私が持っているのと同じ封筒が手渡される。
ペーパーナイフでそれを開いた時、とてもいい香りがした。
便箋のほかに丸い厚紙のカードが入れてある。すん、と匂いを嗅いでみる。香りの源はこれか。
おそらく香水かアロマオイルのようなものを染みこませてあるのだろう。どこからどう考えても大人の嗜みだ。私なんかでは到底思いつかない。さわやかな柑橘系の香りと、そして奥行きと甘さのある木々の匂い。なぜだろう、少し懐かしい気がする。
しばしの間その香りに酔いしれた後、私は便箋を開いた。
『親愛なるキャロルへ』
別になんてことない手紙の書き出しだ。けれど、それもキャロルという見慣れた名前も、輝いて見えるほどに整った筆跡。
“キット”というのが相手の名前だった。おそらく彼も私と同じで、愛称や本名をもじった文通名を名乗っているのだろう。
自己紹介は簡単なもので、男の人であることぐらいしか分からなかった。年齢も職業も記されてはいない。単調な生活に張り合いが欲しくて文通をはじめたけれど、どんなことを書けばいいのか分からない。そんなことが美しい字で綴られている。
けれどそれで十分だった。この字を見れば分かる。ちゃんとした教養のある本物の貴族だ。しかもうちのような倹約家ではなくて、それなりに高位でお金持ちの。
何より一番私をときめかせたのは、この手紙の結びだった。
『明日の貴女が幸せでありますように』
それを読んだ時、頭の奥がぐらりと揺れるような心地がした。
”貴女”だなんて、誰からも、言われたことはなかった。
ただの黒ではない、青みがかったインクで書かれた文字を、指先で撫でた。レースのようなエンボス加工のされた便箋はしっとりと触り心地がいい。皺が寄らないようにそっと、私は便箋を抱きしめた。
彼がどれほどの思いで、これを末尾に添えたのかは分からない。誰にだって書いているただの定型文なのかもしれない。
この世界に少なくとも一人は私の幸せを祈っているくれる人がいるという、その証。
たとえ明日がどんな日であっても、この言葉とともに生きていける。そんな気がした。




