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【完結】拝啓、愛しの侯爵様~行き遅れ令嬢ですが、運命の人は案外近くにいたようです~  作者: 藤原ライラ
第一部:私だけの物語

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17.この曲の間だけ

 長く社交界から距離を置いていたから、人の視線にはなかなか慣れない。


「みんなあなたに見惚れているだけですよ」


 アラン様はそっと私の手を取ると、ゆっくりと喧騒の中を歩き出す。


 ああ、どうしてあの髪はあんなに目立つのだろう。

 煌びやかな照明に、やわらかな癖の銀髪が煌めく。私は途端にその色から目が離せなくなってしまう。


 背が高いから令嬢に囲まれていてもすぐに分かる。あの人の輪の中に彼の婚約者もいるのだろうか。


「クリストファー様、ご婚約を申し込まれたというのは本当なのですか?」


 令嬢の一人がそう訊ねた。クリスはその問いには答えず、そうだとも違うとも取れる、曖昧な笑みを浮かべていた。


「どのような方ですの?」

 クリスの目がすっと細められる。


「ずっと憧れていたというか、おれにとっては手の届かない高嶺の花のような人でした」


 その青い目は婚約者の姿を映しているがごとくに愛おしげだった。対して、私は水でも浴びせかけられたかのようにはっとした。


 小さい頃から近くにいたのに、クリスにそんな風に思う人がいただなんて、考えもしなかった。いつもクリスに言われていた通りだ。私は本当にぼんやりしている。


「キャロル」


 艶のある低い声に名前を呼ばれた。同時に、腰に手が回されてぎゅっと引き寄せられる。こつん、と逞しい肩に頭が触れて、寄りかかるような体勢になった。


 ふわりと、アラン様の香水が香る。

 神秘的というか、大人っぽいようなそんな香り。手を繋いだり肩を抱かれたりしたことはあるけど、こんなにぴたりと体が密着したことははじめてだ。なんだか無性にどきどきして顔が熱くなるのと止められない。


「もうすぐダンスが始まるよ。行こうか」


 言うが早いか、アラン様はするりと歩き始めてしまう。私一人だったら、このままずっとクリスの話を聞いてしまっていたかもしれない。そしてきっとショックを受けたはずだ。だから、アラン様がこの場を立ち去る理由をくれたことに感謝した。


 しかしながら。


「あの、アラン様」

「どうしたんだい、キャロル」


「私、その、ほとんど男性の方とダンスを踊ったことがないんですけれど」


 没落寸前とはいえ、これでも令嬢の片隅にはいる身なので一通りの教養の範囲内としてダンスのレッスンは受けたことがある。ただ、実際に夜会で踊ったことはほとんどない。私にダンスを教えてくれたのは家庭教師(カヴァネス)だった。


 それも随分前の話だ。ちゃんと踊れる自信もない。うっかり転んでアラン様に迷惑をかけてしまったらどうしよう。


「それは光栄だな」

 そんな私の心配とは裏腹に、アラン様はひどく嬉しそうに笑った。


「え?」


「こんなに可憐な方と踊る権利が私だけに与えられるとしたら。私はその幸運に感謝しなければならないね」


 そのまま恭しく私の手を取り、意味ありげに片目をつぶってみせる。落ち着いた声音とその仕草の軽妙さに胸を奥がきゅっとなる。これがときめきというやつだろうか。


 手を握ったまま、ホールドの姿勢を取る。そのままゆっくりと、ワルツが始まる。


「肩の力を抜いて、キャロル」

「は、はい」


 まるで氷の上にいるかのようになめらかなアラン様の足さばき。かといって、独りよがりということはない。ちゃんと私に合わせて、ぎこちない動きもうまく隠してくれている。彼のリードは完璧だった。


「上手だよ。ちゃんと踊れているから大丈夫」

「ありがとう、ございます」


 ふと、思う。


 私はクリスとダンスを踊ったことはない。一緒に夜会に出たのは先日のがはじめてだった。

 あの夜会で王女と踊るクリスのダンスを、私は遠目から見ているだけだった。


 ほんの少しだけ夢を見てみる。クリスはどんな風に、私と踊ってくれるだろう。


 そもそもダンスは一人ではできないものだ。相手がいて初めて成り立つものを、彼は私とともにしてくれるだろうか。


「あっ」


 そんなことばかり考えていたら、足がもつれた。こんなに踵の高い靴を履いて出歩くことなんてほとんどない。体勢を崩して地面に吸い込まれるように、体が傾ぐ。


 背中に回った手に、ぐっと力が入る。まるで抱き締められるように、確かな胸板に飛び込んでしまった。


「一曲でいい」

 耳元で、アラン様が囁く。


「この曲の間だけ、私を心に置いていただけますか」


 私にしか聞こえない、微かな声。

 秘密を共有するのは、まさしく親しい間柄だ。

 なんだか本当に恋人同士のような気がしてくる。これも全て策略のうちなのだろうか。


 私は少しずつ、アラン様に絡めとられている。この手を離すことができないように、私は彼から逃れることができない。そんな気がしてくる。


 心が見えなくてよかったと思った。

 だって、見えてしまったらもう否定ができない。


 ゆるやかに流れるワルツが終わるまでの間、私はアラン様の手を取りながら、結局のところずっとクリスのことばかり考えてしまっていたのだから。



 *



「どうだ、キャロライン。オースティン卿とはうまくいっているかい?」


 あまりうまくいっていなかった叔父の事業に対して、アラン様は破格と言える額の資金援助と的確な助言をしてくれている、らしい。

 正直私の目から見ても、おおらかでのんびり屋の叔父にはあまり経営の才があるとは言えなかった。人伝てに聞いた話では、叔父はそういうことは兄である私の父に任せっきりだったそうだ。


 ずっと暗い顔をしていた叔父が上機嫌なのを見るのは、嬉しい。


「はい、叔父様。来週にはお屋敷に来るようにとお誘いを受けています」


 だから、きっとこれでよかったのだろう。


「そうか! ならそろそろ婚約となるかな。そういや、お前にまだ見せられていない身上書があったんだが……どこだったかな」


 結局家を出る時まで、叔父はその家の名前を思い出せないままだった。


 一人になって、机の前に座る。

 アラン様は決して悪い方ではない。けれど、真に婚約するとなれば明らかにしておきたいことがある。


 もらいに行ったけれど、使っていない真っ白な封筒。買い求めたけれど、何も書いていない便箋。私が返事を出さなかったからなのか、キット様からも手紙は来ていない。


 刻まれたAのエンブレムを指先でなぞってみる。


 私が夢見た、理想のおじ様。

 それは実在しない、言わば湖に映る月のようなものだった。手を差し入れて水面が揺らめけば、消えてしまう。そんな儚いものだ。


 けれど、本当に存在するとしたら。

 確かめなければならないのだ。

 たとえそれが、どれだけ無粋な行いだとしても。


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