14.一変
次の日から私を取り巻く状況は一変した。
「お前に山のように縁談が届いているぞ。しかも、ほとんどがうちより格上の家からだ」
珍しく上機嫌の叔父が我が家にやってくる。最近では、うちに来る回数もめっきり減っていたのに。
踊り出しそうなほど、その足が弾んでいた。
なんでも、夜会で私の姿を見た方々から縁談が舞い込んだのだという。
「にしてもうまくやったな、キャロライン!」
「はあ」
机の上にばさりと、書類が広げられる。婚約を申し込む際に送る身上書だ。
一番上に置いてある身上書を開いてみる。書類には、伯爵令息と書いてあった。肖像画の顔立ちも悪くない。こんな立派な人が、私に一体何を見出したのだろうか。
心が、ちっとも躍らなかった。
何かの間違いではないだろうか。もしくは、誰か別の令嬢と人違いをしているか。前に出た時は誰も私のことなんか気に掛けなかったのに。
侯爵家の侍女とエステル様の“支度”はさすがだということなのだろうか。
そして何より、キット様が選んでくれたあのドレスのおかげだろう。
「お、オースティン卿のものもあるぞ! あの方は爵位は男爵だが、事業に成功してたんまり資産があるとの噂だ!!」
アラン様からも婚約の申し込みがあったのか。描かれていた肖像画は、確かにあの夜会で目にした彼の容姿と寸分違わない。
キット様からの手紙に、私はまだ返事をしていない。
彼がもし、私が想像した通りにアラン様なら、と思うと今までのように手紙を綴ることができなかった。
それに、他のことで頭の中がいっぱいだったせいもある。
『おはよう、キャロライン』
夜会の次の日、朝食の席で顔を合わせたクリスはいつもと何も変わらず、平然と話しかけてきた。
『おおお、おはようございますっ!?』
『なに、変な顔して』
彼は、とてもいきなりキスをしてきたとは思えない涼やかな顔をしていた。そして、珍妙なものでも見る様に私を見つめた。全部あなたのせいだと言ってやりたかった。
男の人は、何を思ってあんなことをするのだろう。
私にはよく分からないけれど、あれも挨拶みたいなものなのだろうか。それとも、もっとほかに深い意味がったのだろうか。
考えても考えても、答えは出ない。
いっそ手紙に書いてみれば、聡明なキット様は答えを教えくれるかもしれないと思ってやってみたりもした。
『男の方はどんな時に女性にキスをしますか』
けれど、便箋に踊る自分の文字を見て、何ともいたたまれない気持ちになった。
それに例えば、『大した意味もなくキスをすることがある』と返事をもらっても、私は受け止められる自信がなかった。だってした方にとってはそうでも、私にとってはそうではないからだ。
ふとした時に蘇る、あの熱い手の感触。私に触れたやわらかさ。
その便箋はもう二度と読めないように細かくちぎってから捨てた。夜会の前にもらった手紙を最後に、私はキット様に返事を出せていない。
「オースティン卿は持参金もなくていいと仰せだ。うちの事業にも援助をしてくださるらしい。今までで一番いい条件だな!」
――またお会いできる日を楽しみにしています。
あれは、そういう意味だったのだろうか。
「これだけの資金があれば、我がスタインズ家は安泰だ」
叔父が私の肩に手を置いて言った。
「オースティン卿との縁談を受けてくれるね、キャロライン」
「叔父様」
問いかけのように似て、その言葉はほとんど強制に近かった。
「私がオースティン卿と結婚しても、ライナスの面倒を引き続き見ていただけますか」
「もちろんだよ。私達は家族だ」
叔父はにこりと、人が良さそうな笑みを浮かべる。
本を読みながら、私は妄想にも近い様々な夢を見てきた。物語の中ではいつも、主人公は運命の人と出会って、愛し合って、最後は幸せになる。
けれどここは現実で、私は主人公ではなかった。
とうに行き遅れであっても、私はまだ子供で、自分で何かを選べることはない。
願いの全てが、叶うわけではない。政略結婚は貴族の常だ。
一つ手に入れるのなら、一つ捨てなければならない。
「はい、喜んでお受けいたします」
そう答える以外に、選択肢はないのだ。
*
その話を聞いたのは、文通屋に行った時だった。
今月分の封筒をもらいに私はそこを訪れていた。前の配達から時間が空いてしまったので、タイミングを逃していたのだ。
文通屋の一角は、令嬢たちのサロンのようになっている。座り心地の良さそうな椅子に腰かけて、おしゃべりに興じているのだ。私はああいった場には縁がないけれど、この場にいれば声は聞こえてくる。
「ねえ、知ってらっしゃる? ラザフォード家のクリストファー様が結婚を申し込まれたそうよ!」
聞き流していた声が、耳慣れた名前を呼ぶ。いつの間にか、私はぴんと聞き耳を立ててしまっていた。
「まあ、あのクリストファー様が」
クリスは、誰と婚約するのだろう。
「お相手はどなたなの? 先日ダンスも踊られていたし、やっぱり王女殿下かしら」
「かもしれないわ。でも、ウィンストン家のクラリッサ様っていう噂もあるの」
ウィンストン家は、ラザフォード家と同じ侯爵位だ。クラリッサという令嬢のことを私はよく知らないけれど、きっと若くて美しい娘なのだろう。
「喜ばしいことだけれど、残念ね」
「そうね。クリストファー様を狙っていた方は今頃泣いているかもしれないわ」
私だってアラン様と婚約する予定なのだ。何も口を出せることはない。十八歳は男性の婚姻年齢としてはやや早いけれど、このぐらいの年齢で結婚する人もいないことはない。
こういう日が来ると、頭ではちゃんと分かっていたのに。彼の結婚を泣いて嘆く権利も、私にはないだろう。
いつものように目覚めて過ごす日が世界を変えてしまうことがあると、望んだ“明日”だけが来るわけではないと、私はちゃんと知っていたのに。
顔も知らない誰かが願ってくれる幸せに甘えて、私は明るい日が来ることを夢見ていたのだ。




