13.一体どんな関係か
「仕方がないだろう。あんたの歩幅に合わせてたら夜が明ける」
ものすごい言われ様である。私が特段歩くのが遅いということはないと思う。令嬢はみんなこんなものだ。
人波をかき分ける様に、クリスはすたすたと歩く。
周囲からの視線が針のように突き刺さってくる。とんだ注目の的だ。
美男子に攫われるがごとく、夜会を後にする令嬢。
私だって逆の立場なら目を奪われる光景だろう。
「そういうことじゃ、なくて」
ぴたりと体が密着したら、衆人環視とは別の恥ずかしさも込み上げてくる。見上げるばかりだった端整な顔が、すぐ近くにある。
これはいわゆる、“お姫様抱っこ”というやつだろうか。
はじめてされた。あんなに小柄で華奢だった腕に、私は抱き上げられている。そして、これは不思議と嫌ではないのだ。
「じゃあなに」
「重たく、ない……?」
最近ちょっと体重が増えた。理由は分かっている。
クリスが時々持ってくるお菓子がいけないのだ。
美味しいな、と思って食べて、自分でもまたそのお店に行って買ってしまって。そんなことを繰り返しているうちに、太った。仕立てたドレスが入らないほどではないけれど。
青い目がちらりと私を見遣る。けれどそれは一瞬のことで、彼はまたすっと前を向いた。背中に回した手の位置を少し変えて、彼は私を軽々と抱え直す。
「振り落とされたくなかったら、肩か首に手を置いてつかまって」
身を縮めるように胸の前で握りしめていた手を、肩に置いてみる。
服越しに骨ばった感触が触れる。
二人で並んで歩いていた頃、私達の影は同じように伸びていて変わりなかった。
この肩はいつの間にこんなに広くなったのだろう。
侯爵家の馬車に荷物のように担ぎ込まれたかと思うと、クリスは大きな音を立てて扉を閉めた。すぐに御者に自分の屋敷に向かうように告げる。
「あ、私、家に帰してもらったら」
「一人じゃ脱げないドレスを着たままで? その恰好で寝るの? ばかじゃないのか」
確かに、このドレスは構造が複雑なので一人では脱げない。でも息を吸うようにばかだと言われると、さすがの私でもちょっとむっとする。
「……母上にも今日は連れて帰ってくるように言われてる」
言い訳のように、クリスは言った。エステル様にまで言われていたらしょうがない。
「そもそもあんたが悪いんだ」
整えられていた前髪をわしゃわしゃと崩すと、いつものクリスの顔に戻る。仏頂面が睨みつけてくる。
「私が?」
「オースティン男爵は、社交界随一の女誑しで通ってるんだぞ。そんなやつにほいほい近寄っていくやつがあるか」
「ご、ごめん」
一応、近寄ってはいなくて向こうが寄っては来たのだけれど。
全然知らなかった。そんな人には見えなかったのに。
「それに、夜会では自分で手に取った物以外飲んだり食べたりするな。何か、薬とか入れられている可能性がある。常識だろ……」
矢継ぎ早に叱られてなんだか自分が情けなくなってくる。二十二歳にもなって、私はものを何も知らない世間知らずだ。
きっと、ちゃんとした令嬢は両親からそういった夜会の心得を教わるのだろう。けれど、私がそういうことを教わる前に、両親はこの世からいなくなってしまった。
「ごめんなさい」
「……だいたい、あんたみたいに、ぼんやりしているやつは、男に取って食われて終わりだよ」
取って食われるって、どういうことだろう。
あんなに威勢よく捲し立てていたのに、急にクリスの口調がおぼつかなくなってくる。覗き込んできた目はとろんとしていた。
そういえば、私が飲むはずだったワインは、クリスが全部飲んでしまった。
本当にあのワインに薬か何かが入れられていたとしたら、彼は大丈夫なのだろうか。心なしか、目元が赤い気がする。色白だからよく分かる。
「キャロ」
抱き着くように、クリスの腕が背中に触れる。華やかな香水の香りがする。
多分、クリスが好んで使うものではない。女物だ。あんなに密着して踊っていたから、きっと王女様のものが移ったのだろう。
夜会に向けて巻き上げた茶色の髪を、長い指先が弄ぶ。彼は、私の首筋に顔を寄せた。
「はっ、あっ、クリス!?」
甘えたように、すん、と鼻を鳴らす。
「あんたはいつもいい匂いがする」
「えっ、うそ」
私は香水も何も使ってはいないけれど。それもいつも、ってことは……ああ、もう頭がついていかない。彼は猫のように、機嫌が良さそうに頬ずりをした。
たじろぐ私に、クリスはにこりと微笑んでみせる。髪を撫でた指先が顎を掬って、青い瞳と見つめ合う。
「クリス……?」
その目の奥に私の知らない光が宿っている。これは、なんだろう。顔に触れる手が、熱い。
「……だ」
薄い唇が動いて、何事かを囁く。けれど、微かなその声は馬車の騒音に紛れて私の耳まで届かなかった。
「な、な……んっ」
聞き返した言葉は、最後まで言わせてもらえなかった。
そっと顔を傾けて、クリスは唇を重ねてきた。
知らないあたたかさが触れて、一瞬で頭の中が沸騰したようになる。やわらかなそれが繰り返し押し付けられて、ぺろりと、肉厚の舌が私の唇をなぞる。
彼が飲み干したワインの味。
ついばむように何度も食まれて、もう息もできなかった。私まで酔ってしまったかのように眩暈がする。
硬直する私の体を、クリスはぎゅっと掻き抱く。首筋に悩まし気な吐息がかかる。どうしてだか分からないけれど、お腹の奥がきゅんと疼いたようになる。
「……ぁ」
取って食われるとは、こういうことなのか。
困惑する私の肩に、突然、がくん、と銀色の頭が落ちた。
「へっ?!」
見ると、クリスは目を閉じてすやすやと寝ていた。
「すー……」
本当に飲み物に何か薬が混じっていたのかもしれないし、単に彼がお酒に弱いだけなのかもしれない。
いやでも、これは、ないでしょう。
私とクリスはただの幼馴染のはずだ。それ以上でも以下でもない。
それならなぜ、彼は私にこんなことをしたのだろう。お酒は人をこんなにも変えてしまうのだろうか。
「もうちょっと、いい加減にしてよ……」
気持ちよさそうに眠っている顔を見る。不機嫌そうな表情が抜け落ちてしまえば、昔と変わらない、妖精のようなクリスだ。
しかしながら、私も彼に聞きたい。
私達は、一体どんな関係なのか、と。




