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【完結】拝啓、愛しの侯爵様~行き遅れ令嬢ですが、運命の人は案外近くにいたようです~  作者: 藤原ライラ
第一部:私だけの物語

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12.対決

 夜会用の踵の高い靴を履いた私に合わせるように、クリスはちゃんとゆっくりと歩いてくれる。

 絵に描いたようなエスコートだ。こんなこと、いつの間に彼はできるようになったんだろう。


 色んな色の目が私を見ている。扇で顔を隠した令嬢が、別の令嬢の耳元で何事かを囁いている。

 正しくは彼女達は輝くクリスを見ていて、そのついでに私が視界に入るだけだ。彼の横の私はただの異分子なのだろう。


「ちゃんと顔を上げて」


 俯き加減になる私に対して、真っ直ぐ前を向いたクリスが言う。


「どんな顔をしていればいいの」


 王宮に向かう馬車に乗っている間もずっと考えていたけれど、“近寄り難い顔”の正解が分からない。

 青い目の端で、彼が私を見遣る。


「普通にしていればいいよ」

 淡々とした声は、いつもと変わらない。


「笑顔でいても仏頂面でいても、同じことだ。どうせ好き勝手に消費されるだけだから」


 クリスの肘に掛けた私の手。その手を少しだけ強く握って、顔を上げた。 


「うん」


 シャンデリアに照らされた首筋にかけての鋭角のラインがきれいだった。


 私がデビュタントだった頃、クリスはまだ十二歳だったから、一緒に夜会に出るのははじめてだ。


「分かった」


 こんな風に隣にいることを、夢見なかったわけではない。

 現実にしては、眩しすぎる夢だけど。

 どうせ夢なのだから、好き放題やってやろう。そう思った。






 最初の緊張から逃れられれば、なんてことはない。


 クリスに用がある人ばかりだと思っていたけれど、皆、私にもにこやかに話しかけてくれる。私はやっと、夜会の華やかな雰囲気そのものを楽しめるようになってきていた。


「クリストファー様」

 王家の侍従がそっとクリスに耳打ちした。整った顔が急に険しくなる。


「どうかしたの」

「王女殿下がおれと踊りたいってさ」


 王女殿下は確か十六歳で、先日デビュタントを迎えたばかりだ。年の頃からいえば、クリスはちょうどいい相手の一人だろう。


「行っておいでよ」


 そもそも断ることができないのなんて、クリスだって分かっているだろうに。


「いい? ここから動くなよ。おれがいない間に誰かに話しかけられても、絶対に返事をするな。分かったね」


 確かに全てを無視していれば、相当に近寄り難いだろうけど。


「すぐ帰ってくるから」

「ゆっくり踊ってくればいいのに」


 私がそう応えると、クリスはなんだか泣きそうな顔をした。けれど何も言わずに、足早に大広間の中心へと向かっていく。


 美しい礼をして、王女様とクリスのダンスが始まる。


 ゆったりと流れるワルツを踊りながら、クリスはびっくりするほど見事に微笑んでいた。やはり私以外の女の子にはちゃんと笑ってくれるらしい。


 もちろんダンスも抜群に巧い。ぴたりと寄り添うようにして、王女様はクリスの腕の中で恍惚の表情を浮かべていた。


 そういえば、この輪の中にキット様もいるのだろうか。

 彼自身が来るとは手紙の中では明言されてはいなかったけれど、貴族が大勢出席する夜会だ。キット様がいてもなんの不思議はない。


 そして人波を見渡して、見つけた。見つけてしまった。


 さらりとした癖のない黒髪に、ぱっと目を引く引き締まった長身。夜会の為に仕立てたであろう正装がとても似合っている。口元には整えられた立派な髭があった。

 想像した通りの人がいた。


 黒髪がさらりと流れて、振り返る。あたたかみのある橄欖色(オリーブグリーン)の目が、私を見つめる。そしてこちらへと、歩いてきた。


「どこかで、お会いしたことがありましたか。レディ」


 低くて響きのある声でそう言うと、彼は品の良い笑みを浮かべた。目尻にきゅっと皺が寄る。

 しまった、不躾に見つめてしまっていたことがバレていた。


「い、いえ」


 あんなにクリスに念押しされたのに、うっかり返事をしてしまった。かといってもうここから無視することなんてできない。


「見かけない顔ですね。お名前をお伺いしても?」


 それは、そうだろう。私が夜会に出るのはほとんど五年ぶりだ。スタインズ子爵令嬢の知名度はほとんどない。


「私は、アラン=オースティンと言います」

「オースティン様……」


 すっと一瞬抱き寄せられたようになる。異国のもののような香水がふわりと香った。少し癖のある神秘的な香りだ。どくん、と胸が高鳴る。


「どうそ、アランと」


「アラン様」


 よくできたとばかりに、頭に手が触れる。結い上げた髪が乱れない程度の、ささやかな触れ合い。呆けている場合ではない。相手が名乗ったなら、私もちゃんと名乗らなければ。


「キャロライン=スタインズと申します」


「キャロライン……ああ」


 彼は何か納得したように微笑んだ。そして、まるで女王にするかのごとく恭しく私の手を取る。


「キャロル、とお呼びしても?」

 アラン様は屈んだかと思うと、私の手の甲に口づけを落とした。


「なっ!」


 よくある儀礼の一つだと分かっている。けれど、かっと頬に血が上ったのが分かる。こんな時、なんて応えればいいのだろう。どうしたら……。


 立ち尽くしていたら、彼が声を立てて笑った。


「ふふふ、なんて可愛らしい人だ」

「すみません、夜会に来るのは久しぶりで」


「ならば、今夜あなたに会えた私は果報者というわけだ」


 アラン様は、垂れ目がちな目を細めてみせる。黄みがかった緑が、宝物を見つけたかのように輝いた。


 そこで私は一つ、気がついた。


 私は自分の容姿について、手紙に記したことはない。ありふれた茶色の髪も、母と同じ紫色の瞳についても、何も。

 それは、キット様も同じ。


 けれど、キット様は私のドレスについてよく知っている。それを頼りにすれば、この大人数の中でも私を見つけることができる、かもしれない。


 もしかして、この人が。


「あなたと出会えたこの奇跡に」


 アラン様は給仕から二つグラスを受け取ったかと思うと、片方を私に差し出してくる。注がれたワインが揺れている。促されるがままに、私はそれを手に取った。


「乾杯」


 ガラスとガラスが触れ合う、高い音がする。酒は強い方ではないけれど、一杯ぐらいなら問題はないだろう。


「はい」


 グラスを傾けて、硬質さが唇に触れる。そう思った瞬間、


「オースティン卿。世慣れしていない女性を(たぶら)かすのはやめていただきたい」


 不機嫌そうな声がして、私の手からグラスが取り上げられた。


「クリス!!」


 私とアラン様の間に立ちはだかるように、大きな背がある。その肩口から見えない怒気のようなものが立ち上るのが見える気がした。


 彼はこんなところにいていいのだろうか。王女様と交流を深めたりしなくてよいのだろうか。


「誰とも話をするなって言っただろう」


 振り返った青い目が私を糾弾する。きっとアラン様のことも同じように睨みつけていたのだろう。


「これはこれは、王女殿下の覚えもめでたいラザフォード侯ではありませんか」


 けれど、アラン様は浮かべた笑みを少しも崩さず、優雅に一礼してみせる。


「彼女はあなたのご親戚か何かですか?」

「あ、いえ、私は……」


 親戚、というわけではない。狼狽えた私の反応を、アラン様は見逃さなかった。


「では、キャロライン嬢とはどのようなご関係で」


 あえて問いかけられれば、私とクリスの間には何もない。

 親戚でも姉弟でもないし、友達というのは少し違う気がする。


 結局のところ、私たちの間には名前が付けられるようなものは何もないのだ。


 クリスはしばらくの間、何も答えなかった。ただ私から奪ったグラスの中で、深みのある赤紫色の水面が揺れるのを見つめていた。


「何もでないなら、私にチャンスをくださってもよいのでは」


 畳みかけるように、アラン様が言う。ぐっと、クリスが押し黙る。

 これは、さすがの彼でも分が悪い気がする。アラン様には圧倒的な大人の余裕がある。


「……さあ、一体どんな関係なんでしょうね」


 言うが早いか、クリスは満たされていたワインを一気に飲んだ。


「え、ちょっと、クリス」


 クリスはお酒が強かっただろうか。見たところ、顔色は変わらないようだけれど。私は彼がお酒を飲んでいるところを見たことがなかった。


「おれが聞きたいぐらいですよ」


 そのまま、肩を抱かれた。細身の割に逞しい胸板に寄りかかるようになる。


「オースティン卿。どうやら、彼女は人ごみに酔って気分が悪いようなので」


 そんなことは、なんもないのだけれど。私は至って元気だ。けれど、それを言わせないだけの威圧感が今のクリスにはある。


「今夜はこれで失礼させていただきます」


 私の頭上で、クリスとアラン様の視線がぶつかる。


「姫君を守る騎士(ナイト)のご登場とあれば仕方ありませんね。本日は私も、ここまでとさせていただきましょう」


 ちらりと私を見ると、アラン様はにこりと蕩かすような笑みを浮かべた。


「またお会いできる日を楽しみにしています、キャロル」


「それでは、失礼」

 クリスはぞんざいに形ばかりの礼をして返す。そして、彼は私をひょいと抱き上げた。


「ちょっと、クリス!!」


 私を抱いたままクリスはすたすたと歩き始めてしまう。身を捩っても、しなやかなその腕は私を解放してくれない。


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