11.夜会に行こう
「それで、キャロ。文通相手とはどうなっているの?」
我が家を訪ねてきたエステル様は、開口一番そう言った。
最近はクリスがお菓子を持ってきてくれるばかりで、エステル様が来るのは久しぶりだ。なお、今日はクリスはいない。
「どう、と言われましても」
私は二人分の紅茶を淹れて、エステル様と自分の前に置きながら答えた。
キット様とは、いつも通り手紙のやり取りをしているだけだ。結局ドレスは仕立ててもらったけれど。
そう言えば、今日の朝届いた手紙にはこう書かれていた。
『親愛なるキャロルへ
仕立て屋の主人から子細を伺った。貴女はどのドレスもとてもよく似合っていたと。
よければ、次の王宮での夜会に出てみるのはどうだろう。せっかくのドレスにはお披露目の機会があった方がいいと思う。仕立て屋には私から納期を伝えておくので、心配しないでほしい。
楽しい夜会になることを、祈っている』
「ということなんですけど」
「まあ、やっと夜会に出てくれる気になったのね、キャロ!」
エステル様は私の手を取ると、ぱっと輝くような笑みを浮かべた。その顔に無性に既視感がある。
「ドレスはもうあるのよね。じゃあ残りの支度はうちでやりましょう。そうしましょう、それがいいわ。絶対にそうよ」
「そんな、申し訳ないです」
そもそもまだ行くと決めたわけでもないのに。仮に行くとしても残りの支度は自分で用意したい。
「あら、そんなのだめよ。つまらないじゃない。うちにはクリスしかしないから、わたし、一度女の子の支度をしてみたかったのよ!!」
握った手をぶんぶんと振って、エステル様は言う。「ドレスの色は何色かしら? それに合わせてアクセサリーを見繕っておくわね」
二色のドレスがひらりと、頭の中で翻る。そして、「完璧だ」と言ってくれたあの声も。
「……ピンクです」
「まあ、すてき! きっとキャロによく似合うわ」
そう言って、目を輝かせてみせる。
「次の王宮での夜会ね。時間になったら、うちから迎えを寄越すようにするわね。頑張っちゃうわよー!」
エステル様は、ほどよく冷めた紅茶をまるでお酒のように呷った。そんなに一気に飲んでいいのだろうか。ついでに横に並べたクッキーにも手を伸ばす。
「あら、これ、すごく美味しいわね」
まるではじめて食べるかのように、手に取ったそれをしげしげと眺めている。それは、この前ドレスの試着に行った帰りに、あのカップケーキの店で買ったものだ。
「クリスが教えてくれたお店で買ったんです。ご存知ないですか?」
私はてっきり、お屋敷用にもお菓子を買っているのだと思っていた。もしくはエステル様のお気に入りのお店なのかと。
「……あの子もやーーっとやる気を出したのかしらねえ。誰に似たのかのんびり屋さんなんだから」
なんだか感慨深げにクッキーを見つめたかと思うと、エステル様は満足げに頷いている。私には何がなんだかさっぱり分からない。
「どういうことです?」
「ううん、こっちの話よ。夜会、楽しみね、キャロ」
またにっこりと、エステル様が笑う。
その顔を見て思った。そうか、あの“完璧な笑顔”のクリスはエステル様に似ているのか。普段彼はあまり笑ったりしないから気が付かなかった。髪の色ぐらいしか似ているところなんてないと、本人もよく言っていたのに。
それでも、この二人はやっぱり親子なのだ。
夜会の支度というのは、とにかく時間がかかる、ものらしい。
昼過ぎに侯爵家の馬車が迎えに来て、早すぎないかと思ったけれど、そんなことはなかった。終わってみれば、出発時間ぎりぎりだった。
まず、屋敷に着いた時には一列に並んで集合されていた侍女の皆さんに瞬く間に服を脱がされた。気分としては追剥ぎにあったに近い。実際にあったことは、ないけれど。
そして、薔薇の花の浮いたバスタブで、頭の先からつま先までごしごしと洗われた。使われている石鹸もびっくりするほどいい匂いがする。けれどうっとりする間もなく、次は香油を塗られてマッサージをされた。
そこまでしてやっと、ドレスの着付けに入る。
あのピンク色のドレスが、そこにあった。エステル様が仕立て屋に頼んでくれて、侯爵家に届けてもらったのだ。
少しだけ、記憶の中にあるものと目の前のドレスは異なっている。
何というか、フリルや刺繍が豪華になっている。殊更に華美ということはなくて、見比べてみればこれが正解だと思えるような、そんな。
こんな美しいもの、本当に私に似合うのだろうか。
「さあキャロ、ここから先は体力勝負よ。夜会は戦場よ! 最後に物を言うのは体力・気力・根性よ。頑張りましょうね」
「はあ」
私は一体どこへ向かっているのだろう。そんなことを思いながら、二十数年の人生で一番コルセットを締め上げられた。
この支度の一部始終を、部屋の隅の椅子に腰かけたエステル様はにこにこと眺めている。
「では、キャロライン様。こちらに」
金縁の美しい鏡の前に座るように促される。
目を閉じるように言われて、顔に化粧水やら乳液やら、そのほか様々なものが塗られた。続いて、刷毛が頬を撫でていく感触がする。おそらく化粧をされているのだろう。
大して特徴もないこげ茶色の髪は丁寧に梳かれて、上半分を束ねられる。毛先はふんわりと巻かれていく。
侍女の手が全て私から離れると、エステル様が立ち上がった気配がした。
「さあ、これで仕上げよ」
ネックレスをそっと首に掛けられる。耳元で、エステル様の声がする。
「ね、目を開けてちょうだい、キャロ」
言われるがままに、私は目を開けた。
「はい」
鏡の中私の首元でしんと輝く、やわらかな銀の光。
シルバーとパ―ルのそれは、ドレスの刺繍の花のモチーフと意匠がよく似ていて、まるで合わせて誂えたかのようにしっくりと馴染む。
「あのね、わたしはあなたのことを娘のように思ってきたつもりよ。大事なアリシアの子だし、ううん、それを差し引いても、わたしはキャロのことがすき」
それはずっと、感じていた。母が生きている時からずっと、エステル様は私をとても可愛がってくれていたから。
「だから、キャロは自分の思うようにしていいのよ。今までもこれからも、あなたはなんだってできるはずだわ」
けれど、ただの行き遅れにすぎにない私に一体何ができるだろう。選べるような選択肢は、果たして本当にこの手の中にあるのだろうか。
「うふふ、色々考えるのはキャロのいいところだけれどね。まずはやってみればいいのよ」
鏡の中のエステル様は、また少女のように笑った。
「にしても困ったわね」
エステル様が眉をハの字に下げて頬に手を当てたところで、侍女が声を掛けてくる。
「奥様、坊ちゃんがお越しですが」
屋敷ではクリスも坊ちゃんなのか。何も間違ってはいないのだけれど、なんだか可愛らしくて私はこっそり笑ってしまった。
「ちょうどいいわ。通してちょうだい」
扉が開けば、眩いばかりの正装に身を包んだ長身がいる。うっかり見惚れてしまいそうになって、私は目を逸らした。
長めの前髪もきちんと整えられていて、青い目が静かに私を捉える。なんだかひどく大人びて見える。これは多分、坊ちゃんどころではない。
クリスは諦めたように一つ大きな溜息を吐いた。
「……どうするんですか、母上。これじゃあ大変なことになりますよ」
どこからどう聞いても不機嫌そうな声が、エステル様をぴしゃりと非難する。
「そうよね……わたしも少し頑張り過ぎちゃったかしら」
「本当ですよ」
「攫われたらどうしましょう」
「そんなこと、おれに言わないでください」
「あの……そんなに似合っていませんか?」
恐る恐る口を挟めば、よく似た銀髪が二人ともはっとした。
「そうじゃないのよ」「そんなわけないだろ」
違うらしい。だったら一体何の話をしているのだろう。
「キャロライン、もうちょっと近寄り難そうな顔をして」
クリスがなんだか変なことを言い始めた。そんなことを言われても、近寄り難そうな顔って、
「どんな顔?」
「もういい。あんたに言ったおれがばかだった……」
クリスは額に手を当ててやれやれと頭を振る。呆れられていることは分かる。けれど、はらりと一房だけ流れた銀髪が妙に色っぽい。
「いい? 何があってもおれのそばから離れないで」
鋭くなった青い目が、食い入るように私を睨みつけてくる。その凄絶さに怯んでしまいそうになる。
「う、うん」
「そういう薄らぼんやりしたところが良くないって言ってるの。返事ははっきり」
「はい」
返事をしてしまってから気づく。
「待って、クリスも一緒に行くの?」
つまり、それはこの幼馴染が私のエスコートをしてくれるということである。
「なに、おれじゃあ不満なの?」
そういうわけでは、ないけれど。
本来ならば、婚約者のいない子女のエスコートは兄や従弟などの身近な男性が務めるのが通例だ。しかしながら、今の私にそれに適した相手がいないのは事実である。
本屋の前で起こった出来事が蘇る。
いや、きっとその比ではないだろう。今のクリスは、なんというか本気だ。これなら、白銀の貴公子と呼ばれているのも頷ける。
そんな彼の隣にいるのは、少し、いやかなり気が引ける。
「だったらおれでもいいだろ」
反論する間もなく手を取られた。
「いってらっしゃい」
見送るようにエステル様がひらひらと手を振っている。
「あ、はい、いってきます」
そうして、私はクリスと夜会に繰り出すことになったのだ。




