1.文通屋
お読みいただきありがとうございます。楽しんで頂ければ幸いです。
「文通屋、ですか?」
疑問に思う私を他所に、エステル様は花が綻ぶような笑みを浮かべた。「そう、文通屋よ」
「今貴族の間でとっても流行っているらしいの。文通相手と結婚しちゃう人もいるらしいわ!」
亡くなった母と同い年だというのに、こうして見ると本当に少女のようである。天真爛漫の権化のような人で、この人が来てくれるだけで屋敷の中がぱっと明るくなる。緩やかに巻き上げられた銀髪から光の粉でも舞っているような気さえしてくる。
「ねえ、キャロ。恋愛結婚ってロマンチックだと思わない? あなたもそろそろ誰かお相手を探した方がいいし」
エステル様は、私の手をきゅっと握ってそう言った。確か、エステル様と旦那様は夜会で一目惚れしたとかいうゴリッゴリの恋愛結婚だ。けれど、ロマンの後に続くのが至極現実的な話で、どう答えていいのか分からない。
「はあ」
「きっと、アリシアもキャロの結婚を楽しみにしていたはずだわ。ね!」
「それは、そうですね」
しかしながら、「楽しみにしていましたか?」と訊ねてみたところで、返事があるはずもない。
父も母も、今は土の下にいる。
「キャロはほら、夜会にもほとんど出ないし。このままだと永遠にお相手に巡り合えないわ」
良家の子女は大体十六歳でデビュタントを迎えて、成人になる十八歳には結婚するのが通例である。
二十歳を超えても結婚しないのは、よほど器量が悪いかそれ以外のところに問題があると言わざるを得えない。
結婚相手を親が見つけてくる政略結婚が大多数を占めるこの貴族社会で、親もいないし大した持参金もない我がスタインズ家はどう見えるだろう。何の利益もないから誰も歯牙にもかけない。随分前だけど出席した時は立派な壁の花になってしまった。
けれど、夜会に出るならドレスの準備やら身支度に果てしなくお金はかかる。だから最近は出ていない。
「その、ライナスのこともありますし」
ちょうど十歳年下の弟のことが、私の唯一にして最大の気がかりだ。齢十二歳のお坊ちゃんが、現スタインズ子爵である。勿論その年では領地経営などできるわけではないので、父方の叔父がやってくれているのだけれど、あまりうまくいっていない。
勿論屋敷はあるし最低限の生活費だけはもらえているが、それだけだ。我が家は没落寸前で、叔父はいつもとても申し訳なさそうにしている。私はささやかながら、お針子の内職をして家計を支えている。
弟は今年貴族学校に入り寮生活を送っているけれど、せめて十八歳で成人して独り立ちするまでは見守ってあげたい。
「そんなことを言っている間に、キャロは行き遅れになってしまうわよ!」
エステル様がわざわざ文通などというややこしいことを言い出した理由はここにあるらしい。
そう、何を隠そう私は、今年二十二歳になる。
「母上。それを言うならキャロラインはもう、立派な行き遅れですよ」
涼やかな声が、言おうとしたことを全て攫っていった。
「クリス! 女の子にそんなことを言っちゃだめでしょう!」
「女の子、ねえ……」
エステル様によく似た銀髪に、つり目がちな青い瞳。その目が値踏みするように私を見た。
クリス――クリストファー=ラザフォードは、美丈夫として名高い。なんでも、ご令嬢方からは“白銀の貴公子”だなんて呼ばれているらしい。夜会では、ちらりとその顔を向けるだけで黄色い歓声が上がるという噂。私だって一ミリもときめかないと言えば嘘になる。
きっとこの男に見つめられて頬を染める女性は山のようにいるのだろう。クリスはお手上げとばかりに大きく肩をすくめてみせた。
クリスは昔あんなに小柄だったのに、今では私よりも背が高い。それにびっくりするほど顔が小さくて足が長い。舞台俳優だと言われても通るレベルだ。先日うっかり隣に立ってしまったら腰の位置が違いすぎて絶望した。
ただ、母親同士の仲が良かったおかげで物心ついた時から間近で育ったから、一定の免疫はある。少なくとも、見つめ合っても奇声を挙げたりしない程度には。
「もう! いつからうちの子はこんな風になっちゃったのかしら」
持てる長所を全て顔につぎ込んでしまったのか、クリスはちょっとばかし口が悪い。なんてことはない。貴公子だなんだともてはやされていても、実情はこんなものである。
黙っていればこの容貌だし、これでも彼は侯爵家のご嫡男であらせられるので、政略結婚の相手としては最高位の部類に入るだろうに。残念なことだ。
「とにかく、キャロは文通をしましょう! そして運命の相手を手に入れるのよ!!」
「ロマンより運命より、現実をちゃんと見た方がいいと、おれは思うけど」
しかしながら、彼の言うことにも一理ある。
そして現実を見たところで現れるのは、ただの地味な行き遅れの私だ。
そんなことは四つ年下の幼馴染に突き付けられるまでもなく、ちゃんと分かっている。
*
「で、本当にやるの、文通」
「うーん、どうしようかな」
なんでも知り合いのお茶会に行かなければならないとのことで、エステル様は颯爽と帰って行った。春風みたいな人だなあと思いつつ、そのおせっかいとも言える性格に確かに助けられている自分がいる。
「ねえ、帰らなくていいの?」
一緒に帰ればよかったのに、なぜだかクリスはまだうちの屋敷にいる。彫像のような美形が、私の向かいで優雅に紅茶を飲んでいるのは不思議な気分だ。なお、この茶葉もさっきエステル様がくれた。
私がそう言うと、クリスは不機嫌そうにこちらをちらりと見た。けれど何も言わないので自分の家にいるのにすこぶる居心地が悪い。仕方なく、エステル様が置いて行った文通屋のチラシを眺めてみる。
一月あたりの料金は思っていたより安い。何せ後ろ盾もない身分なので質素倹約を信条としている私のささやかなお小遣いでもなんとかなる額だ。
なんでも手紙は文通屋で預かってもらって、そこから相手先に配達してもらう。個人情報はバレないから安心してやり取りができると評判だそうだ。
文通屋に頼む際に要望書なるものを記入するらしい。そこに相手の希望や文通の目的などを書くのだ。確かに、誰も彼もが運命の相手を探して文通をするわけではないだろう。気の置けない友人を探していることだってあるはずだ。
そうして書かれた要望書を元に、文通屋は相手を選ぶ。
この文通相手の選択がとてつもなく上手い、とのこと。
しかしながら、選ばれた相手が気に入らなければ、別の人と文通することも可能らしい。また、複数人の相手と文通することも可能だそうだ。
そして、どんなに金を積まれても相手の正体は明かさない。知りたければ、自分達でどうぞ。
『理想の文通相手、ご案内いたします』
交易の町として名高いこのドーレブールで、似たような商売が今までに全くなかったわけではない。けれど、これがこの店のウリらしい。出資をしているのは、有名な貴族の御隠居だとも、新進気鋭の青年実業家だとも言われている。つまり、本当のところは誰も知らないということだ。
都合のいい謳い文句に、乗せられそうになる。
私がどんな人間かを知らない人なら、私を愛してくれるだろうか。そんな妄想に浸りたくなった。
遮ったのは、静かな男の声だった。
「あんたさ」
彫像が口を開いた。
「どんな相手がいいの?」
そんなことを聞いてどうするのだろうとは思うけれど、一応考えてみる。
「そうだなあ」
一通り考えてはみたけれど、具体的なものが浮かんでくるわけではなかった。この手の中の紅茶の水面のようにゆらゆらと揺れて、掴み所がない。金髪の王太子殿下に見えたかと思えば、茶髪の騎士に見えてみたり。
そうして、実際のところ映るのは所在なげな自分の顔だけだ。
「……特にないかな」
「ふうん」
髪と同じ銀色の睫毛がすべらかな頬に影を落とす。そしてクリスは独り言のように呟いた。
「じゃあ、誰でもいいんだな」
青い目が何か企みを宿して輝く。絶対によくないことを考えていると分かるのに、その底深さが孕んだ色気から目が離せない。うっかり目にしたらこの町中の乙女の心臓が止まると思う。
クリスはこれを見ていたのが私だけであることに感謝するべきだ。