気味が悪いと婚約破棄された令嬢、一人で好き勝手に生きてたら復縁を申し込まれました
「お前との婚約を破棄する」
「……はい?」
「聞こえなかったか? お前との婚約を破棄する、そう言ったんだ」
呆然として言葉も出ないチェルシーを見て、アルヴィンは意地悪く笑った。
「お前みたいな、全く笑わない、気味が悪い婚約者なんて御免だ」
そう言うと、アルヴィンは席を立ち、そのまま去ってしまった。取り残されたチェルシーは、ゆっくりと紅茶の入ったカップをテーブルに戻す。
今日は、二週間に一度のお茶会の日だった。婚約してから約半年。親同士が決めたこのお茶会以外では、ほとんどアルヴィンと顔を合わせたことはない。
アルヴィン・ヴィンセント。莫大な財産を持つヴィンセント侯爵家の長男である。それに対し、チェルシーの実家であるクライヴ子爵家は貧乏貴族だ。
しかもチェルシーは九人兄妹の末っ子で、持参金すらろくに用意できない。
そんなチェルシーにとって……いや、クライヴ子爵家にとって、アルヴィンとチェルシーの婚約は希望だった。
アルヴィンから婚約の話があった際、家族全員で朝まで踊り狂ったくらいだ。
婚約を申し込まれた理由はたった一つ。
チェルシーの美貌である。チェルシーは貧乏だが、とにかく顔がいい。アルヴィンも、チェルシーに一目ぼれした男の一人である。
だというのに!!
「笑わないって……気味が悪いって、なによ!?」
ドン! と机を拳に叩きつける。
チェルシーだって、好きで無表情でいたわけではない。極度の緊張がチェルシーから表情を奪ったのだ。
この婚約には、自分だけでなく、クライヴ子爵家の未来がかかっている。アルヴィンに嫌われるようなことがあれば、もうクライヴ子爵家は終わりだ。
そんな状況で笑顔で振る舞うことなんてできない。そもそも、作り笑いすら苦手なのだ。貧乏すぎて、滅多にパーティーへも行けないのだから。
それでも必死に頑張ってきたわ。
アルヴィン様に話を合わせるために好きでもない詩集を図書館で借りて読んだし、本当は苦手なやたらとハーブの匂いが強い紅茶だって飲んだし。
その結果が、婚約破棄!?
「そもそも顔で婚約者を選ぶなんて最低よ。ちょっとお金があって格好いいからって、調子に乗ってるんだわ」
……まあ、金もあって顔もいいなら、調子に乗るわよね。
「あーあ。どうしよう。私の人生、お先真っ暗だわ……」
金なし貧乏令嬢、婚約破棄経験あり。
どこからどう見ても地雷物件じゃない。まあ、探せば結婚相手はいるでしょうけれど。
とはいえ、アルヴィン以上の優良物件にはもう会えないだろう。金に必死な両親が、とんでもない年上との婚約を了承する可能性もある。
実際、アルヴィンが婚約を申し込んでくる前は、70手前の男との婚約話もあったのだから。
婚約破棄された、と素直に両親に言えば、最悪な未来が待っているに違いない。
とはいえ、婚約破棄を隠し通すこともできない。
だったら、もういっそ……。
「家出して、好き勝手に生きてやるわよ!」
◆
「さすがアルヴィン様。プレゼントも、高い物をくれてたのね」
革袋にびっしりと詰まった金貨を見ながら、チェルシーは思いっきりにやけた。つい先程、アルヴィンにもらったプレゼントを全て質屋で換金してきたのだ。
さすがは大貴族の長男。気軽にくれていたプレゼントの数々は、どれもかなりの高級品だったらしい。
「必要なのは住む家と……仕事?」
金は手に入ったが、一生遊んで暮らせるわけではない。というか、なにもしないのは暇すぎる。
考えてみれば、婚約破棄されてよかったのかもしれないわ。
窮屈な貴族社会から抜け出せたんだもの!
家族のことは気がかりだが、美貌の娘を爺と結婚させようとするような親だ。しばらくは家に帰らない方がいい。
一応、あまり心配をかけないように『婚約破棄され、悲しいので旅に出ます』という置手紙を残してきた。
「仕事、なにがいいかしら?」
貴族とは名ばかりの貧乏な家庭に育ったため、一通りの家事はできる。あまり勉強は得意ではないが、簡単な計算くらいなら問題はない。
「……そうだ! カフェなんてどうかしら!?」
可愛い料理を提供する、華やかなカフェ。平民も利用できるカフェを上級貴族たちは馬鹿にしていたが、チェルシーにとっては憧れの場所だった。
もちろん、貧乏なので行ったことはない。
「貴族はあんまりこないから、私だってバレなさそうだし」
カフェを利用する貴族は、流行りものが好きで、身分に縛られない人が多い。
つまり、アルヴィンとは真逆の貴族たちである。
「そう決まったら、さっそく職場探しだわ!」
勢いで家を飛び出してきたのだ。今ならもう、勢いでなんだってできる気がする。
青空を見上げ、チェルシーは満面の笑みを浮かべた。
◆
「いらっしゃいませ」
店の扉を開けると、背の高い男性が笑顔で対応してくれた。長い髪を後ろで一つに束ね、白いエプロンを着用している。
店内には色とりどりの花が飾られていて、ショーケースにはたくさんの種類のケーキが並べられていた。
外から見ても素敵だったけど、やっぱり素敵なお店ね。
「素敵なお嬢さん。一人かしら?」
見た目に似合わず、女言葉だ。しかし、優雅な動きの彼にはよく似合っている。それに女性的な雰囲気のおかげで話しやすい。
「はい。でも私、お客さんとしてきたわけじゃないんです」
「あら。そうなの?」
「私、ここで働きたいんです!」
勢いよく頭を下げる。まあ……と驚いたような声で呟いた後、顔を上げて、と穏やかな声で言ってくれた。
「ここは、アタシが一人でやってる店なのよ」
「……え? 一人で、ですか?」
確かに大きな店ではないが、今だって店内には客がたくさんいる。調理と接客、両方の仕事を一人でやっているなんて。
「でも最近、誰か雇おうかと思っていたの」
「それなら……っ!」
「詳しい話は、営業後でいいかしら? それまで、端の席でケーキでも食べておいて」
「はい! じゃあ、そのチョコレートケーキが食べたいです!」
そう言って革袋からお金を取り出そうとすると、いいわよ、と手で制されてしまった。
「貴女みたいに可愛い子、タダでいいわ」
◆
店の営業が終わるまでの間、結局、ケーキ三個と紅茶を四杯もいただいてしまった。
「それで、働きたいって話よね」
「はい」
「とりあえず、自己紹介させて。アタシはハロルド。美味しいものと可愛いものが大好きなの」
「私はチェルシーです。なんやかんやあって、家出してきました」
「家出!? なんやかんやってなによ!?」
「婚約破棄されまして」
「婚約破棄!?」
かなり驚いたのか、ハロルドは目を丸くして口元を覆った。
しばらくすると、ハロルドの目が潤み始める。
えっ? もしかして私の状況って、泣かれるほど可哀想なの?
「チェルシー、アンタ、そんなに大変な目に遭ってたのね」
「……いやその、それほどでは……」
「いいのよ、我慢しないで。アタシのことは今日から、本当のお姉ちゃんだと思ってくれていいから」
「それって、つまり……!」
「採用よ、チェルシー! 今日からアンタは、アタシの家族だわ!」
ハロルドにいきなり強く抱き締められた。見た目に反して、と言うべきなのか、見た目通りに、と言うべきなのか、かなりの怪力である。
「ここの三階が空いてるの。今日からそこに住んでいいのよ」
「ありがとうございます!」
やったわ!
仕事も家も、同時に手に入れちゃった。
婚約破棄はされたけど、今日の私、めちゃくちゃついてるじゃない!
◆
「ハロルドさん、店内掃除終わりましたよ」
「ありがとう、チェルシー。ケーキの仕込みも終わったわ」
ハロルドさんの店で働き始めてから一月。仕事にもかなり慣れてきた。
チェルシーの仕事は、営業前後の店内清掃と接客だ。ハロルドが調理に専念できるようになったおかげで、前よりもメニューが充実している。
「そうだわ、チェルシー」
パン! と両手を叩き、ハロルドに手招きされる。慌てて駆け寄ると、小さな革袋を手渡された。
「少ないけど、今月のお給料よ」
「え!? いいんですか!?」
「いいに決まってるじゃないの。無賃で働かせるわけないんだから」
「いやでも、住ませてもらってますし、料理だって……!」
ここへきてから、朝昼晩、毎食ハロルドの美味しい料理を食べている。カフェで販売しているのはケーキが中心だが、ハロルドは普通の料理もかなり得意なのだ。
おかげで以前よりちょっとだけ太ったような気もするが、まあ、誤差の範囲だろう。
「それはそれ、これはこれよ。チェルシーはもう、立派なうちの看板娘だもの」
「ハロルドさん……!」
「まあ、チェルシー目当てでくるようになった汚い男たちは気に入らないけど」
ハロルドの目は本気だ。はは、と乾いた笑みを浮かべながら、チェルシーはそっと目を逸らした。
ハロルドの言う通り、ここ最近は男性客がやたらと多い。どうやら、チェルシーの美貌が噂になっているらしいのだ。
それも、『笑顔が可愛い美少女』と。
楽しく働けているのは、ハロルドさんのおかげだわ。
ハロルドは優しい。チェルシーが誤って皿を落としてしまった時も、皿よりも先にチェルシーの怪我を心配してくれた。
なにも持っていなかったチェルシーの買い物にも付き合ってくれて、街のお店をたくさん教えてくれた。
もう、不安なんてない。
アルヴィン様に嫌われたら終わる……なんて怯えながら過ごしていた日々が、今では夢のようだわ。
「ハロルドさん」
「なに?」
「今度、ご飯でも御馳走させてください。私の初任給で!」
「まあ、チェルシーったら!」
目を合わせて笑い合う。カラン、と鈴が鳴る音がして、慌ててドアへ目を向けた。いつの間にか、店が開く時間になっていたらしい。
「いらっしゃいませ、お客さ……ま?」
全身が固まって、身動き一つとれない。体温が急速に下がっていく。
店内に入ってきたのは、アルヴィンだった。
嘘、でしょ……? どうして、アルヴィン様がこんなところに、しかも一人で?
今日のアルヴィンは、いつもより質素な服装をしている。供もつけずにいるのは、一人で街を散策したいからだろう。
しかしアルヴィンは、そんな性格の男ではなかったはずだ。
それにどうして、カフェなんかに?
アルヴィンはいつも、ヴィンセント家の庭園でお茶会をしたがった。そして提供される菓子や料理は全て、ヴィンセント家に勤める一流シェフが作ったものだった。
街のカフェになんか、興味がない人じゃない。
「チェルシー、だよな」
濃い紫色の瞳で見つめられ、チェルシーはとっさに目を逸らした。この鋭い瞳で見つめるたびに、いつも上手く呼吸ができなくなったのだ。
「……失踪したと聞いていたが、こんなところで働いていたのか」
一歩、一歩とアルヴィンが近寄ってくる。そのたびに後ろへ下がったせいで、すぐに壁にぶつかってしまった。
「そ、それは……も、もう、アルヴィン様には関係のないことです」
震えながら伝えると、アルヴィンは舌打ちした。
「しかも、ここの看板娘は、笑顔が可愛い少女だと聞いている。お前は、俺の前で一度だって笑わなかったな」
「……こ、婚約破棄した相手に今さら用なんてないですよね。お客さんじゃないなら、さっさと帰ってください」
そうだ。今の私はもう、アルヴィン様の婚約者じゃない。彼の機嫌を窺ってびくびくする必要なんて、もうどこにもないのだ。
顔を上げ、胸を張って、精一杯アルヴィンを睨みつける。
「チェルシー、お前は……!」
アルヴィンの腕が伸びてきた瞬間、ぐいっ、とハロルドに引き寄せられた。
「そこまでよ。うちの子をこれ以上いじめたら、ゆるさないから」
「ハロルドさん……!」
「アンタが、うちの子の元婚約者ね? こんなに可愛い子を振って路頭に迷わせるなんて、最低な男だわ」
アルヴィンは何も言わない。
「この子は今、うちで楽しく働いてるの。邪魔しないで。ねえ、チェルシー?」
「……はい。私は今、すっごく楽しいんです。だからもう、私に構わないでください、アルヴィン様」
言えた。
初めて、アルヴィン様に自分の気持ちを伝えられたわ。
「……そうか」
ぼそっと呟いて、アルヴィンはそのまま店を出ていった。もっと怒鳴られるかと思っていたから、拍子抜けしてしまう。
でもまあ考えてみれば、元婚約者に怒る理由もないわよね。
そもそもアルヴィン様が婚約破棄したんだし、私は迷惑なんてかけてないもの。
「チェルシー、大丈夫?」
「はい。ハロルドさんのおかげで助かりました!」
「なにかあったらいつでも言うのよ? アタシはアンタのお姉ちゃんなんだから」
そう言って、ハロルドは両手で力こぶを作ってみせた。なんともいかついお姉ちゃんである。
「ありがとうございます、ハロルドさん。今日も私、頑張りますね!」
◆
「バナナケーキとローズティー」
「……はい?」
「聞こえなかったか? バナナケーキとローズティーだ」
仏頂面で注文を繰り返したのは、なんとアルヴィンである。
二日前、アルヴィンが店にやってきた。ハロルドの力も借りて追い払い、もう二度と会うこともないだろう……と思っていたのだが。
アルヴィンが再び店にやってきたのである。しかも、普通の客として。
普通に注文されたら、追い出すわけにもいかないし……。
「か、かしこまりました。お席にお持ちするので、お席にてお待ちくださいませ」
引きつった顔で頭を下げる。アルヴィンに対して他の客と同じ接客ができるほど心臓は強くない。
どういうことなの?
なんでわざわざ、またやってきたのよ! 嫌がらせ!?
「お待たせしました……」
テーブルの上に、バナナケーキとローズティーを運ぶ。ああ、と不機嫌そうに頷いただけで、何も話そうとしない。
「では、ごゆっくり」
さっさと離れよう、と背を向けた瞬間、おい、と呼び止められた。
客を無視するわけにもいかず、渋々振り向く。
「なんでしょう?」
「……チップだ」
「え?」
「庶民の店では、こうしてチップを送る文化があるんだろう?」
アルヴィンの手のひらにのっていたのは、ピカピカの金貨だった。
確かにチップの文化はあるが、金貨なんてもらったことはない。というか、チップ文化が盛んなのは主に酒屋で、カフェではあまりない文化だ。
でもまあ、もらえるものはもらっておいて損はないわよね。
「……ありがとうございます」
アルヴィンの手に触れないように、そっと金貨を受け取る。
「では、失礼いたします」
「……ああ」
アルヴィン様、本当に何のつもりなのかしら?
◆
「チェルシー。今日もきてるわよ、あの男」
窓の外を見つめ、ハロルドが溜息を吐いた。
あの男、というのはもちろんアルヴィンである。
しかも、毎回ド派手な馬車に乗ってくるようになったのよね。
最初はお忍び姿でやってきていたアルヴィンだったが、回を重ねるごとに派手な装いになっていった。
今では白馬が引く馬車を店前にとめ、やたらと派手な服で店内に入ってくる。
正直、かなり浮いている。
本当、どういうつもりなの?
アルヴィンは入店すると、真っ直ぐにチェルシーのもとへ歩いてきた。そして、いつもと同じ物を注文する。
「バナナケーキとローズティーをくれ」
「かしこまりました」
「……それから、これ」
小さい声で言うと、アルヴィンは懐から黒い小箱を取り出した。
「もしかして、プレゼントですか?」
「ああ」
本当に何のつもりなの?
チップは毎回くれるし、最近は手土産だと花束を持ってくることもある。だが、それ以外の物をもらうのは初めてだ。
そういえば婚約してた頃も、会うたびにプレゼントをくれてたわね。
まあもう、全部売っちゃったけど。
「開けてみてくれ」
「……はあ」
言われるがまま、箱を開けてみる。中に入っていたのは、黄金に輝く指輪だった。しかも、中央には花を模した大きなアメジストがはめ込まれている。
その周りを縁どっている小さな石は、おそらくダイヤモンドだろう。
うわ、高そうな指輪……!
って、指輪!?
「チェルシー」
「はい」
「……もう一回、俺と婚約してくれ」
「……は?」
何度瞬きをしても、目の前の景色は変わらない。どうやらこれは夢じゃないみたいだ。
だったら、今の状況って何なの!?
「えーっと……その……」
「返事は?」
「……無理です」
アルヴィンが大きく目を見開いた。断られるなんて思ってもいなかったのだろう。
アルヴィン様との婚約が再び成立すれば、両親も喜ぶし、実家も安泰だわ。
だけど私はもう、笑顔のない日々には戻りたくない。
こうやってハロルドさんのところで働いている今が、すっごく楽しいんだもの!
「私、今の生活が、すごく楽しいので」
「……初めて、俺の前で笑ったな」
「え?」
「次は、もっといい物を用意する」
「はい? 次?」
それ以上、アルヴィンは喋らず、バナナケーキとローズティーの料金をおいて定位置となった奥の席へ行ってしまった。
次ってどういうこと?
また婚約を持ちかけられるってこと? 自分から婚約破棄したくせに?
アルヴィン様の気持ち、全く分からないわ。
「チェルシー」
奥のキッチンにいたハロルドに手招きされる。近寄ると、耳元で囁かれた。
「簡単に頷いちゃだめよ。ああいう奴は、とことん痛い目見ないと分からないんだから」
「はあ……」
簡単に頷くもなにも私、頷くつもりはないんだけど。
「まあでも、こんなに会いにくるなんて、根性だけは認めてあげてもいいわね」
ね? とハロルドはウインクした。とりあえず、ウインクを返しておく。意味はよく分からないが。
……よく分からないけどまあ、この指輪は、売らずにとっておこうかな。お花モチーフのデザインで可愛いし。
それに、アルヴィンはどうやらチェルシーがここにいることを他の誰にも話していないようだ。
今のところ、両親が連れ戻しにくる気配もない。
これからも、好き勝手に楽しく生きてやるわ!
チェルシーの自由気ままな生活は、まだ始まったばかりである。
そして、長きに渡るアルヴィンの婚約要求もまた、始まったばかりなのであった。
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