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ギター小僧は洋楽だった

作者: GONJI

私の世代はギターを弾いていた人がとても多かった

今ほど他に心奪われる楽しみも少なかった時代だったから

高校生のときなんかクラスで三人に二人ぐらいは、上手い下手関係なく弾いていたのではないだろうか

私は10歳の時に叔父からガットギターを貰った

それを自己流で勝手に弾いて楽しんでいた

幸いにも学校の音楽の成績はいつもクラスで上位だったので、人生でそれがすごく役に立っている

中学に入り友人があの定番曲「禁じられた遊び」を弾いていた

私はすぐに教えてほしいと頼んでその曲をマスターした

クラシック曲のレパートリーが一曲増えた

その後、当時流行っていたフォークソングやニューミュージックと言われるジャンルのコピーを手当たりしだいにした

譜面なんてほぼない時代なので耳コピーが主流であった

コードだけでも書いた譜面があれば幸せだった

ただ、耳コピーが主流だったお陰でその先のアドリブ演奏なんかはとても助かった


当時は一人の部屋で音楽を聴くのはポータブルレコードプレイヤーでありカセットテープは普及しだしたころだった

また深夜ラジオを聴くのも日常のことであり新しい曲はもっぱらそこから仕入れる

その頃はFM放送がやっと定着しつつある時期と重なっており

FMラジオ受信機能のついたラジオとカセットテープが一体となったラジオカセット、通称ラジカセを持つのがステイタスだった

ラジオから流れる曲をカセットテープに録音する

そして自分のお気に入り曲集を作成する

FM放送の音を聞いてAMとは違うハイクオリティな音に感動したのを覚えている

ただし、ステレオ・ラジカセの登場はもっと後になってからだった

また、当時の大型のシステムステレオは高価であり、レコードプレイヤーからカセットデッキに録音するというのは一般庶民には高値の花の存在だった

一般庶民はポータブルレコードプレイヤーの音を出しながら、その前にラジカセを置いていかに物音を立てずに録音するかに神経を集中させていた

だが、そんな時に限って「ごはんやでぇ」とか親が呼んだりして口論になったりしたこともある

なので録音する時は「今から録音するから音ださんといてや」と家中に声掛けしていた


そんな音楽と暮らす生活の中で中学2年生のときに出逢ってしまった

それがカーペンターズだった

今まで洋楽なんて聞かなかったのにラジオから流れてきた「イエスタディ・ワンスモア」に感動した

歌詞の意味なんてほぼ解らない状態で初めて聴くそのメロディラインに心打たれた

ファンになった私はさっそくシングルレコードを買ってきた

毎日毎日何回もポータブルレコードプレイヤーで聴いて心和ませた

そしてさらにカーペンターズのLPレコードを手に入れて名曲に浸る生活をしていた

その中でプリーズ・ミスター・ポストマンという曲があのビートルズも歌っていることを知った

そこからビートルズを聴きだす人生が始まるのだった

そんな大袈裟なものか?と思われるかもしれないが、やはりビートルズは偉大だ

私はビートルズのリアルタイム世代ではない、私が幼稚園に入園する頃にビートルズは来日している

テレビに出演して歌っているビートルズに対して「この人達はいったい何を歌っているのだろう?」がその時の正直な感想だ

とあるメーカーのシステムステレオのテレビCMでビートルズのレット・イット・ビーが流れていた

それが耳に残っていて勝手に「エルピーエルピー」と口ずさんでいたのを覚えている

レット・イット・ビーの歌詞の部分は子供の私にとってエルピーと聴こえていたのが今となっては笑ってしまう

あるメーカーのジーンズのテレビCMでシー・ラヴズ・ユーが流れていた


やはりとにかく聴いてみたいのでビートルズのレコードを初めて買うことにした

何を買うか?

シー・ラヴズ・ユーは買う

オブラディ・オブラダというビートルズの後期の曲があるが、けっこうノリがよい聴いたことのある有名な曲だった

オブラディ・オブラダも買う

で、デビュー曲は・・・よしラヴ・ミー・ドゥも買う

ということでシングルレコードを3枚買うことにした

当時シングルレコードは一律500円だった

レコード店で探す・・・

シー・ラヴズ・ユーのB面はアイル・ゲット・ユー、オブラディ・オブラダのB面はホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス、邦題でギターは泣いている、ラヴ・ミー・ドゥのB面はオール・マイ・ラヴィングだった

この中で、正直一番印象に残らなかったのが失礼ながらデビュー曲のラヴ・ミー・ドゥだった

次にジョージ・ハリソンのギターは泣いているは長く重たく最初の頃は敬遠していた

あとでこの曲のギターソロはエリック・クラプトンだと知って驚いた

確かにジョージ・ハリソンが弾くようなソロじゃないなぁ・・・と

で、全然知らなかったのに一番ハマったのがラヴ・ミー・ドゥのそれもB面になっていたオール・マイ・ラヴィングだった

いきなり歌から始まるこの曲のメロディラインが心に突き刺さった

ここからアルバムも買い、ビートルズを聴きまくった

そしてビートルズのギターも耳コピーしていった


さらにこの頃に念願の大型のシステムステレオが自分の部屋にやってきた

こうしてカセットテープにステレオ録音ができるようになった革新技術を手に入れた

そこから洋楽傾倒人生が始まった

ガットギターにエレキギターの弦を張りピックアップまで付けてカセットデッキのマイク入力端子に突っ込んで弾く

ピッアップの出力が大きいので適度に歪んでディストーションがかかる

今思えばロクな歪音では無かったかもしれないが、当時は喜んで弾いていた

ビートルズを一通り引き倒した次は、ベンチャーズもコピーした

そしてついにハードロックの領域へ突き進んだ

当時アイドル歌手が流行りだしたこの国だったが見向きもしなかった


高校生になったお祝でエレキギターとギターアンプを手に入れられた

ここから本格的にハードロックをコピーし倒した

そしてぼちぼちバンドスコアなる譜面が発売されるようになってきた

当然今や当たり前となってしまった記号であるTAB譜なんて存在しない時代だ

しかし、やはり主流は耳コピーだった

レコードからカセットテープに録音して、カセットテープを何回も何回も再生させながら練習する

難しいところはそれこそ何回繰り返したか解らないほど再生して覚えた

曲を再生しながら最初から最後まで一緒に弾けた時の達成感は感無量だった


さて、こうなるとバンド活動がしたくなる

フォークソングのバンド?活動は経験あるがロックバンドはしたことがない

そこで高校生の時に初めてロックバンドを組んでスタジオ練習に励んだ


ところでバンドを組んでみて思わぬ所に落とし穴があった

実は当時は一応規格では決まっているのだが、レコードプレイヤーもカセットデッキもラジカセも回転数が微妙に違っていたことが普通にあった

レコードプレイヤーで曲をコピーして、カセットテープに録音した同じ曲をかけて合わせて弾こうとすると音程が違うことが起こったりした

また、カセットデッキで再生するのと、ラジカセで再生する時も同じような現象が起こったりした

つまり、規格より回転数が速いと音程が高くなり、遅いと低くなるのだ

バンドで演奏する時に、同じ曲なのに各メンバーが耳コピーしてきたキーが違うなんてことがあったりした

曲が始まると不協和音大会になる

するとまたキーを修正して覚え直す必要がでてくる一大事となるわけだ

なので、バンドメンバーと曲を決める時にキーは何かを先に確認することを学習した

デジタルが主流の現在では音程が勝手に変わるなんて絶対ありえないことがアナログでは普通にあったことが感慨深い


スタジオ練習の時は普段大音量が出せない鬱憤からギターアンプのつまみは全部10、つまりフルテンで演奏していた

ボーカルが聴こえようが聴こえまいがお構いなしに音量を上げる

すると他のメンバーも自分の音が聴こえないので音量を上げるという堂々巡りとなっていった

狭い部屋なのでドラムスの音は生音でも普通に大きい、ボーカルは音量を上げるとハウリングを起こしてしまい一番悲惨だったことは想像するにたやすいことだ

なので、今でもお構いなしに必要以上に音量が大きいアーティストがいると「高校生か?!」と言う合言葉を浴びせられるのが面白い

みんな同じ道を通ってきたんだ


学校の文化祭や地域のホールを借りての自主企画のコンサートなどをしながら音楽活動は進んでいく

新しく出てきたバンドをコピーし続ける日々が続いた

しかし絶対にコピーできないバンド「クイーン」が世に流行りだした時は鮮烈だった

やはりすべて洋楽だ!・・・日本のバンドなんて・・・

という姿勢だったが、ここにきて「世良公則とツイスト」という日本のバンドが世に出てきたのをきっかけに、このバンドのコピーをするバンドが出だした

これは画期的なことだった

ほぼ洋楽ロックバンドのコピーが一般的に当たり前だった時代だったからだ

その後には「サザン・オール・スターズ」のコピーバンドまで出だしたのには正直驚いた

世の中のバンド活動はそこから幅が広くなったと痛感した


私はクロスオーバーという今で言うフュージョンというジャンルに入っていった

ラリー・カールトンやリー・リトナーと言われる名ギタープレイヤーが流行りだした、日本ではネィティヴ・サン、高中正義、カシオペア等のサウンドが流行り始めた

当時はインストルメンタルという歌の入っていないサウンドも大きく支持されていた

そしてとあるオーディションに合格した私はJAZZを学び始め職業音楽野郎としての活動が始まった

そこで知り合いになった有名ギタリストからクラシックもするべきとの助言をもらいクラシックギターも始めた


今でこそ求められれば当然何でもする

いや仕事なのでお金を貰えるレベルの演奏はしないといけない

自身のバンド活動も拘りなく幅の広いジャンルを演奏するが日本語主体のバンドである


「ギター小僧は洋楽だった」

なんて言っていたら生活ができない

それは小僧から大人になったからだけだろうか?


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― 新着の感想 ―
[良い点] おお、色々と懐かしいですね。 自分はたぶんGONJIさんより数年後の世代ですが、声を出さないようラジカセで録音、やってましたよw 自分はロックやニューミュージックあたりをすっ飛ばしてジャズ…
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