井奈美音夢VS喜代田郁裕 ボクサー対レスラー
「あ? 魔王の鉄槌じゃねーのか? 誰だテメー?」
身長170センチを超える音夢先輩ですら見上げる程背が高い角刈り男の身長は185センチ近くありそうだ。
耳が潰れておりレスラーを自称しているのは偽りでは無い事が伺える。
「人に名前を聞く前に自分の名前を名乗るものだと親に教わらなかったのかい?」
「はっ! 俺は喜代田郁裕。女殺しの喜代田とは俺の事だ。今日はベッドで殺されなくてこんな場所で殺されて残念だな」
MIDNIGHT EMPRESS陣営の様子を見てみたら、恥ずかしそうな表情をしており、彼らに対して敵ながら一寸同情しちゃいそうな気持になった。
「自分で女殺しを自称するかい? ……私は伊奈美音夢。君が馬鹿にしてくれたボクサーさ」
「はっ! ボクサーかよ! だから俺の台詞を聞いて腹が立ったってところか? ぎゃはははっ!」
喜代田はわざとらしく腹を抱えて笑い出した。
「何が可笑しいんだい?」
「可笑しいに決まってんだろ! ボクサーなんて格闘技の中で一番弱い競技じゃねーか!」
「そうかい。じゃあ本当にボクサーが弱いのか、君の身で確かめてみれば良い!」
音夢先輩は前後に足を開き、前足の爪先を斜めに向けやや半身になると、右拳を顎の横に置き、左手をだらりと下げると上体をややアップライト気味に構えた。
「それはこっちの台詞だ! さっさと寝転がして、じっくりと可愛がってやらあ!」
対する喜代田は体を正面に向け、両手を前にやり、極端に上体を下げたクラウチングスタイルに構えると、音夢先輩にじりじりと間を詰めて行く。
対する音夢先輩は軽妙にステップを踏んで喜代田の正面に立たない様に周りを回り、徐々に距離を詰め攻撃の圏内に入った。
「シュッ!」
手首のスナップを効かせ、下から上へ叩く様にしてジャブで打つと、喜代田は全く反応できずに瞼に被弾した。
フリッカージャブ
デトロイトの名門ジム、クロングジムで発案された攻撃重視のアウトボクサー向けのスタイルはデトロイトスタイルと呼ばれ、下げた腕による突き出す高速ジャブがこのフリッカージャブだ。
成程。普通のジャブでは極端に上体を下げたレスリングの構えにジャブを当てようとすると額に当たりやすく、ダメージが低そうだし拳も痛めてしまう可能性があるけれど、下から上に突き上げるフリッカージャブならば額よりも下にパンチを当てやすい。
デトロイトスタイルでアウトボクシングをしながら距離を取り、喜代田の周りを回りながら次々とフリッカージャブをヒットさせると、眉間の辺りを中心にみるみるうちに喜代田の顔が膨らんでいった。
「この! ちょこまかとウザッテー!」
痺れを切らした喜代田は間合いが離れているにも拘らず強引に胴タックルを仕掛けようとするが、チョッピングライトという打ち下ろしの右ストレートで喜代田を打つと、眉間から出血が滴り落ちた。
「この……アマ! ぶっ!」
フリッカーで知らず知らずのうちに上体を上げさせられていた喜代田は徐々にジャブだけでなく右ストレートの被弾も増えて行った。
パンチを避ける技術が無い喜代田は音夢先輩にとって良い的でしかないし、反撃をしようにも常に足を使って回る音夢先輩を捕らえようが無い。
レスリングのタックルの距離は総合格闘技よりも短く、接近戦でしか使えない為、アウトボクサーの音夢先輩とは相性が悪いのだ。
首が太く脳震盪になりづらいから喜代田はまだ立ち続けているが、鞭の様なフリッカーを打たれ続けて既に顔がダルマの様に腫れ上がっており、これがルールのある試合ならとっくにTKOで止められている様な状態だった。
「いい加減にしつこいね……障害が残る様な怪我をする前に負けを認めた方が良いんじゃないか?」
音夢先輩は呆れた様に降参を促した。
彼女としてもパンチしか打てない為に決め手に欠けているのだろう。
「けっ! テメーのパンチなんざ蚊に刺されたようなもんだぜ!」
喜代田はまだヤル気なのか? 中指を立てて挑発した。
「そうかい……じゃあ、こっちとしても埒が明かないから全力で行かせて貰うよ!」
今まで全力じゃなかったのか?
音夢先輩はデトロイトスタイルを止め、通常のクラウチングスタイルに構えると重心を落とした。
重いパンチを打つ為にアウトボクサーではなくインファイターの構えに変えた様だ。
「うおおおっ!」
喜代田は足を取ろうとタックルを仕掛けてきた。
下手にパンチでカウンターを取ろうとすれば頭部に命中して打った方の拳が骨折する危険性がある。
だが、音夢先輩はパンチでは無く、掌底の様に掌で真っすぐ喜代田の切れた眉間を突くと、喜代田の上体と顎が跳ね上がった。
間髪入れず左腕を引き戻す反動を利用して放たれた槍の如き右ストレートを喜代田の顎にヒットさせた瞬間、捩じ込むようにして下向きにパンチを捻り、上体を被せた。
このパンチなら以前、武先輩が貸してくれた格闘技のDVDで観た事がある。
K-1ファイターであり、ムエタイでラジャナムダンウェルター級王者にも輝いた武田幸三氏が得意としたチョッピングライトだ。
武田氏は殆ど右ローキックとこの右ストレートだけでKOを量産したように、体重を乗せたパンチを顎に捩じ込むように打つのだから威力は凄まじい。
さしものタフな喜代田もまともにこんなパンチを喰らえばひとたまりも無い。
言葉も発せず、女殺しは女にぶちのめされ、死んだように顔面から地面に倒れた。




