ボクサーを馬鹿にするな
「凄かったよ麗衣ちゃん!」
勝子先輩は甲斐甲斐しくタオルと鼻血を止める為のポケットテイッシュを持って麗衣先輩を迎えた。
「ああ。一寸油断してたからまともに喰らっちまったけど、あんな極端な半身ならローキックが当てやすいし、接近してからの乱打戦に弱いだろうと思ったからな……にしても噂のワンインチパンチとやらを喰らってみたかったけれどな」
格闘技界隈で最近話題の寸勁は演舞では確かに強力そうだが、プロ格闘技の試合で使いこなしている選手は観た事が無いし、実戦の際に動き回る相手に正確に当てて、威力を発揮する事が出来るのか疑問である。
瓦割で多くの瓦を割る事が出来ても、それが実戦では役に立たないのと同じである。
「でも油断して何時も最初に良いの喰らっちゃうのは麗衣ちゃんの悪い癖だよ?」
普段は麗衣先輩を崇拝している勝子先輩もこういう時だけは批判するのは麗衣先輩の事を本当に想っているからだろう。
「心配かけちまってワリィな」
麗衣先輩は渡されたテイッシュで鼻血を拭いながら、勝子先輩の頭を撫でていた。
「オラぁ! まぐれ勝ちで良い気になんなよ!」
次のタイマン相手と思しきシャツ姿で腕と足が異様に太く、潰れた耳の角刈りの男が橋の中央に来ていた。
「アイツは確か勝子を馬鹿にしていたレスリング野郎だよな……お前が行くか?」
MIDNIGHT EMPRESSはニヤニヤ動画で麗を挑発しており、その際にあの男は「俺のレスリングで魔王の鉄槌とか呼ばれてるチビ女をフォールして失神させてやるよ! ボクサーなんざ捕まえちまえば雑魚だ!」等とほざいていたのだ。
「うん。あの男には私がこの世の地獄を見せてあげるつもりだから♪」
勝子先輩の台詞に場の空気が凍り付いた。
彼女が機嫌が良さそうに怖い事を言う時は大抵の場合、相手が再起不能レベルに叩きのめされる為、仲間である自分達もドン引きしてしまうのだ。
あの男死んだな。
鼻や顎や歯を砕かれ、鮮血にまみれた男の姿を想像していると、空気を読まずに音夢先輩が挙手した。
「周佐さん。この喧嘩、私に譲ってくれないかな?」
以前、喧嘩は嫌いだと称していた音夢先輩の思わぬ提案に勝子先輩は首を傾げていた。
「如何してですか? 私が喧嘩を売られたんですから私が相手するのは当然です。それとも私が負けるとでも思って心配しているんですか?」
ボクサーとしての実力は音夢先輩とほぼ互角だとして、ルールが無い喧嘩であれば圧倒的に勝子先輩の方が強いだろうけど、麗との関りでは日が浅い音夢先輩が勝子先輩の喧嘩の実力をまだよく分かっていない可能性もある。
「そりゃあ、心配もするさ。但し、君が相手を殺しかねないと言う意味だけれどね」
流石に一度一緒に戦えば勝子先輩が喧嘩でも途轍もない実力である事ぐらいわかるか。
「だから、私が行った方が少なくても相手を殺しはしないってのもあるけど、そんな事よりか彼はボクサーを馬鹿にしたらしいじゃないか? だからそれが許せなくてね……ここは私に譲ってくれないか?」
成程、喧嘩嫌いの音夢先輩が戦いたがっているのはボクサーの矜持を保つ為か。
「……そうですか。分かりました。アイツはじかにぶち殺したいところでしたが、気持ちもわかりますし、音夢先輩が他の格闘技相手に如何戦うのか、見てみたいですしね」
流石の勝子先輩も一つ年齢が上で同じ部活の部長である音夢先輩の頼みは断りづらかったみたいだ。
「但し、万が一でも負けたら部長の座は私に譲ってくださいね」
「はははっ! そう来たかい! でも私が引退するまでは部長の座を譲る事はないよ? 何故なら私は絶対に負けないからね!」
そう言いながら、我らが部長の音夢先輩はレスリング男のもとへ向かった。




