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とある世界戦が潰れた理由

 今から二年前。


 ボクシングの世界タイトルマッチが組まれ、日本で試合が行われる事になった。


 金剛石ダイアモンドレフトと呼ばれ高いKO率を誇る正規王者、山田信介とダウン経験の無い無敗の暫定王者でメキシコ人とフィリピン人のハーフである、ルイス・カネシロのタイトルマッチは試合前からカネシロがSNSやメディアを通して執拗に挑発し、対する山田陣営もヒートアップし、試合前から多くのボクシングファンから注目を集めた。


 日本人のボクシングファンは報道を通して日々繰り返されるカネシロの挑発にいきり立ち、この試合で山田が完膚なきまでに叩きのめしてくれることを期待していた。


 ところがファンが一日千秋の思いで待ち望んだこの試合は行われる事が無かった。


 直前になりカネシロは試合をキャンセルし、帰国すると同時に引退を発表したのだ。


 世界戦を目前にした突如の引退宣言という前代未聞の行為に母国のフィリピンメディアもカネシロに詰め寄ったが、カネシロの口から理由が語られる事は無かった。


 ボクシングファン達は拍子抜けするとともに、様々な引退理由の憶測が飛び交った。


 やれ山田との対戦を怖がっただの、やれファイトマネーが安くてカネシロ陣営のプロモーターと揉めただの、はたまたマフィアに脅されて試合が出来なくなったなど物騒な噂まで、様々な報道がまことしやかに行われた。


 だが、一年後、騒ぎがすっかり忘れ去られ沈静化した頃に、憑き物が落ちた様なすっきりとした表情で語るカネシロの口から驚愕の内容が告げられたのだ。





―俺はあの時、完璧な仕上がりのつもりだった。あとは軽い調整のつもりでアマチュアボクサーをスパーリングパートナーに招いた。―


―ナオヤ・イブキというボクサーだ。―


―聞いた事が無いって? そりゃあそうだろう。―


―彼はジュニア・ハイスクール・スチューデントのアマチュアボクサーだったからね。―


―結果は如何だったかって? 一分持たなかったよ。―


―え? それはナオヤが一分持たなかったって事かい?―


―……ハハハッ! 皆そう思うよな。でも違うんだ。―


―倒されたのは……俺なんだ。―


―……何? 信じられないって? いやいや。神に誓って嘘なんか吐いていない。―


―まだ信じていないって顔だね? それは仕方が無い。―


―俺は仮にも世界暫定王者、彼はジュニア・ハイスクール・スチューデントの無名のアマチュアボクサーだからね……―


―誰よりも、一番信じられないのは俺自身だった。だが、百万回だって神に誓って嘘じゃないと言って良い。―


―これはまごう事の無い事実だ。―


―俺はナオヤ・イブキの一撃……ファーストコンタクトでKOされてしまったのだ。―


―世界暫定王者であるこの俺が1分も持たずにな。秒殺だよ。―


―ナオヤがミドルウェイトぐらいだったんじゃないかって?―


―いやいや。彼は俺と同じスーパーバンタムウェイトどころか、せいぜいフライウェイト程度で俺よりも一回りも小さな少年だった。―


―何? おとぎ話じゃないかって?―


―ふうっ……確かにこれがおとぎ話であればどれだけ俺は救われたことだろうか。―


―だが、これはおとぎ話じゃない。これがおとぎ話なら、今日俺はここでこんな話をしていない。―


―俺はナオヤにマットに沈められた後、その場ですぐに引退を決意した。―


―あの後、仮にシンスケ・ヤマダを倒して正規王者になれたとしても、俺は真の世界一じゃないと知ったからだ。―


―つまり、俺には王者を名乗る資格なんか始めから無かったってことさ。―


―その事に気付かされた俺はボクシングを辞めた。これがあの時の真実の全てさ。―





 つまりカネシロの言うナオヤ・イブキによりカネシロと言う選手と共に世界戦は潰された様なものであり、マスコミは正体不明の中学生・伊吹尚弥を『世界戦潰し』と持て囃した。


 カネシロから告げられたこの衝撃の話は一時期話題になり、『世界戦潰し』を行った伊吹尚弥という謎の少年の正体を明かそうとマスコミも躍起になった。


 ところが、調べるにつれ、伊吹尚弥については不審な点しか浮かび上がら無かった。


 この時の事は何故か関係者に箝口令が敷かれており、そもそも中学生に過ぎない伊吹尚弥が何故スパーリングを行えたのかすら明らかにされず、公式の試合の出場記録も無く、それどころか伊吹尚弥の行方すら不明であり、死亡説まで囁かれた。


 マスコミは多大な違約金を課せられたカネシロが注目を集める為に思いついた虚言と結論付け、この話題は実在したかどうかも定かでない伊吹尚弥の名と共に伝説と化し、間もなく忘れ去られていった。

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