ご主人様との誓い
―遡ること数十分前の立国川病院
手術が終了すると、勝子はそのまま病室に運ばれた。
すぐにでも勝子と会いたいところだが、ご家族と会うのが先だ。
後からやって来たご家族の方に軽く挨拶をすると、勝子の御両親とお兄さんは病室の中に入っていった。
俺達が廊下で待っていると病室からテレビでも観た事がある勝子の兄である元アマチュアボクシング王者で総合格闘家の経験もある周佐克季さんが出て来た。
「あの……勝子さんは如何でしたか?」
俺は恐る恐る克季さんに聞いた。
「ああ。今は麻酔が効いて寝ている……折角来て貰って話が出来なくて恐縮だけど……」
「そうですか……」
「もしかして、君がタケル君かい?」
面識のない克季さんに名前を当てられ、俺は驚きながら答えた。
「あっ、ハイ。小碓武と言います」
「そうか、やはり君が武君か。何時も勝子が君の事を話していたよ……」
「え? 俺の事を……ですか?」
俺が自分を指さして訊ねると、克季さんは肯定するように頷いた。
「そうだよ。武って言う凄い男の子が居て、アイツに負けてられない、アイツにだけは負けたくないって言って、ボクシングと空手を再び始めたんだよね……君の話をする時、勝子はとても楽しそうだったよ」
まさか家でも勝子が俺の話題をしているとは思わなかった。
「君のお陰で俺が叶えられなかった夢を勝子が叶えてくれると思った……だから嬉しかったんだ……でも……でも……アイツは!」
そこまで言うと克季さんが嗚咽を始めた。
「何故だ……何故俺だけじゃなく、勝子からまで夢を奪うんだ? 神とやらが存在するなら何でこんな理不尽が許されるんだ!」
以前、勝子から克季さんは全日本選手権で優勝しながら五輪予選に出場できず、夢を諦めた経緯を聞かされたことがある。
だから、克季さんは勝子に期待して自分の叶えられなかった夢を託すつもりだったのかもしれない。
そこへ涙目の御両親が病室から出て来た。
「君が小碓君?」
勝子のおばさんが訊ねたので「ハイそうです」と頷いた。
「今勝子が目を覚まして、勝子が君に話があるって……話を聞いてあげれないかな?」
「ハイ……分かりました」
俺は病室のドアを開き中へ入っていった。
◇
病室に入ると、包帯を巻いた太腿を布団から出し、勝子がベッドに横たわっていた。
「勝子……」
俺が如何やって声を掛けてやれば良いのか分からずにいると、勝子から明るい調子で声を掛けて来た。
「きゃはははっ! ナニその辛気臭い顔! チョーウケルんだけど!」
だが、それが空元気である事は明白だった。
「しっかし、油断したなぁ~まさか銃なんかいきなり撃ってくるとは思わなかったしね」
「ああ。銃なんか使われなきゃ、勝子がやられる訳ないもんな」
「……本当にそう思うよね。で、アンタ何でここに居るの?」
勝子は話さなくても麗衣がここに居ないのは、伊吹達を潰しに行った事を悟ったのだろう。
そして、何で俺が何故麗衣と共に行かないのか訊ねているのだ。
「そりゃあ、勝子を慰める奴が一人ぐらい居た方が良いだろ?」
「結構よ。流麗ちゃんが居るんでしょ? あの子のおっぱいがあれば十分満たされるから♪」
「ああ。そうかも知れないな」
「そうよ。だからアンタなんか要らないんだからね……アハハハ……うっ……ぐっ」
無理に冗談を言って取り繕おうとしていた勝子はついに限界を迎え、堰を切ったようにして泣き出した。
「……いつか、いつの日か……こんな日が来るんじゃないか……私が麗を造って以来……そんな予感はしていた……姫野先輩も危惧していた……でも……でも……それでも……」
「勝子!」
上体を起こそうとする勝子を助け起こすと、俺の胸の中に顔を埋めて嗚咽を始めた。
「うわあああん!」
俺は勝子をそっと抱き寄せて泣くのを任せるしか出来なかった。
「でも……やっぱり悔しい! ……麗衣ちゃんを手伝うのも……オリンピックに出る夢も……こんな形で終わるの……悔しい! 悔しいよぉ!」
「勝子」
こんな時に、何と声を掛けてやれば良いのか分からない。
だが、俺は勝子の為に一つ、いや、二つ決意した事がある。
「勝子……こんな時に悪いけど……」
俺が心を鬼にして言おうとした言葉を勝子は俺の唇に指を当てて遮った。
「……分かってるよ……でも、アンタがそれを言っちゃ駄目。アンタは私の下僕なんだから」
勝子は涙を拭うと、精一杯の笑顔を見せた。
その笑顔は余りにも痛ましく、このままこの場に留まりたい誘惑にかられたが―
「命令よ。香織と麗衣ちゃん達を助けに行って。そして、伊吹尚弥をぶちのめしてきなさい!」
俺の迷いを断ち切らせるように勝子は命じた。
「ああ。必ず香織も麗衣も助けて、伊吹に地獄を見せてやる!」
本当は勝子自身の手で伊吹に借りを返したいのだろうし、攫われてしまった香織や苦戦が予想される麗衣を助けに行きたいのだろうが、それが叶わない今、俺に託してくれるという事だ。
「流麗を残していくから、困った事があったらアイツに言ってくれ」
「うん。やっぱり武なんかより流麗ちゃんの方が抱き心地がいいからね♪」
「ハハッ! 違いねぇや!」
「じゃあ、さっさと行って、何時もみたいにちゃちゃっとぶっ飛ばしちゃいなさい!」
勝子はしっしと追い払うような仕草で俺に行くように促した。
「ああ。ご主人様の命は必ず守ってやるよ……必ずな……」
俺は軽く手を振ると、決意を新たに病室を後にした。




