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睡眠術士の腕枕  作者: 春戸稲郎
6/13

お泊まりといえば……

 

 五月半ばの土曜日。

 大型連休の終わった学生ならば、夏休みまでの長い日数を数えてはため息のひとつも出るころ。

 その日の朝は、桐山蘇鉄にとってことさら憂鬱だった。

 いや、「憂鬱が来るのを知っている」と表現すべきか。

 輪をかけて悪いことに、その〈憂鬱〉は、かなり早い時刻に玄関のインターホンを鳴らしてきた。

 午前九時。朝食を摂って洗濯機を回してリビングで掃除機をかけている最中のことで、桐山は「もう来やがった」と思った。

 ふたつある本音のひとつである。

 もうひとつは……

「……本当に来やがった」

「ひどいよう。そてっちゃん」

 ドアの向こうで家主から渋面を向けられたので、当然来客である麻倉は悲しそうな顔をした。双方ともに半分は冗談なのだが。

 リュックを背負ってやってきた麻倉は、桐山の指示で自転車をガレージに停めた。

「入るか?」

「うん」

「本当に入るか?」

「え? 何事? この家ゴミ屋敷?」

「張り倒すぞ。……どーぞ。狭い家ですが」

「わーい」

 ため息を堪えつつ、桐山は客を迎え入れた。

「お邪魔しまーす。……ああ、忘れないうちに、お土産」

 そういって麻倉はリュックの中から菓子折りを取り出した。

 如才のないことだと桐山は思った。

「別にいいのに」

「母ちゃんが持ってけっていうから。そういえば、そてっちゃんのお父さんとお母さんは?」

「親父は修学旅行の引率。母親は友達と旅行。どっちも明日帰ってくる」

「じゃあ、今夜はふたりきり、だねっ」

「あーそーだなー」

 あえてつっこむまい。素っ気なく桐山は菓子折りを抱えてリビングに入った。

「ってゆーか、こんなに早く来てどーすんだよ」

 文句をいいたいだけではない。桐山には「どうすべきか」がわからなかった。

 クラスメートが自宅に泊まりに来るなど、桐山には初めてのことだったから。

「こんな朝っぱらから昼寝でもさせてくれるってのか?」

 眠らせることができる。

 そう宣言した麻倉の今回の目的は、桐山を熟睡させることである。

 桐山に続いてのそのそとリビングに入ってきた麻倉は、きょろきょろと家の中を見渡してから、リュックを置いた。

「朝寝も気持ちいいけどね。それは夜のお楽しみに取っておこう」

「あーそう。じゃ、ゲームでもするか? それともべんきょ……」

 菓子折りを置いて台所から戻ってきた桐山は、ぎょっとした。

 何のつもりか、麻倉が……ベルトを解いてズボンを下ろそうとしていた。

「ちょっ、おまっ」

「まぁまぁ、そてっちゃん。今日は俺に付き合ってちょうだいよ」

 そんなことをいう麻倉は、いつものむにゃむにゃ顔で笑うのだった。

「せっかくのお泊まりなんだからさ」




 桐山蘇鉄は息を喘がせていた。

「も……やめてくれ。……限界だって」

「まだまだ、これからだよ、そてっちゃん」

 額を汗で濡らす桐山の耳元で、麻倉が囁いた。

 麻倉与一はぴったりと密着して、桐山の体に覆いかぶさっている。

「頼む。マジで勘弁してくれ」

「ダーメ。ほら、脚開いて」

 涙目になりながらの桐山の懇願はあっさりと拒否される。

「いくよ? せーの……」

 ぎゅっと、麻倉が桐山の体に体重を預けると……

「あだだだだだだだっ!」

 学校指定のジャージ姿の桐山は、苦悶の悲鳴を上げた。

 その姿勢は、開脚しての前屈。

 もっとも、開脚といっても直角にさえ広がらず、前屈といってもほとんど前に倒れていない。

 それを麻倉は背後で補助する。両手で桐山の両脚を広げさせ、ぐいぐいと胸を押し付けて体を前に倒させる。

 される側の桐山にとっては〈補助〉ではなく〈拷問〉の類である。

「もー無理! もー無理!」

「無理じゃない! まだまだ!」

「ちぎれるちぎれる!」

「ちぎれない! 伸ばして伸ばして!」

 座卓をどかした桐山家のリビングにて、ふたりはやいやい叫びながらストレッチを行った。

 一分後にようやく解放された桐山は、首にかけたタオルで額の汗を拭った。

「……んの野郎……絶対蹴飛ばしたの根に持ってるだろ……」

 桐山と同じジャージを着る麻倉は、やれやれといいたげに首を振った。

「そてっちゃんの体が硬すぎるんだよ。日ごろから柔軟しないと」

「じゃあお前やってみろよ」

「いいよ」

 直後、朝倉の体は床の上で、「土」の字になった。非の打ち所のない開脚と前屈を披露され、桐山は何もいえなかった。

 人間の体ってそんなんなるのか、と桐山が思っていると、麻倉が立ち上がった。

「ストレッチも済んだし、まずは何からやろっか」

「……ひとついいか?」

 桐山はずれた眼鏡を直し、汗ひとつかいていない麻倉に尋ねる。

「なんで筋トレ?」

「え? お泊まりっていったら筋トレでしょ?」

「そんなわけ、」

 ない、とは、いい切れない。ほかはともかく友人の少ない桐山には断言できない。

「……初めて聞いたよ」

「ほんと? 中学の修学旅行のとき、旅館で友達と腕立て伏せ大会やったけどな」

「馬鹿なレクリエーション」

「馬鹿だけど面白いよ?」

「見てる分にはな」

 ちくしょうめ、と吐き捨てる桐山に、麻倉は手を叩いて仕切りなおす。

「最初は体幹から鍛えていこう! まずはプランク!」

「あ? プランク?」

「俺も一緒にやるから。さ、俺の真似して」

「……ったく」

 渋々、嫌々、桐山は麻倉に従った。

 一言「いやだ」といえば済む話だった。「筋トレなんかやってられるか」と。

 しかし麻倉を泊めることから始まっている桐山の、理由がなければ断れない性格が災いして、付き合わざるをえなくなっていた。

「はい! 追加であと30秒!」

「くそがあ」

 ……結局、麻倉トレーナーによるしごきは昼まで続いた。ランニングで締められたトレーニング後は、疲れすぎて桐山は、ほとんど昼食が喉を通らなかった。



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