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睡眠術士の腕枕  作者: 春戸稲郎
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馬の耳に念仏(鼓膜を破る声量で)

 

 体が重い、と家を出るときにはちゃんと自覚していた。その症状が気のせいではないということも。

「おは……そてっちゃん、具合悪い?」

「……平気だよ」

 しかし隣の席の麻倉に指摘されると、桐山は反射的に否定してしまった。

 通学鞄をどさりと机の上に置き、自分の体をどさりと椅子の上に置いた。

 できればほっといてほしい。何もいわせないでほしい。

 それが桐山の願いだったが、麻倉はずけずけと踏み込んでくる。

「平気ってことないでしょ。顔色が……」

「頼む。黙れ」

 端的に要望を伝えると、麻倉は押し黙った。

 せっかく心配してくれているのにあんまりな態度だ……ということは本人もわかっている。罪悪感を覚えもする。が、普段から隣の席の男には迷惑をかけられている。どんな会話を積み上げてもきっと苛立ちしか募らない。

 しかし体調が優れないのは事実である。

 早退すべきだろうか、でも親に余計な心配はかけたくない、でもこんな体で今日一日を乗り切れるだろうか、でもすでに麻倉には虚勢を張ってしまった。

 でもでも、でも、と考えているうちに、チャイムが鳴り、一時間目の授業が始まってしまった。

 起立、礼、着席……その動作でさえ辛い。

 そんな調子なので英語の教科書を読み上げる教師の声など呪文にしか聞こえなかった。まったく頭に入らない。

 頭が重い。座っていても体力を消耗する。

 そんな状態でも桐山は、頭の隅で、今晩の夕食の献立は何にしよう、などと考えていた。それが自分の責務であるかのように。

「……桐山。おーい、桐山」

 教壇から自分の名前を呼ばれ、反射的に桐山は教科書を手に立ち上がった。

「すみません、えっと……」

「いや、違う違う。どうした、ぼーっとして」

 男性教師の問いかけに、桐山はずれてもいない眼鏡を直す素振りを見せた。

「すみません。なんでもありません」

「おう。毎度頼んで悪いけど、俺の授業で睡眠学習に挑戦する不届き者を起こしてやってくれ」

 教師がチョークで桐山の隣を指した。

 くすくすとクラスメートが笑う中、桐山は魂を吐き出すようなため息をついて、隣を見た。

 驚くことはない。また麻倉が居眠りをしているだけのこと。

 よほど深い眠りなのか、ぐうぐうといびきまでかいていた。

「麻倉、起きろ。麻倉」

 桐山はクラスメートに見詰められながら、眠る麻倉の肩を強く揺さぶった。

 起きる素振りさえ見せない麻倉に、ふつふつと、桐山の腹の底で感情が煮えはじめた。

「おい、麻倉、起きろよ、おい」

「んー……」

 安らかな寝顔を見せていた麻倉は、迷惑そうに身をよじった。そして枕にしていた自分の両腕の上で、ぷい、とそっぽを向いた。

 あくまで居眠りを続行するつもりの麻倉に、クラスメートたちは笑った。注意しなければならないはずの教師も苦笑していた。

 笑っていないのはひとりだけ……笑わず、鉄のような冷たい表情で麻倉を見下ろしているのは、ひとりだけ。

 うまく眠ることのできない人間の気も知らず、あまつさえ煙たがった。

 桐山蘇鉄の耳から周囲の音が消え……苛立ちが我慢の限界を超えた。

「……っざけてんのかオラぁっ!」

 叫び、桐山は踏みつけるようにして麻倉を蹴り飛ばした。椅子ごと、乱暴に。

 蹴られた朝倉はさすがに驚いて机からがばりと体を起こした。その次の瞬間には、桐山によってブレザーの胸倉を掴まれて引き起こされた。

「人を舐め腐りやがってこの野郎! 痛い目見なきゃわかんねーのか! そんなに眠てーなら学校に来るな! 今すぐ帰れ! ここから消えろ!」

 お互いの額がぶつからんばかりに顔を近づけて怒声を浴びせる桐山に、目を丸くした麻倉は、金魚のようにぱくぱくと口を開くだけで、何も喋らなかった。

 肩を上下させて感情を吐き出した桐山は、おい、と教師に声をかけられて、我に返った。

「桐山……その辺に、しておけ。な?」

 諌めようとする不安げな表情の教師を見て、麻倉の胸倉を掴む手を緩めた。

 さっと、体温が低くなる。

 教室を見渡すと、授業を受けていたクラスメート全員が、驚愕の表情で桐山を見つめていた。

 やってしまった。

 今度は桐山が言葉を作れなくなり、無言のままに着席した。

 気まずい雰囲気のまま授業が再開する。

 チャイムが鳴るまで、桐山は顔を俯け、前を向かなかった。

 周囲のクラスメートたちは、授業を受ける振りをして、桐山に注意を向けつつ、しかし意識的に彼を見ないようにしていた。

 ただひとり、麻倉与一だけは、心配そうな表情で桐山を見ていた。



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