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第十九章

リュウは勇気を振り絞って、ドアをノックした。

「アンジェラ」リュウはドアに頭をつけて言った。「俺だ、リュウだ。ドアを開けてくれ」

数秒待ったが、答えはなかった。ドアの向こう側から物音は聞こえない。リュウの心に不安が広がる。今度はもう少し強くノックした。

「アンジェラ、頼むから起きてくれ。ドアを開けて・・・」

言い終わらないうちに、ドアが開いた。リュウは、ぼやけた人影に抱きつかれた。とても強く抱きつかれたので、リュウはよろめき、思わず後ずさりしてしまった。アンジェラだ。アンジェラはリュウの腰のあたりに、しっかりとしがみついてきた。不意をつかれたリュウは、両手を宙に浮かせたまま、どうしたらいいのかわからなかった。だが、アンジェラの懐かしい香りがすると、リュウの心は温かくなり、安心感が広がった。

「リュウ、無事だったのね!」リュウに抱きついたまま、アンジェラが叫んだ。

彼女の頭がリュウの胸にもたれかかっている。アンジェラは、抱きついたまま離れようとしない。部屋の外にいることも、時間がないこともわかっていたが、アンジェラの感極まった声を聞いて、リュウは少し待とうと思った。アンジェラは、この瞬間をどれほど待ち焦がれていたのだろう。もしも二人の立場が逆だったら、リュウも同じように感極まるだろう。

「本当にリュウなのね?」アンジェラが言った。「横になって、眠ろうとしたら、ノックの音と声が聞こえたの・・・リュウの声に聞こえたけど、きっと空耳だって、最初は思ったわ。そうしたら、またノックの音がして、あなたの声がはっきり聞こえたから、飛び上がって起きて、神様に、夢じゃありませんようにってお祈りして、それから・・・」

「本物だよ。ちゃんとここにいる。俺だよ、アンジェラ」リュウは少し笑いながら言った。少し身体をかがめ、アンジェラを両手で抱きしめた。「心配するなよ。俺は大丈夫だから、でもな・・・あまり時間がないんだ、アンジェラ。俺と一緒に来てくれ」

アンジェラは少しだけ、リュウに抱きつく力を弱め、リュウの顔を見上げた。アンジェラはやっと、リュウが衛兵の制服を着ていることに気がついた。そして、驚いたように、まばたきを繰り返した。「どうしたの、その服?」

リュウは左手でアンジェラを抱きしめながら、右手を上げて頭をかいた。「ここから安全に脱出できるように変装したんだ」

アンジェラは怪訝な表情を浮かべた。「いったい・・・何の話?」

「いいかい、頼むから、俺を信用して、話を聞いてくれ。そして、できれば一緒に来てほしい。俺たちの命が危険にさらされていることは確かだ。GWOはある実験を成功させたら、俺たちを皆殺しにするつもりだ」リュウは廊下の様子をうかがいながら、要点をアンジェラに伝えた。「ここから逃げ出さないといけないんだ、アンジェラ・・・今すぐに。さもないと、手遅れになってしまう」

リュウは要点だけをざっと話したが、父親からの手紙や、ターボが見張りをしていることは話さなかった。話し終わると、リュウはアンジェラの身体をそっと離して、アンジェラの目をまっすぐに見つめた。

「信じてくれ、俺は君を助けたいんだ」リュウは少し強い口調で言った。

リュウはアンジェラの返事を待った。「イエス」と言ってくれ、お願いだ。

アンジェラはリュウから身体を離し、リュウの左手を軽く握ると、ゆっくりと背を向けた。リュウは息をのんだ。アンジェラが部屋に入ってしまうと、リュウは両腕を下ろした。

だめか、と思った瞬間、服がリュウの顔に飛んできた。アンジェラの香りがする。その服が床に落ちると、部屋の中の様子が見えた。リュウは驚いた。暗い部屋の中でアンジェラが服を脱いでいた。リュウの方には背を向けていたが、一糸まとわぬ姿だった。

リュウは思わずまばたきをし、それからしっかりと目を閉じた。

「いったい・・・何してるんだ?」

「何してるって、どういう意味?」アンジェラがいつもの調子で言った。「私はあなたと一緒に行くわ。当たり前でしょう」いつもの服に手を伸ばしながら、アンジェラが言った。

 「君は何も着てないじゃないか・・・」リュウは口ごもりながら言った。顔を手で覆い、自分のイヤらしい考えを追い払おうとした。

 「じゃあ、のぞかないでよ」アンジェラが事務的な口調で言った。

 数分後、アンジェラは着がえ終わり、所持品を詰め込んでドアに戻ってきた。

 「大丈夫よ。もう目を開けなさい。もう着がえ終わったから。まったく、男って・・・」アンジェラはイライラしながら言った。

 リュウは恐る恐る、顔を覆っていた指を広げ、片方の目を開いた。視線を上げると、アンジェラが怒っている。アンジェラは何かブツブツ言っていたので、きっと気分を悪くしたのだろう。リュウは目を覆っていた両手を下げた。アンジェラはバッグを持ち、足踏みして待っていた。

 「ねえ、行くの、行かないの?」

 そう言われて、リュウは安心して目を閉じた。

 「もちろん、行くよ。こっちだ」

 リュウとアンジェラは廊下を走りぬけ、B棟の入り口に向かった。

 「急がないと。ターボが入り口で待っているんだ」

 「私は大丈夫。あなたのスピードについて行けるから」

 ターボが二人の視界に入ってきた。ターボはイライラしているようだ。神経質にあらゆる方向に視線を走らせている。手には手紙を持っているので、見取り図を確認していたようだ。脱出経路でも考えているのだろうか。

 「ターボ」リュウは足を早めた。

 「やっと来たか」ターボがイライラして言った。「二人とも無事だな」

 「ああ。そんなに時間はかからなかったよな」リュウが決まり悪そうに言った。

 「フン」ターボは腕組みをすると、視線をそらした。

 「見張り、ありがとう。お前はいつでも頼りになる。感謝しているよ」 リュウはねぎらいの言葉をかけた。

 ターボは少し表情を和らげ、ウンと頷いた。「まあ、気にするな」と言うと、今度は真面目な口調で話し始めた。「聞いてくれ、脱出経路を考えたんだ」

 「さすがだな」とリュウが言った。

 ターボは見取り図を広げ、大きな×印がついている場所を指した。

 「いいか、これを書いた人間が誰かはわからないが、その人物は脱出経路まで考えておいてくれたようだ。俺たちは、大きな×印まで行けばいいみたいだ」とターボが言った。

 「そのようだな」リュウは見取り図を見ながら言った。「問題は、×印が、ここからだと施設の反対側にあるってことだ。ここにたどり着くまでに、誰かに見つかってしまったらおしまいだ。注意しないといけないな」

 「その通りだ。さあ行こう」ターボが言った。

 ターボが手紙をコートに戻すと、後ろで大きな声が響いた。

 「そこのお前たち」誰かが叫んだ。「何をしている?」

 リュウとターボがドアの方を振り返ると、女子寮の方から女性の衛兵がこちらに向かってくるのが見えた。女子寮に問題がないかを確認するために巡回していたのだろう。あるいは、三人の話を聞かれたのかもしれない。

 リュウはとっさにアンジェラの腕をつかんだ。

 「こっちに来い!」リュウは叫んだ。「急げ! 時間がないんだぞ!」

 リュウは振り返ってターボを見た。

 ターボはリュウの真後ろにいた。あっけにとられながらも、状況を理解しようとしていた。やがて、ターボは咳払いすると、目を閉じて、できる限り本物らしく、衛兵の口調を真似し始めた。ターボはアンジェラの方に身体を傾け、軽蔑を込めた目つきで見下ろした。

 「聞こえねぇのか」ターボはそう叫ぶと、アンジェラの腹部を蹴った。アンジェラは身体を丸め、すすり泣きを始めた。リュウはそれがアンジェラの演技であることを願った。「さあ、立ちやがれ!」

 リュウはターボが作戦を理解してくれてホッとしたが、同時にターボのどこか自己満足げな、下手な芝居を見せられて少し不愉快な気分になった。リュウは、ターボの蹴りを制止しそうになったが、ここで止めたら、偽の衛兵だということがばれてしまうため、腕組みをしたまま監視している振りを続けた。女性衛兵に疑われてしまってはマズい。

 ターボのやつ、もっと手加減しろよ、と思ったが、ターボもアンジェラを傷つけたくはないはずだ。このシナリオを信じてもらうためには、こうするしかないんだ。

 リュウは、女性衛兵の関心を自分に向けさせようと思った。

 「我々は命令を受けている」リュウは不機嫌な衛兵の口真似をした。「このクズを隔離部屋に連行する」

 リュウはターボに、アンジェラを立たせるように合図した。ターボはうなずき、アンジェラの腕をつかんだ。ターボは、安心しろ、とでも言うようにアンジェラにウインクした。しかし、リュウはアンジェラが顔をしかめたことを見逃さなかった。ターボも痛々しい表情を浮かべたが、すぐに切り替え、本物の衛兵らしく、アンジェラを無理やり立ち上がらせた。

 「ちょっと待て」女性衛兵が叫んだ。

 三人の身体が固まった。バレたか。三人には二つの選択肢がある。ひとつは、この場から逃亡すること。この場合、衛兵は非常警戒態勢に切り替えるはずだから、おそらく、三人とも殺される。もう一つは、可及的速やかに、この女性衛兵を始末すること。あまり騒がれずに始末できれば、無事に脱出できるだろう。いずれにせよ、すぐに決断しなければならない。

 リュウはちらりと、女性衛兵を見た。リュウはこの地獄から逃げ出すためなら、何でもする覚悟でいた。

 女性衛兵は一歩、また一歩とリュウに近づき、ついに、リュウの真後ろに立った。リュウは女性衛兵の出方を待った。ターボとアンジェラも動きを止め、最悪の事態に備えた。

 「命令書を落としたぞ」女性衛兵は手紙を差し出した。

 リュウの父親からの手紙だ。ターボがコートのポケットに押し込んだとき、誤って落としたのだろう。リュウははっと息をのんだ。

 「これは失礼」 リュウは手を伸ばし、女性衛兵から手紙を受け取った。女性衛兵は回れ右をして、巡回へと戻って行った。

 リュウは息を飲み込み、ターボを見た。ターボもかなり緊張していた。三人が機転を利かせたことで、今回の危機は乗り切ることができたが、一歩間違えばすべてが破綻する可能性もあった。リュウはシビアな気分に戻った。無駄にしている時間はない。

 「手紙は俺が持つよ」リュウはターボに告げた。

 ターボは面目ないという表情をした。それからアンジェラの方に振り向いた。

 「蹴って、ごめんな」

 「いいのよ。どうなることかと思ったけど、うまくいったわね」

 「ああ、そうだな・・・リュウの後に続け。俺は最後尾につく」

 リュウはエレベーターエリアに着くと、周囲の様子をうかがった。リュウは人影がないことを確認し、ターボとアンジェラに、ついて来るように合図した。三人は最初の障害をうまく乗り越えることができたが、地図の×印に着くまでには、さらに厳しい試練が待ち構えているだろう。考えれば、アカデミーに入ってからというもの試練の連続だった。この脱出作戦も、一筋縄ではいかないだろう。

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