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 段々、批判になってきましたが、もう少し続けます。

 

 最初に、この家族はある種充足していると言いました。それは、彼らの相互の愛情の事で、この愛情は社会的に追い詰められて崩壊してしまうのですが、この愛情までもが偽物というものではないと思います。(一部そう匂わせる所もありますが、全体的にはそうではないと思います)


 だから、リリー・フランキーと男の子がキャッキャ遊ぶ場面は、その背後に残酷な現実がある事が感じられつつも、我々は微笑ましく見る事ができる。そこでは、確かに愛情の相互交流はあるわけです。


 ここではだから、奇妙な貧困・疑似・犯罪家族の人生があるわけですが、愛情はないわけではないです。僕はこのポジションにおいて、是枝監督は本当の地獄を描ききっていないと思います。では、本当の地獄とはなんでしょうか。


 「黒子のバスケ脅迫事件」という実際に起きた事件があって、犯人が自分の動機を長々と話しています。彼は知性高く教養もあり、そこらのインテリより数段優れた文章を書いています。その中で彼は「そもそも自分には愛する事自体が不可能だった」と言っています。例えば、交通事故で愛する人を失ったというのは確かに悲劇には違いないが、自分にはそもそも「愛する事自体」が不可能であったと彼は自分を分解しています。


 犯罪者なので、これを嘘と見るのは簡単ですが、僕は真実と思います。人を愛する事自体が不可能、他人に愛情を感じる事自体が不可能というのは、愛を切断されるよりもさらなる不幸であると思います。しかし、この不幸は描きにくい。他者との関係がそもそも不可能なので、描きにくいわけです。(カフカはこれを象徴的に描いていると思います)

 

 ここで、黒子のバスケの犯人が述べている事は、「万引き家族」を越えた不幸であると思います。不幸自慢をしても仕方ないわけですが、是枝監督が描いている現代の地獄よりもさらなる地獄は存在すると思います。それは他人に言ってもわからない、不幸とも思われない、ドラマにもしにくい、描きにくい、同情もされない、極めて不可解な心理の状態で、そういう意識の自己閉鎖性というのが徹底的な不幸であると思います。「罪と罰」はその不幸が自分の起こした犯罪を通じて、世界に開かれ、解消されていく過程を描いていると思います。



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