07
「つい……た!?」
(ついた!)
「ありがとう!」
楽しそうな笑い声を風へ転がす導き手にフィオーレが返事をする。走らせた張本人……声?に対してお礼を述べるのもどうなんだろうと自分の行動を顧みつつ、目の前に立ちはだかる大きな樫の扉を見上げた。
「これ、入れってこと……? 」
まだ世間様では朝ごはんの時間だ。往々にしてエスプレッソを一杯ひっかけるだけなのだから、家主はまだ寝ている可能性だって大いにある。
「領主様のお屋敷に朝一番はさすがに、ない、さすがに無い……」
ついつい音のある独り言になってしまうほどに、あり得ないのだ。来ましたよのご挨拶なんて、一介の留学生がするものじゃない。それに、もしやるとしてお昼過ぎからで、更に言えばご都合のお伺いを立ててからだ。間違っても朝一の突発訪問に整合性も正当性もつけられない。
「無いという割に、しっかり扉を叩く準備はできているのだな。」
「お、はようございます……」
「ああ。上がるか?」
どうせ招ばれたのだろうと水の都の領主その人が鼻を鳴らす。背中から声がかかったことを考えると、彼もどこか出かけていたのだろう。正直に言ってしまうと、安心した。導かれたのだからきっと意味はあるのだ。人間の常識ではあり得なくとも、この機会を棒に振ってまた十四日やり直しです、の結末もまた笑えない。
「あの、私、花の都のフィオーレと申します。朝早くから大変失礼致しました!」
「構わん。憑けているモノは視えている。」
「…………ありがとうございます。」
領主ルキーノの申告通り、今回も彼は前の十四日を覚えていないようだ。フィオーレから言わせてもらえば別になにも憑けてはいないのだけれど、水の都の領主というものは様々なモノが視えるらしい。興味はあまりなさそうにフィオーレを一瞥し、ルキーノはすっと目を細めた。
「……足りぬな。」
「はい?」
「失せ物は疾く探すに限る、逆に喰われるぞ。望まぬものを喰わせるな。」
情報量の多いルキーノの言葉は、今までフィオーレがかけられたことのないものだ。何を言われているのかさっぱりで、どういうことかと問おうも、言葉は躊躇い唇を割ってくれない。
「海に放ってやれ。喰わせても海石で飾るくらいしかできぬだろう?」
「海の石は、どれほど沈めれば、手元の海になってくれると思いますか。」
悩みに悩んだフィオーレの脳が発したの言葉は、「どういうことですか」でも、「失せ物とはなんでしょうか」でもない本人からしても不思議なものだ。発言した自分さえ意味がわからないというのに、こんな言葉ではルキーノに伝わらない。
「石のままビン詰めにしても、石は石。砕いて白砂に混ぜ込んでも、石だ。真水に砕いていれようが、流れぬ水は腐る以外行く末などない。厚みのあるシーグラスを叩き割った方が、まだ手元の海と言える。」
「シーグラスを探し歩くのも、思い出になりそうですね。」
「そんな時間があるならな。」
仰る通りだ。納得したらほっとして、ルキーノに丁寧な挨拶の姿勢を取る。上質なアクアマリンを入手しても腐らせるくらいなら、違う方法を探すまで。真水に浸りたいわけじゃ無いんだからとフィオーレも自信の本音に笑って、セストが以前語った館の魂が眠る邸宅を後にしたのだった。