06
「セストと夜の逢い引き?」
「そんなんじゃ……!」
にこにこ満面の笑顔でフィオーレをからかうラザロに必死で否定を示す。ふわふわと柔らかそうな髪を朝焼けに遊ばせるラザロに罪悪感なんてものは見当たらない。琥珀色の瞳を楽しそうに丸めて、ラザロは笑った。
「いい朝だね、ラザロ。」
「朝は少し悲しいけど、うん、……いい朝だ。」
「悲しい?」
「だって、夜までベッドでゆっくりできない。」
「ああ、なるほど。」
セストの濃い茶髪とラザロのダーティブロンドが朝日でまろみをみせる。軽口の応酬は、ふたりの気安さの現れだろう。
「今日はどの伝承の話で盛り上がったの?」
「ん? ため息橋。」
「……百年祭か。」
大公から逃れようと海へ身を投じた姫君への哀悼。百年祭をお祭りとひとくくり騒いでしまうには、些か悲しいお話だ。
「花の大公、外の人だったんですよね……」
「姫の都愛を見くびってたみたいだしね。」
くすくす喉で笑うセストに、ラザロも笑う。どこか元気が無く見える表情に、フィオーレは内心首を傾げた。ラザロはいつもフィオーレを励ましてくれる人だ。その彼が沈んだ様子を隠そうとしているのは珍しい。
「ところでラザロ、街の準備はどう?」
「百年祭? いつも通り楽しそうだよ。昨日も大入りの花の箱が届いてた。」
「ああ、さっき見た。ね、フィオーレ。」
「はい。ランタンと流れてましたよね! すごく綺麗でした。」
「じゃあフィオーレ、みんなが起きてくる前に見に行っちゃう?」
「……いい、の?」
「もちろん! じゃあセスト、また」
フィオーレをエスコートするようにラザロが手を取る。
「まだ開いてない市場も結構わくわくするよ。ついでに、コルネットとカプチーノ調達していこう? 朝から運動して、お腹すいたよ俺。」
「もちろん。 ラザロはショコラのが好きだったよね。」
「大正解。覚えててもらえて俺嬉しいなあ!」
ぐいっと引かれた手に歩く速度を上げながら、二人で朝の石畳を通り過ぎていく。朝一番の金色が、どんどん珍しさのない黄色へ変わり、ついに透明な明るさへと変わる様は、気にしていないと気づかない日常だ。めぐりめぐる時間がどこかで一周回転してしまうのなら擦り切れてしまいそうなものなのに、水の都の美しさは擦り切れることなど知らないと街並み全体で語りかけてくる。
覚えていてくれるのは、ラザロの方だ。
同年代に見えるラザロには、グイドの物言いもうつって自然と気安く話しかけてしまう。けれどごくたまに、ラザロの横顔は重ねられた時間を否応無く感じさせるのだ。今もまさしく、と、フィオーレは横目で楽しそうなラザロを眺める。グイドとは仲も良さそうなラザロだが、マリアやロザーリオのいる教会に姿を見せることはない。ふらっと街並みから現れて、街角へ溶けていく。フィオーレとしては、お互いに関わり合いのないセストとグイドの間に置いておくことが一番自然に感じられる存在だ。
明るくて、楽しそうで、それでいて隠しきれない一抹の寂しさが一番、しっくりとくる。
「フィオーレ?」
「あ、ごめんなさい。」
考え込んでしまっていたのだろう。まだ畳まれたままの市場のテント脇でラザロがフィオーレを覗き込む。
「フィオーレ、水の都は好き?」
「え、うん。……好き。」
「よかった。」
「だから私、百年祭もいつか絶対参加したい。」
十四日間が繰り返し続けることに不安がないといえば嘘だ。けれど、たったそれだけのことでこの場所を嫌いになることもない。美しく、懐かしく、離れがたくすら感じるのは吊り橋効果だろうか?
(まっすぐ、まっすぐ、まっすぐ左へ!)
「どっち!?」
「左だねえ。」
目を見張ったラザロにフィオーレが問いかける言葉を思いつく前に、突然いつもの声が道筋を告げる。
弾かれたように反応した体は、ある意味体良く学習しているのだろう。それにしても今回の指示は意地悪だ。指示の意味すら分かりにくいとは、風に乗って突如聞こえた声についフィオーレが肩を踊らせるのも仕方がないだろう。さあ、左へまっすぐ!と気合を入れ直してフィオーレは数度足首を回す。
「ラザロごめん!私行ってくる!」
「行ってらっしゃい。サラミとチーズも買っとくね。」
「ありがとう〜!」
これから走り回ることになるフィオーレを気遣ってお昼まで準備してくれるラザロに誠心誠意のお礼を投げて、フィオーレはもつれそうな己の足を叱咤した。