「お前に小説を書くのは無理だ」と言われた話。
「お前に小説を書くのは無理だ」
小山内はぞんざいな言葉とともに原稿用紙を放り投げた。テーブルにばらばらと無残な姿を曝け出しているのは、曲がりなりにも俺の数日間が刻み込まれた作品だ。ああ、心が折れそうになる。
「はっきり言って読むに値しない」
いやいや、そこまで言うか。ここは怒るところだろう。親友とはいえ、ここまで無下に一方的に高圧的に全否定される筋合いもないはずだ。
「おい待て小山内。ちゃんと理由を説明してくれるんだろうな」
「理由? そんな大層なものがいるのか?」
鼻で笑った姿に堪えきれず、俺は小山内の胸元を掴んだ。
「いい加減にしろ。お前にそこまで言われる筋合いはない!」
ぐらぐらと煮えたぎる怒りをそのままぶつける。
しかし、小山内は静かに、強い口調で言い放った。
「人が書けていないんだよ、人が! お前の『作品』はすべて『人』がいないんだよ。風も空も海もその場の匂いまでそりゃあ上手く表現されているさ。一読して眼を瞑れば、あたかも小説の舞台にいるように感じることができるくらいに。でもな、島田。そこに、肝心の人を感じることができないんだよ。背景やら空間やら完璧に仕立て上げられた舞台装置のなかに人が嵌め込まれてしまっているんだ。いうなれば、緻密に作り上げられた空間の隙間で人間が蠢いているだけなんだ。主人公の心、つまりは葛藤、愛情、嫉妬、克己、成功への渇望、なんでもいい、その心の内側がまったく抉り出されていないんだよ。お前はきっと恥ずかしいのさ。その心の内側をさらけ出すことが。お前は表現することを避けている。心の本当の内側を意識的にか無意識的にかは分からないが描くことに向き合っていないんだ。敢えて言わせてもらうぞ、島田。お前が描く主人公は決してお前自身じゃないんだぞ。だから、お前はお前の心を『彼』に託して、存分にその内側を描かなければならないんだ。自信を持て、島田。お前なら書ける。きっと書ける。最初の言葉は謝ろう。小説が書けないなんて、あれは言い過ぎた。お前は書くことのできる人間だ。人間を表現することのできる人間だ。俺は信じている。そしてだからこそ、お前が『作品』だと言って渡してきたこの紙切れに怒りを覚えたんだ。島田よ。お前は親友だ。紛れもない親友だ。その信じるに値する男が得意満面で手渡してきた用紙に描かれたものに対して、俺は失望してしまったのだ。そしてその落胆の後に、ふつふつとした怒りが込み上げて来たんだ。こんなはずじゃない。目の前の男はこんな薄っぺらなものじゃないんだ、って。島田よ。俺は忘れない。あの昼もその夜も、語り明かした日々を。オンナも酒も仕事も音楽もそして世界の行く末すらも。お前の言葉には正義があった。誠も仁義も、そして純粋な愛情も歪んだ愛情も、これまた豊かといえるほどに十二分な情熱にあふれていた。俺は忘れない。あの熱量を決して忘れることはない! だからお前は書ける。きっと人間を書くことができるんだ。島田よ。勇気を持て。決して後ろを振り返らず、ただ前へ前へ、自らの筆を信じて世界を切り開いてくれ!」
「小山内……」
「どうした島田」
「むしろお前が小説家に向いているよ……」
俺は彼の胸元を掴んだ手を離した。
それと同時に、心が束縛から解き放たれたかのように軽くなるのを感じた。
そして空を見上げるようにしてつぶやいた。
ああ、どうか、小説の神様。
俺に勇気を、少しだけ勇気をください。