チュートリアル(3)
※少し流血表現があります。お気を付けください。
月は苛立っていた。
全く変わらない景色に。
いや、空の色はどんどん移り変わっている。
もうほとんど夜といっても良い。
薄暗くなった中で月はどうしようかと悩んでいた。
これ以上歩いても民家に出くわす可能性の低さ。しかし視界は暗くなっていくばかり。
どうすることが賢明な判断なのか。
頭の端ではわかっている。
ここで野宿をすることが賢い選択であることくらい、一般的な頭しか持ち合わせていない月にも分かってはいるのだ。
しかし、頭では理解していても体は拒否するのだ。
暖かい柔らかい布団でしか寝たことがない彼女には原っぱに何も敷かず寝転ぶなんて出来る訳がなかった。
寝転ぼうとするならばそこにいるであろう虫や微生物を想像してしまい鳥肌が立つ。
特技が”どこでも寝れる”というが、その”どこでも”には屋外で寝るーーーーましてや敷物も敷かず、テントも立てずに寝るーーーーーなんてことは含まれていない。
それなら、特技と公言するなという者も現れるだろうが、考えても見てほしい。
普段の生活の中で自然や公共の施設で床に地面に敷物も屋根もテントもなしに眠る機会があるだろうか。
最低でもテントを張り敷物を敷き、寝袋を用意してから寝るというところだ。
誰が野山で着の身着のまま眠るやつがいるか。
だからどうしようかと彼女は立ち止まり地面を見つめていた。
どれだけ地面に穴が開くほど見つめたとしても、そこにテントや寝袋が出て来ることはない。
反対にどんどん日が落ちて暗くなるだけだ。
まってはくれないお日様に向け舌を突き出した。
彼女はしょうがないかと諦めその場に座り込んだ。
しかし寝るつもりはない。
一晩ここでおとなしく待つだけだ。
流石にここで寝転んで寝る馬鹿ではない。
ましてや真っ暗の中で歩き回れるほど図太い神経もしていない。
最悪なことに彼女が穿いているのはズボンではなくスカートだ。
無防備に足を投げ出せば生足に何が当たるか分からない。運が悪ければスカートの中に何かが入ってくるかもしれない。
彼女は顔を青くしたまま、しかし立ち上がることもなく自らの膝をきつく抱え込んだ。
周りが薄く明るくなってきたころ。
最初は地面を気にして時間を潰せていたが何時間か進むうち、気が緩んだのか彼女は暇を持て余していた。
ただ暇だったからか、それともゲームの世界ということに酔っていたからか、頭にふと小さく『魔法が使えたら』という考えが閃いたのだ。
初めはただの出来心だった、と言ったらなにか犯罪者チックな雰囲気が漂うが、そんなわけはなく
少し寒いなと感じていた彼女は掌を出すと、小さく「炎よ」と呟いた。
すると、彼女が思った倍ほどの大きさの炎が掌から上がった。
彼女が「火」ではなく「炎」といったからか、それとも想像力の足りなさか、はたまた練習不足か。
原因はどうであれ、彼女は呆然とその大きな炎を見つめ、何を思ったかその炎を出している手と反対側の手でその炎を触ろうとした。
ぴリっとした痛みに「現実か」とどこか気の抜けた声を出した。
炎を出していた手は痛くはないのに、それに触れた反対の手はじくじくと痛んだ。
不思議なものだと、何故か怖いとは思わなかった彼女は、今度はその炎を小さくなるようにと考えた。
彼女が思うと同時に小さくなりだす炎は徐々にその体積を減らしどこかの動く城の心臓のような大きさまで小さくなった。
赤を見ていたら反対の色の青を見たくなった。
そんな単純な思考で次は「水よ」とその炎と同じくらいの大きさの水を出した。
二つが一つの小さな掌の上で混ざり合いそうで混ざらないように、互いが気を使っているかのように踊ってた。
眠さ故か、疲労故か彼女の思考は鈍っていた。
だからか、彼女はあろうことか掌の上で、顔の前でその青と赤を混ぜ合わせてしまった。
高温のものに水を与えたらどうなるか、馬鹿な彼女でも知っていたはずなのに、それでも目先の美しさに行動してしまった。
ドォォォォォォォンンッ
赤と青はあろうことか彼女の掌の上で絡み合い、末に水蒸気爆発を起こした。
一瞬遅れて襲った痛みに彼女の鈍っていた思考はたたき起こされた。
どくどくと脈打ったかのように痛む右手は皮が剥け真っ赤だった。
手の近くにあった顔にも影響は現れ、ジンジンと痛む。
せめてもの救いが手と顔どちらも元の形を保っていたことだった。
自らの手から、顔から、溢れ止まらない赤に彼女は混乱した。
下手をすれば発狂してしまいそうだった。
しかし、自分ひとりしかいないのに叫ぶのは余りにも馬鹿そうではないかと慌てて悲鳴を引っ込めた。
一つ息を吐くと目を瞑り息を吸うのと同時に目を開けた。
もう彼女の瞳には困惑の二文字は浮かんでこなかった。
普通の人間ならば見慣れるはずのない真っ赤な手に、痛そうに顔を歪めるものの躊躇することもなく触れる。
途端痛みが大きくなるが無理やり抑え込み「癒しよ」と声を出した。
それは本能からか理性的に考えた思考の末か、半分無意識に口に出した言葉はみるみる効果を表し、40秒ほどすれば元通りの手に戻っていた。
顔も同じように元に戻し、血だまりになったそこから立ち上がり離れた。
服はあれだけ赤を浴びたというのに白いままだった。
少し歩いて立ち止まり考えた。
何故、魔法が使えたのか。
勿論現実世界ーーーここで言うのは日本での生活ーーーでは魔法なんてものは存在しなかった。
しかし彼女はもとから知っていたかのように言葉が口から出ていた。
気が付いたら口が勝手に唱えていた。
力が体中を巡り手から噴出されるのをどこか他人事のように感じていた。
新たな力に驚くのではなく、『あぁ、これが』と妙に納得したような、そんな感情に襲われた。
自分は何者なのか。漠然とした不安が彼女の心を巣食ったのはこの時だった。
彼女はその場に立ち尽くしたまま先ほどの事件をかみ砕いて理解した。
そうして自分の不注意と咄嗟に取った行動、それがもたらした結果すべてを余すことなく受け入れた。
現代社会で自分が生き辛かったのはこういうところが原因かもしれない。
そんなことを考え苦笑を漏らす。
そこでハッと思い当たった。
今、やっと分かったのかもしれない。
なぜ自分がここにいるのか。
『世界への無頓着さ』
それは現代社会で彼女を苛む悪因だった。
誰が何をしていても自分が何をされても、少しは驚きや悲しみが沸くがそれだけだった。
それが原因で誰かを恨むこともなければ、自分に失望することもない。
ただ『そうなんだ』と納得するだけ。
そんな彼女だからこそ、この異世界ともいうべきところへ降り立っても別段酷く悲しく思うことも絶望することもなく、少し悲しんだだけで折り合いをつけることが出来た。
このことで全てではないが答えの片鱗が見えたような気がした。
そうして思考を深く潜らせていれば忙しかった心臓の動きもゆったりとしたものに移り変わり、辺りはなにごともなかったかのように静けさに包まれていた。
『火と水、癒しが使えたから、次は……』
先ほどまでのことを忘れたかのように魔法を尚も使おうとする彼女は単純な好奇心により動かされていた。
怖くなかったといえば噓になるが、自分の力をもうすでに馴染んでいるこの力を、使ってみたいと感じたのだ。
どこかで『怪我を万が一負ったとしても癒しの力があるし』と考えていたかもしれないが、それでもその好奇心は恐怖心すらも凌駕し彼女のその後の行動を後押しする力となった。
「風よ」
その言葉とともに巻き起こる風は彼女を包み込み上空へと誘う。
それでも体が浮かないのは魔法の調節によるものだ。
前からブワッと巻き上がる風にフードが外され髪が舞い上がる。
朝の光に照らされ風に包まれるその光景は
たまたまそこに辿り着いた集団が驚きで息を止めるには十分に神々しい光景だった。
未だ誰にも会えていません(笑)