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怪談の学校  作者: せい
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モナリザ

学校の美術室にうごめく、不気味な影……

 久々に手にした愛用の筆の動きが、どうも滑らかではない。

 もちろん、この私のことだ。頭の中ではすでに、生前に描いたモナ・リザの絵が見事に描き上がっている。次の色はこれで、何処につけるのかということも分かっている。

 しかし。

 私は大きく息をつき、筆をおいた。

 私の後の棚の上から我が素晴らしき筆遣いを眺めていた石膏の男が、ふと眉をひそめたことが分かる。しかしこの石膏も、両腕も胸から下も無いのでは大変だろうと毎回思うのだが。


「どうした。折角一ヶ月ぶりに美術室があいたのだから、他の部員のように思う存分描けばいいものを」


 何故この男はこんなにも偉そうな口調なのだろうか。落ち着かない私の心は、この言葉にイラっと動いた。いつもの私らしくないと思うのだが、どうも心というのは動かしにくい。


 しかしこの男の言うことも、当然のことであろうと思う。工事という物が終わり、天文学部をわざわざ休んでまでやってきたこの美術室なのだ。

 心のそこから楽しんで、満足する予定でやってきた。しかしいつもの白い扉をがらりとあけ……たのではなく、通り抜けて。

 私は愕然としたのだ。

 この部屋に違和感をもたらしたその存在に、怒りの目を向ける。壁の上方に取り付けられた四角い物体……確か「えあー・こんでぃしょなあ」などと言ったか……それが、この部屋にあった空気をぶち壊してくれたのだ。


「なんだまだそれを気にしているのか? 全く、堅物だな。他のものなんて、すでになじんでいるというのに」


 石膏が、わざわざ神経を逆なでしてくる。

 きっと、この男は人をいらだたせるのが趣味なのだろう、と私は確信した。


「うるさい。全く、何故このように不快なものを取り付けたのか。私には理解できないね」


 私が憤然として言うと、男は呆れたようにぎしぎしと表情を変えた。

 楽しみのためだけにわざわざ苦労して表情を変えるこの男は、酔狂のほかにどうとも言いようがない。


「そのように、苛立つことも無いだろうに」


 そこまで表情を変えといて、言いたいのはそれだけか。

 私は怒りを通り越してただ、呆れた。

 全く、やはりこの男は酔狂なのだ。


 ギシギシと必死で表情を戻し始めた石膏を尻目に、私は我が弟子達を眺め回した。

 この弟子達は可愛いもので、恥ずかしいのだろう、私のことを決して師とは呼ばない。「何でお前を師と仰がなきゃいけないんだっ」というのも、恥ずかしいという気持ちの裏返しであることは間違いない。

 なぜなら、私のように歴史に名を残すものを目の前に、しかも師となってくれるといっているのだから、素直に受け止めろというのも無理なことであろう。

 心優しい私は、もちろんそのことを把握している。


 ふと、耳にレクイエムが聞こえてきた。

 なるほど、今日は音楽室も活動中か。

 そう納得しつつ、レクイエムの音色に心が静まっていくのを感じ取った。これならば、今日は冷静に過ごしていけそうだ。

 今日は、ゴッホやモネなどが固まってあの新しい物質を描写していた。

 しかしもちろん同じものを見ていても絵の中身は違う。絵は自分を表すものであり、表現するものだ。私はまだ未熟な彼らに手ほどきをしてやろうかと考えて、ふと視界の端に少年が移るのが見えた。


 彼の名はネロ。愛犬のパトラッシュを描いているらしい。もちろん、双方現実にいたわけではない。しかし、どうも生まれた意思が中途半端に絵に執着してしまい、私達のような存在となったわけだ。

 さてそのネロは、今、どうも何かに引っかかっているらしい。先ほど石膏と話していた私のような表情をしている。


「ネロ、どうした?」


 話しかけてやると、少年というものは正直なものである、素直にパトラッシュのあの素晴らしい毛のつやがどうしても出ないのだと訴えた。

 ネロの絵を見ると、なるほど、見事である。

 あの老犬らしいよぼよぼ……いや、弱弱しさが見え、目に宿る優しさや、少し飛び出た毛並み……。何処をとっても、目の前の薄汚……いや素晴らしい老犬とそっくりだ。

 しかし、少年は気に入らないという。きっと、あまりに正直にあの犬を描写してしまったのがいけないのだろう。そう思い、私は少年が描きたいのだと思われる絵をさっさと描いて見せた。

 毛は流れるようで、右上の光に反射して毛がきらきらと光る。私は骨、筋肉、などと順番に描いていくので、その筋肉も若々しい形に整えてやった。

 すると少年はきらきらと目を輝かせて、すごいと言った。すごい、すごい、本当だ、パトラッシュだ。よかったね、パトラッシュ。

 喜ぶ少年弟子を眺めていると、ちょうど正面の壁にいた先ほどの石膏が目線だけで扉の方をさした。

 何かあるのかとそちらに顔を向けて、


 がらがらがらがらっっっ!


 なにやら必死の形相で、男が飛び込んできた。

 はあはあと肩で息をつき、部員の視線を集めていることに気付く。


「ひぃっ」


 男が声を上げた。

 そういえば、レクイエムが止まってしまっている。

 どうやらこの男、音楽室を通ってきたらしい。

 気の毒に。


「ど…………」


 何を言いたいのだろう。

 そう思い男に近付こうとした矢先、


「どうなってるんだああああっ!」


 叫びながら、男は廊下へと飛び出していった。懐中電灯を落としていってしまったが、大丈夫なのだろうか。

 心優しい私が心配した顔を見たのか、我が正直で純粋な可愛らしい少年弟子が、犬を連れて廊下に飛び出した。

「あの人、案内してきます」

 

 しかし何故かその夜――少年の優しい気遣いにもかかわらず――悲鳴が何度も廊下に響いてきた。

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