星空ラジオ
7月7日、11時。
あたしはいつものようにラジオのスイッチをつけた。
慎重に慎重に、チューニングを合わせる。
やがて、DJの声が聞こえてきた。
真夜中にすっと溶ける、優しい声。
声に手触りがあるなら、多分使い込まれたコットンのような感じだだろう。なんだか懐かしい感じだ。
「……ラジオのお時間がやってきました。今日は七夕ですね、からりと晴れて、見事な星空が見えるでしょう」DJが言う。
「こんな時は、家にいるのはもったいないですよね? 今回は星空ラジオ特別編でお送りします」
え、特別編? と思った時、呼び鈴が鳴った。
(こんな時間に誰なんだよ、ラジオ聴いてんのに……)とぶつくさ思いながらインターホンに出る。
「こんばんは、星空ラジオです」
耳を疑った。
「はイ?」我ながら、素っ頓狂な声が出る。
とりあえず玄関に出てみると。
「どうも、星空ラジオです。今日は特別編ですので、お迎えに上がりました」
タキシード姿の少年が、玄関先に立っていた。大きな黒い傘を持っている。
いや、傘というより、あれはパラソルだ。オープンカフェの座席に日よけとして使われているような。それを少年は抱えるようしている。
「じゃ、出発しますか」
おもむろに傘を開いて、さす時とは逆さの方向に向ける。
まるでコーヒーカップのようだ、と思っていたら、少年はひょいと飛び乗って、あたしの方に手を差しだした。
「さ、乗って」
えええ、傘に乗るの??
ためらうあたしを少年は急かす。しびれをきらせたのか、腕をつかんで強引に傘に乗せられた。
「それじゃ、しゅっぱーつ!」
少年が威勢のいい声を開けると、ふわりと傘が浮かんだ。
「うわわ!?」
「ほら、座って!」
バランスを崩しかけたあたしを、少年がとっさに支えてくれる。
支える骨組みの部分に板が取りつけてあって、座れるようになっている。
「あ、ありがと」
照れくさくて、ぞんざいな口調でお礼を言った。
少年は気にしてないふうに、どーいたしまして、と言う。
こうしている間にも、傘はぐんぐん高度を増していく。
並ぶ民家の屋根が、ミニチュアのようだ。
「駅前の方にでてみようか?」少年が言って、傘の柄の部分をコツコツと叩く。
傘が高度をあげながら、ふいっと方向を変える。
「うわぁ、すごい」
遠くに街の灯りが見えてくる。あたしは思わず歓声をあげた。
もう日付けも変わる頃合いだけど、煌びやかな夜景。
「やっぱ、街中は明るいんだね〜」ため息とともに、呟いた。
少年が相槌をうつ。
「誰か気づくかな?」
ふと疑問に思って、少年に聞いてみる。
少年は少し考えこむように腕を組んだ。
「うーん、気づく人もいるかもしれないけど……目の錯覚って思うんじゃないかな?」
熟考の末、少年は答えた。とても能天気な口調で。
ほんとに大丈夫なのー、とあたしが口を尖らせると、
「じゃ、今度はひと気のいない所に行こうか?」と提案する。
ここじゃライトが明るすぎて、星もあんまり見えないからね、と少年は傘を操作する。
どうやって運転してるのか、よくわからないんだけど、上手く出来ているなぁと思う。
「そりゃ空水両用だからね〜」と、自慢気に少年。
今なら送料無料で10万円! とか言うもんだから、
「売りつける気かよ!」とりあえずツッコミをいれておいた。
「運転手もついてくるよー」にこにこ笑って、少年は自分を指さした。
……いらねーよ。
そんなこんなで、ジャレあっているうちに、人里離れた山奥にやってきた。
空を見上げて、ため息をつく。
闇色の中に、無数の砂を散りばめたかのような光景に声も出ない。
「さすが、月明かりもないとスゴイね〜」
少年の言葉に、あたしはうなずく。
ラジオをつけよう、と言って少年はポケットから携帯ラジオを取りだす。
スイッチを入れると、DJの声が聞こえた。
番組はもちろん、「星空ラジオ」。
優しい声が、物語を語っている。星や星座に関する物語を。
その声を聞きながら、あたしと少年は物語に出てくる星を探した。
「あれかな? あ、流れ星!」
少年が指さした方向には、もう何もなくあたしは肩を落とした。
「うー、残念……」
まだ見つかるかもしれないよ、と少年が言う。
しばらく眺めていると、スーッと白い光が走っていくのが見えた。
「やったー!」
歓声をあげるのも束の間、一瞬で流れ星は消えてしまう。
「あーぁ……」
願い事をいう暇がなかったとため息をつくあたしを、少年は笑って見ている。
「……なにさ。残念がってるの、そんなにおかしい?」ちろりと横目で見ながら、文句を言ってやる。
慌てて少年は違う違う、と手をぶんぶん振る。
その姿が面白くて、あたしは笑いを噛み殺した。
ラジオのDJが織姫と彦星の話をしている。
「あれが彦星だ」少年が明るい星を指ししめした。
「んで、あれが織姫」
少年は星座に詳しいらしく、いろいろ教えてくれる。
スゴイね〜って褒めると、
「このくらい、星空ラジオのスタッフしては当然だよ」と、言う。
でも、鼻の穴が膨らんでいる。
(褒められて嬉しいくせにー)
思わずニマニマしてしまう。
あらためて、織姫と彦星を眺める。間を流れる天の川も、くっきりとみえる。
「こんなの、写真でしか見たことなかったなぁ……」
しばらくぼんやりと、天の川を眺めた。相変わらず、DJは天の川の伝説について、語っている。
「そういやさ、」
ふと、口を開いた。少年はこちらを向いて応える。
「うん?」
「物語ってどこから来るのかな?」あたしの言葉に、きょとんと目を見開き、
「……変なこと聞くね」と、首を傾げる。
「変なこと、かな?」あたしは眉をひそめて、返した。
物心ついた頃から、空想しているのが好きだった。
親が共働きだし、ひとりっ子ということもあってか、いつも空想の世界にトリップしてた。
大きくなってから、空想癖は具体的な形を与えられ、今でもあたしの重要な要素になっている。
そう伝えると、少年は納得したように、
「君はクリエーターさんなんだね」と言う。
あたしはうなずいた。まだタマゴだけどねと付けくわえて。
「もうそろそろ、お別れの時間がやってまいりました。わたしが創った物語をお届けしましょう」DJが言う。
拙いと思うけど聞いてくださいねと、DJは語りはじめた。
あたしたちは、それに耳を傾ける。
あたしは固唾を呑んで聴いていた。いつの間にやら、物語の世界に夢中になっている。
拙いなんて、とんでもない。
「……お粗末さまでした。こんな遅くまで、お付き合い頂きありがとうございます」DJの声にふと、我にかえった。
また次週のこの時間に、とDJは告げ、番組は終了する。
少年はラジオのスイッチを切って、あたしに話かけた。
「神話や伝説ってさ、スゴイよね」
その言葉にあたしは、少年の顔を見た。
「どうして?」
「だって、消えないじゃん」
少年は答える。静かな光を瞳にたたえて。
伝説は長い間、人に語り継がれるでしょ、と少年は静かに言う。
「ねぇ、なんでこの物語は消え失せないんだろう?」少年は言葉を切って、あたしを見る。
(なんでだろう……有名だからかな?)考えていると、少年が口を開いた。
「それはね……。
この天空を、原稿用紙にしているからなんだよ」
「原稿用紙……」
おうむ返しにあたしが呟くと、ゆっくりうなずく。
「ねぇ、君。クリエーターさんなら、興味わかない?」
今までのはしゃいでいた姿とは違う、少年の口調にあたしは圧されていた。
「そ、そりゃ、ちょっと気になるかも」なんてったってスゴイ原稿用紙っぽいからね、と言うと少年は笑った。
風がずいぶん強い。あたしと少年の髪の毛をなぶって、通り過ぎていく。
少年が、笑顔のまま口を開いた。
「じゃ、探しにいっておいで。この空のとこかにあるから」
そう言い残して、少年はすっと消えた。
きょとんとした後、あたしは思わず立ち上がる。
「え、ちょっと!」叫んで、腕を伸ばしても、空気を掴むばかり。
少年は、いない。
グラリと倒れそうになって、慌てて座りこんだ。
少年のいなくなった傘は、あろうことか、ふわふわ昇りはじめた。
「ちょっ……何で昇ってくのよー!」パニックになって、あたしは叫ぶ。
どう操縦したらいいか、わからない。駄目もとで、柄を叩いてみたけど、さらにスピードが速くなってしまった。
傘はあたし一人を乗せて、空高く登って行く。もう地上も見えない。
心なしか、息苦しくなってきた。
「ああぁ……」
恐怖と心細さで、うずくまって頭を抱える。
とても寒い。
どうしよう……。
頭上からベルのようなものが鳴っているのを聞いたのを最後に、あたしの記憶は途切れた。
***
リリリリリ……。
目覚まし時計の音に、勢いよく飛び起きた。窓から光が射しこんでいる。
(……ゆ、夢……)
心臓がまだフル稼働している。パジャマは寝汗でグッショリだ。
目覚まし時計を確認すると、午前5時。起きるには早すぎる。
以前に設定していた時刻が残っていたらしい。
そのまま二度寝する気分にもなれず、ベッドからでてキッチンへ行く。
水を飲んだり、顔を洗ったりしているうちにだんだん落ち着いてきた。頭がはっきりしてくると、
「……ていうか、夢オチかよ!」
怖がっていたのが、腹立たしくなってきて、あたしはツッコミをいれた。
そう言えば、あの少年……。
「あたしの夢にまで出てくんな、啓……」ため息とともに言葉を吐きだした。
全然気づいてなかったけど、あの傘の少年は啓だ。
いつもお世話になっているギャラリー店主の、小生意気な息子。
DJの声もなんか聞いたことがあるって思ったら、今度、一緒に二人展をするモノ書きじゃないか。
(二人して、なにやってるんだか……)深いため息とともに、心の中でぶつくさ言った。
電気ポットに水を入れ、お湯を沸かす。
それにしても、なんてドラマチックな夢をみたんだろう。
前日の夜、七夕の笹をつくったからかもしれない。
しかし、あのラジオから聞こえてきた物語は面白かった。
でも、どんな話だったのか、忘れてしまった。
すごくわくわくした記憶だけが残っている。
それもなんだかちょっと悔しかったりするんだけど。
(朗読ってのもありか……)
夢の中の事を思い出していたら、ふと、閃いた。
物語はなにも、紙に書かれているだけじゃないんだ。朗読の形で発表してもいいだろう。
朗読する人は……、二人展の相方がいいかも。やってくれるかなー?
(ずいぶんキツイ事も言っちゃったしなぁ……)
あたしはため息をついた。
「ま、玉砕覚悟で頼んでみるか……」
呟くと、カタンとポットのお湯が沸けた音がした。
時間を潰しながら、ゆっくり朝ごはんをとっていると、いい時間になった。慌てて、身支度を済ませて、外に出る。
「あれ……?」
鍵をかけるためにふりむくと、ドアの横に何かが立てかけてある。
「これって……」
あたしは呟いて、それを手にする。大きな黒い傘。まるでパラソルみたいな。
柄の部分にカードが付いている。
「驚かせてゴメンね。お詫びに傘はあげます。天空の原稿用紙、見つかるといいね。幸運を祈る。
星空ラジオスタッフ一同」
遠くで、蝉の鳴いている声が聞こえる。
あたしはしばらく、傘を胸に呆然と立っていた。
おわり