紅の街にて 2
ジャズ・クラシックが流れる店内は、まるでバーのような落ち着いた雰囲気を醸し出していた。
ダークブラウンで色調が統一された店内――木製インテリア/アンティーク雑貨/壁際に並ぶ棚の数々=ぎっしり詰まったファイル・本・紙束/奥のカウンター席に3人の男女――その中で、ノートPCを眺めていた男が立ち上がった。
「やあ、ネコちゃん」
にこやかに少女を迎える若い男=橙色に染められた頭髪×ハーフアップ/一見すると社交的で人当たりのよさそうな人相/ラフな青いワイシャツ/左手首にお高そうな腕時計――はたと何かに気付いて目を丸くする。
「あれ、オオカミは? 今日は一緒じゃないのかい?」
「えっと、寄ってくところがあるから先に行ってろって」
そう少女が伝えた途端、男が神妙な顔つきになる。
「へー、あの過保護なオオカミがネコちゃんひとりで行かせるなんて……珍しいこともあるもんだ。嵐でも来るんじゃないか?」
「ま、ネコだってもういい歳なんだから、別にひとりで来るくらい何ともないでしょ」
カウンター席の人影その2=小柄な女の子=柔らかな栗色のロングヘアー×ウェーブ/あどけなさの残る容貌/勝気そうな吊り目/細くしなやかな四肢/淡いピンクのチュニックワンピース/グレーのレギンス――ネコと呼ばれた少女の後ろに控えるソロモンとレハブアムを一瞥=まるで愛らしくも理知的な、獲物を観察する蜘蛛のよう。「で、そこの2人はなんなの?」
「あ、えっとね――」
パーカー少女が口を開くや否や、それをガタッと椅子を押しのける音と元気な声が遮る。
「そこの人たち、もしかして外国人!? スゲー!」
勢いよく立ち上がったカウンターの人影その3=少女たちと同じ年頃の少年=いかにも男の子らしい短髪/溌溂とした笑顔/好奇心に輝く瞳/健康的でこれからの成長に期待できそうな肢体/ロゴ入りTシャツ/ジーンズ――外国人2人が珍しいのか接近/臆することなく積極的にコミュニケーションをとろうと元気よく挨拶=ボルゾイを連想させる人懐っこさ。「ハロー! ハウアーユー? なーなーどっから来たんだ? アメリカ? でも肌の色濃いからエジプトか? あ、日本語わかる?」
ソロモン+レハブアム=少年による怒涛の質問責めに気圧され1歩後退――途端、その隣に座っていた少女が、獲物を捕らえる蜘蛛も驚きの俊敏さで少年の頭をスパーンッと叩いた。
「いってえ! 何すんだよ!」
「アンタはちょっと黙ってなさい」
「何でだよ!」
「いちいちデカいのよアンタの声。うるさいったらありゃしないわ。それに見なさい、2人共困ってるでしょうが」
「だからっていきなり叩くことないだろー!」
「アンタのことだからこうでもしなきゃ止まらないでしょ!」
やいのやいの言い合う少女+少年――なんだか微笑ましく見えるやりとりにパーカー少女共々思わず和んでいると、腕時計の男が咳払いをした。
「で、そちらのお2人は……もしかしてお客様かな?」
「あ、そうなんですよ。さっき来る途中で道に迷ってたのを、わたしが案内してきたんです」
「そういうことか。じゃあ、こちらにどうぞお客様。あ、ネコちゃん。今から商談するから、あっちでそこの2人と一緒に待っててくれる?」カウンター席から離れた位置にあるテーブルを指差す/言い争う2人をちらり。「ついでに静かにさせてくれると助かるかな」
「えっと、わかりました」
素直に応じるパーカー少女=喧嘩を仲裁し移動を促す――まるで2人の実の姉のような甲斐甲斐しさ。
男に促されカウンター席の端に座ったソロモンとレハブアム――本題を提示する前にソロモンがまず疑問を表明。
「彼女たちはここの従業員か?」
「ああ、あの子らは殺し屋ですよ」
「殺し屋だって?」「彼女たちがですか?」
まるで明日の天気の話でもするかのような気軽さで投下された発言に、2人して瞠目――脳裏で9区のやくざ者の言葉がまたもやリフレイン=仲介業者/仕事の斡旋/殺し屋の存在――そこに子供が含まれているという事実の重さ。
紛争地域じゃあるまいし――子供が仕事で人を殺すなんて。
本来ならば法的にも倫理的にもあってはならない異様な現実を2人の目の前に突きつけながら、その動揺と困惑を知ってか知らずか男は喋り続ける。
「ウチはですね、表向きは興信所だけど仲介業者も兼ねてまして。あの子たちやそれ以外の殺し屋たちがよく出入りするんですよ。まあ、海外から来たんならご存知なくても仕方ないですけど」
「いえ……この店についてある程度はじ上げておりましたが……まさか未成年が殺し屋に従事しているとは思ってもいなかったので」
動揺はひた隠しにしつつレハブアムが率直な感想を口にすると、男は何でもないように笑って言った。
「裏稼業に年齢は関係ありませんからねー。よくある話――とまではいかなくても、若い内からこっち側に立つ人間なんてそこまで珍しくもないですよ」
あっけらかんとした口調――“それが人生ってやつさ”とでも言うように。
「そうそう。もしそういう人手が必要なら、そちらの依頼をこちらで仕事として彼女たちに斡旋するって形で雇うこともできなくはないですよ。……って、肝心の依頼をまだお聞きしてませんでしたね」
そう言って手を打った男は居直った。
「ようこそ、〈お喋りオウム〉へ。オレは如月当真。どうぞよろしく」
そう挨拶し2人に手を差し出す如月。
「サーイェです」「ヤンシュフだ」
気を取り直すレハブアム+ソロモン=素直に交代で握手/事前に決めておいた偽名を名乗る――聖書という媒体のおかげで世界中に知れ渡ってしまった本名を馬鹿正直に名乗って不審がられないようにするための措置。
「あれ、名乗っちゃってよかったんですか?」
握手した手を離すことなく意地悪く笑む如月――ソロモンが口の端を吊り上げてにやりと笑い返す。
「そう呼んでくれた方が都合がいいからな」
なるほど、と小さく頷いた如月は手を離し更に続ける。
「ここ〈お喋りオウム〉は、表向きは浮気調査から行方不明者の捜索までなんでもござれの興信所。裏向きは愛人との逃避行に使う秘密の抜け道から、見つからないようにこっそりと子供を誘拐する方法まで、何でもお教えする情報屋です。ご所望の情報は、報酬にもよりますが可能な限り提供させていただきますよ」
すらすら流れ出てくる口上=まさに立て板に水の喋り。「では、ご要望をお聞きしましょうか」
「本国から脱走した死刑囚を追っている」
事前に決めておいた喋り役=ソロモン――そのものずばりな単刀直入さ。「正確には、脱獄したおかげで死刑囚にランクアップしたと言うべきだが……まあ、どうでもいいか。そいつがこの国のこの都市に潜伏していると情報を得たが、今のところそれしかわかっていない」
「で、その脱獄犯を探すための手掛かりが欲しいと」
「そういうことになるな」
「まあ、本国ってのがどこかは聞かないことにしても……素性のわからない脱獄犯の手掛かりってだけじゃ、こちらも何をどう提供すべきか量りかねるんですよ。具体的にはどういった傾向の情報をご所望で?」
「脱獄犯本人に関する個人情報については箝口令が出されているから、生憎とこちらから明かすことはできないんだ。悪いな」
正直に喋ったところでこちらの身分の特定なんてされるわけがないのだが、代わりに脳の異常を疑われかねないためぼやかす/誤魔化す。
「とりあえずは、ここ最近の、この都市で起きている不自然な殺人――例えば、狭い地域で殺人事件が同時多発しただとか、動機も目的も曖昧な無差別的な殺戮だとか――そういった類の事件の情報を、思い当たるだけ欲しい」
「思い当たるだけ、ねぇ……」笑顔を崩さず勿体ぶるように逡巡する如月。「毎日色々な事件が起きて当たり前のように人が死んでいくこの都市で、最近悪目立ちしている事件――ひとつだけ心当たりがなくはないんですが、それがあなた方の求めるものに繋がるかどうかは保証できかねます。それでよければ」
如月がカウンターに両肘をつき前傾姿勢をとる/暗に“何が起きてもウチは知らないし関与もしないからな”と念押しされる。
「情報が奴に繋がるかどうか、それを調べるのはオレたちの仕事さ。外れてもまあ、自己責任ってやつだ」
肩を竦める――明確にイチャモンをつけないことを意思表示して信頼を取りにかかる。
時間にして1秒足らずの沈黙ののち、
「……わかりました、ではご用意いたしましょう。少々お待ちを」
そう言って如月は席を立ち、壁一面に立ち並ぶ本棚のひとつへと何かを探しに行った。
「……過信はできないが、なんとかなりそうだ」
探し物をしている如月の背を眺めていると、それまで沈黙を保っていたレハブアムが顔を寄せ小さく声を掛けてきた。
「父上」
「なんだ?」
「情報を買うついでに、人手も雇われては?」
「人手……」一瞬の困惑/確認。「あの子らをか?」
「ええ」
途端、眉間に皺を寄せて渋面になるソロモン。
「……下手に現世の人間を巻き込むわけにゃいかねえだろ」
「ですが、我々だけで対象を捜索するのには限界があります。必要最低限の人材は揃えて然るべきかと」
倫理的観点から渋る父親に堅実な現実主義で反駁するレハブアム――だが尚も気の進まなさそうなソロモン=そわそわと貧乏揺すり。
「奴と対峙して万が一にも死なせちまったらどうすんだ」
「もう既に死なせているかもしれないのですよ」
レハブアムの一言で、ソロモンの貧乏揺すりがピタリと止んだ。
「捜索が長引けば長引くほど、対象が事を起こす危険性が高まります。あるいは既にこの現世のどこかで罪無き生者が殺されているのかもしれないのですよ。我々が巻き込まずとも」
「んなこたぁ、こっちに来た初日からわかっている」
ソロモンの顔がまさに苦虫を噛み潰したように歪む――息子の正論に言い訳が苦しくなってくる。
「多少のリスクを負ってでも、捜索のための人的資源はある程度確保しておくべきです」怯んだ隙を突いてさらに畳み掛けるレハブアム。「対象と直接接触するのは私だけで充分です。ですからせめて捜索要員は揃えましょう」
合理と倫理の狭間で揺れる父親 VS 引き下がらない息子。
刹那の睨み合いの末――結局折れたのは父親=ソロモンの方だった。
「……本国から応援が来るまでだ。その間だけ、彼女たちか誰かを雇う。それでいいな?」
父親の承諾を得たレハブアム――安堵と申し訳なさに眉尻を下げる。
「……差し出がましいことをして申し訳ありません。ですが、やはり事態の早期解決こそ被害を最小限に抑える最善策ではないかと思いましたので」
「お前の方が正しいよ」
諦めたようなソロモンのため息――しかしそこに否定的な気配はない。
やれやれ、いつから自分はこうも流されやすくなったのか――とおよそ30世紀分は経た自分の年齢をしみじみ思い返していると、目当ての物を見つけたらしい如月がふたりの前へ戻ってきた。
「いやー、お待たせしちゃってすみませんね。こちらが、今のところうちでご提供できる、お客様のご要望に沿うかもしれない情報になります」
カウンターに置かれる一冊のファイル=オレンジ色の表紙――棚に収まる他の資料と比べるとあまり厚みはない。
「お、ありがと――」
ソロモンがファイルに手を伸ばす――が、如月の左手がそれよりも一早くファイルの表紙を押さえて牽制。
「困りますねぇ、お客様」にこにこ笑顔。「まずは出す物出してもらわないと」
正確に時を刻み続ける腕時計の秒針――この世に貨幣制度が存在する限り商品の獲得には相応の対価=金銭が必要であり、この如月当真という男も商売人としてその一種の摂理に則り、正当で相応な金銭を要求しているのだということはすぐに理解できた。
「おっと、悪いな。最近どうもうっかりが過ぎる」
困ったもんだ、とソロモンが微笑む――レハブアムが足元に置いていたアタッシュケースを迅速にカウンター上に持ち上げ/置き/蓋を開放――満遍なくぎっしり敷き詰められた札束がにわかに出現――途端、如月の顔から笑みが消え、代わりに驚きとも呆れともつかない表情が浮かぶ。
「……ざっと2000万ってところですか」
「正解。それから人手も雇いたいんだが、これで足りるか?」片眉を上げて付け足す。「ご不満ならもう1ケース積んだっていい」
「それひとつで十分すぎますよ」ファイルから手をどける如月=得体の知れない物体を見るような目。「しっかし、よくまあそんな大金を軽々しく……よっぽど重大な案件みたいですね」
「ああ、これくらいで片がつくんなら安いくらいの超重大案件さ」
レハブアムがアタッシュケースの蓋を閉じ、如月の方へ押して寄越す/如月がケースを受け取るとファイルに手を伸ばす。
「拝見しても?」
「どうぞ」
取ったその手でファイルをソロモンへ渡す――背表紙に〈小鳥遊高校女子生徒連続殺人事件〉の文字が印刷されたラベル。
早速ソロモンがファイルを開こうとする――同時に如月が思い出したように喋る。
「あ、そうそう。その事件ですね、実は今他の子が調べてる案件なんですよ。その子に聞いてみたら、資料より幾分か進展のある情報が得られるかもしれませんね」
「……ならば」
父親を見るレハブアム――頷くソロモン。
「まずその子に協力を仰いでみるべきだな」
「まあ、“彼”が今夜ここに来るかどうかはわかりませんけど――」
如月の補足を遮って、カランコロンと誰かの入店を告げるベルの音が鳴り響く。
店内にいる全員の視線が一瞬で集束した入口――背丈も格好も顔も違う、されどどこかが似ている若い男性が2人、並んで立っていた。