二人の邂逅
活動報告にあげていた話を、加筆修正したものになります。
元はエピローグに入る予定のエピソードだったので、本編読了後をおススメします。
自室の全身鏡の前に立ち、竹倉楓は眉を寄せて顔に難色を浮かべていた。
「うん、何度着ても違和感しかない」
ヒラヒラのフリルがあしらわれた、少女趣味全開のピンクのワンピース。それを纏う自分の姿が、下手なコラージュでもしたように不自然で、その残念さに楓は苦い表情を隠せない。
何より、これが仕事着だというのが一番やるせなかった。
本日は昼頃から、楓が作者として手掛けた『白百合女学園下剋上物語~金の乙女と桃色の乙女~』の外伝本・『クローバー物語』の、発売記念のサイン会が隣町の書店で催される。
正体不明の作家として活動中の楓は、顔は適当なお面で隠して、服は編集担当からの「読者のイメージを壊すな」というお言葉を、忠実に守らされているのだ。
「この格好で会場まで行く苦行も、すでに何度目なんだか……」
物の少ない質素な室内に、諦観を滲ませた独り言が落ちる。
現場で着替える場所を設けてくれないのは、確実に担当の嫌がらせだ。楓の嫌がる顔を見て、ほくそ笑むような奴なのである。
だが文句を言ってもサボるわけにもいかず、服のミスマッチさに絶望しながらも、楓は化粧のチェックも行った。どうせお面で顔は見えないが、これは年頃の女子のマナーである。釣り目を緩和するための黒縁メガネも外し、コンタクトも着用済みだ。
あとは髪型だけか……と、楓は思案気に立ったまま腕を組んだ。
今はいつも通り、長い黒髪は無造作に一つに束ねている。ツンデレ妹モノ作品をこよなく愛する担当からの指示は、王道ツインテールだったが、流石にそこは己のプライドの方を優先させることにした。これ以上、あいつに遊ばれて堪るかという意地もある。
しかし、他の様々な髪型を思い浮かべても、いま一つ決まらない。
段々面倒臭くなってきて、「そもそも私は、なぜ髪をここまで伸ばしているのか」と、楓の思考は斜めに逸れて行った。
そして、「ああ」と、あることを思い出す。
煩わしさを厭う自分の性格なら、髪は短く楽に切り揃えているはず。それなのに、楓がロングヘアーを維持している理由は。
『かえちゃんは髪がサラサラで綺麗なんだから、切っちゃダメだからね! 絶対、かえちゃんにはロングが似合う! 私は結ばず下ろしてるのが好きだなぁ。……面倒とか言って、私に無断で髪をショートにしないでよ?』
――――――何てことはない、『親友』がそう望んだからだ。
「……これでいっか」
楓は黒いゴムを解き、余計なアレンジは加えず、そのまま肩より長い髪を流しておいた。そういえば、この似合わない服も、親友と夏休みにデパートで一緒に買った物だったと思い起こしながら。
艶のある黒髪を靡かせて、楓は部屋を後にした。
●●●
連日の雨続きだった空模様も、今日は澄み渡った青空に恵まれている。
ゆったりと泳ぐ白い雲の下、書店正面入り口横の特設テントで、楓は訪れたファンに必死に創ったキャラで対応していた。
色紙や本を差し出されサインを求められる度、「私の落書きに近いサインを、一体どこに飾るんだろう。特に本に書いたら、要らなくなったとき古本屋で売り辛くない?」とか考えてしまうのは、楓の性格だから仕方ない。
それでも、喜色満面で自分のサインを持ち帰るファンの子たち(八割が10代から20代の女性だ)に、心地の良い天気も相まってか、楓の気分は此処に来る前よりは右肩上がりだ。
今も女子高校生らしき二人が、興奮して色紙を抱き去って行った。その片方の髪に鎮座する、花を模ったピンをお面越しに見咎めて、楓はスッと瞳を細める。
脳裏に過ったのは、過去に自分が親友に贈った飾りピンのことだった。
彼女が居なくなってから、あのピンは何処にいったのだろうと、楓はぼんやり考える。普通に考えれば、彼女の家族の元にあるのではないかと思う。
だけど何故か、楓はあのピンは、家族でも送り主の自分の元でもなく、巡り巡って別の誰かの手に渡っているような気がした。
完全に勘だが、こういった楓の予感はよく当たる。
きっと自分と同じように、こうして時折彼女を思い出して偲ぶ、そんな誰かの手元にあるのではないかと。
「あ、あの、こんにちはです!」
数秒ほど思考の渦に浸っていた楓は、鈴を転がすような可愛らしい声で、現実へと引き戻された。
驚き、座っているパイプ椅子をガタリと揺らしてしまう。サイン会で呆けたところを見せるなんて、とんだ醜態だ。
楓は落ち着いた態度を取り繕って、声をかけてくれたファンの子に視線を合わせた。
そして、思わず感嘆の息を漏らす。
立っていたのは、美少女という言葉が相応しい、綺麗な少女だった。
小柄な体躯に、人形の如く整った顔立ち。単に外国の人なのか、魔法適正によるものなのか、長い睫毛に縁取られた瞳は、奥深い光を湛える紫色だ。
しかし、その珍しい色合いの瞳よりも、波打つ黄金色の髪にしっかりと留められている、『あるもの』の方に、楓は意識を奪われた。
――――今まさに思い浮かべていた、クローバーを模した飾りピンが、彼女の髪で煌めいていたのだ。
見間違いようもないそれに、動揺する楓の様子に気付かず、頬を桜色に染めた少女の方は「外伝、ずっと待っていました! クローバーヌお姉さまが大好きなので嬉しいです!」と口早に話している。
勢いよく出された色紙を、楓は反射的に受け取りつつも、その視線はずっとピンに固定されていた。
そしてポツリと、「素敵なピンですね」と、知らず知らずの内に呟いていた。
「え……あ、ありがとうなのです。これは、その、元は私のとても大切な友達の物でして……詳しい経緯は割愛するのですが、無理を言って譲ってもらったのです。大事な時にだけ、身につけようと決めてまして……」
何処か切なげで、だけど酷く柔らかな表情を浮かべ、少女はクローバーの葉に触れた。その仕草も慈愛に溢れたもので、本当にそれが大切なものなのだと、楓にも痛いほど伝わってきた。
あらゆることを静かに悟った楓は、少しだけ鼻の奥がツンとするのを感じながらも、静かにペンを動かす。
そして書き終えた色紙を手渡す際、そっと一言を添えた。
「あなたと、そのピンの持ち主だった子は、きっと素敵な友人同士なのですね。……本当に、ありがとう」
――――あの子のことを、今も大切に想い続けていてくれて。
心中で呟いた言葉は届かず、少女は単純に、サイン会に来たお礼を言われたのだと思ったようだ。
「また会いに来ます! こちらこそありがとうなのです!」と満面の笑みで返し、スカートの裾を翻して駆けていった。
遠くに消え行くクローバーを目で追い、楓もお面の下でそっと口許を綻ばせる。
軽やかな気分で、次のファンの子に向き合う彼女の長い髪が、暖かな空気の中で穏やかに揺れた。





もしご興味ありましたら、活動報告を覗いて見てやってください。