『夢と現実(うつつ)』 戊辰戦争から一年後。土方の遺志。市村鉄之助&大鳥圭介。
「土方副長、何してるんですか?」
「手紙を書いてる」
洋服と片足に包帯をまとった土方の横に、小さな体が彼の手元を覗きこんできた。
男子の手にはお茶がある。
「誰にですか?」
「余計な詮索をするな、市村」
小姓の市村鉄之助だ。年はまだ15。土方から見ればまだまだガキの年頃である。
何しに来た、と土方が尋ねると、市村は笑ってお茶を差し出す。
「白河城攻略祝いの茶です。お酒は苦手でしたよね」
それだけです。
そう言って市村は土方から離れて部屋を出ていこうとするが、数歩歩いてから彼はくるりと振り向くと、
「やっぱり副長はお優しいんですね」
「は?」
「遺族の人、見つかるといいですね」
と、歯を見せて笑いながら市村は部屋を後にした。土方はというと頭を押さえて「生意気な野郎」と苦笑する。
数日前、土方は仲間を一人殺した。宇都宮城を攻略中に、逃げようとした者を土方が斬りつけたのだ。
「退く者は斬る」
それを放った土方の表情は鬼そのものだった。
(やっぱり副長は鬼なんかじゃない)
部屋から出てきた少年は、先程の手紙の内容を頭に描きながら、上がる口端を必死に抑える。
あれは土方が斬った者の遺族を捜すように書かれた手紙であった。謝辞の手紙と十分に葬れるだけの金を渡したい、とそう記されてあった。
市村は部屋に着くと、このことを皆に伝えようかと彼の頭をよぎる。そうすれば土方の人柄を理解してもらえる。
しかし彼はしばらく考えていたが、じっと床を見つめて「やっぱやめた」と呟いた。
土方の良さなんぞ、口で言うよりもいつかきっとわかってもらえる。そう思ったのだ。
ふと、彼は人の気配を感じて顔を上げる。
大鳥……確か名前は圭介と言う男が、顔をしかめながら部屋の前をさっそうと通り過ぎていった。
同じ部屋にいる小姓仲間がごにょごにょと大鳥の悪口を言っているのが耳に入る。市村は大鳥とはほとんど話したことがないから、あの男がどんな人間なのかなんてわからないが、土方と比べて歴然と戦い下手なのはわかる。
確かに戦に関してはイライラを感じるが、不思議と市村は、大鳥は土方の支えになりそうな者だと思えて仕方がない。
そんな大鳥が向かっていった方向は土方の部屋に続いている。
大方、土方の足の怪我のことなんだろうと思ったが、何か胸にもやもやしたものが広がってくる。
「?」
そのもやもやは翌日、はっきりとした。
近藤勇……局長斬首の知らせ──
「副長……!!」
目を見開いた。そこには見慣れた天井がなく、青い空が広がっている。雲が碧の海にのんびりと漂っている。
また、見た。土方の自然な表情を目にした最後の日の夢を。
鉄之助17歳。戊辰戦争が終わってから一年が経った。
彼は土方に函館から逃れるよう言いつけられ、命じられた佐藤彦五郎の元を訪ね、その後に土方の戦死を耳にした。
未だに見る夢は悪夢なのかどうか、市村にはわからない。
こうして原っぱでうたた寝をしている自分が、果たして本当にあの土方に仕えていた者なのかもわからなくなってくる。
「副、長」
言葉の意味を噛みしめながら、再度彼はぼそりと呟いてみた。
もう存在しない現実、目をつむればまだ鮮明に甦る幻のような日々。
「君は……」
そんな彼の背中に、どこかで聞き覚えのある声が届いた。
市村は座ったままゆっくり振り向くと、「ああ、やはり」と笑顔が飛んでくる。
「土方くんの小姓をしていた人だね」
「あんたは大鳥……さん」
あの、大鳥圭介だった。
市村はまさかと言いそうになるのを抑え、初めてまじまじと優男の顔を見る。
「君がいると言うことは、土方くんの住んでいた所はこの近くなんだね」
「何故ここにいるんですか?」
「土方くんの育った環境を知りたくなったんだ」
一年前、隊士達の前で見せていた表情と、なんら変わらない笑顔に市村は眉間にしわを寄せる。自分はこんなにも変わってしまったと感じられるほどなのに、何故この男は何も変わっていないんだ。
「確かにここのすぐ近くですが……意味がわかりません」
「人に慕われる人間の環境を知りたい。これならわかるか?」
睨むような市村の目に大鳥は苦笑した。
それからフッと彼は笑顔を崩し、先程とはまた違う笑みを作ると市村の横に来て座り込む。
「今日はいい天気だなー」
大鳥は伸びをすると、草原に掌を枕にして寝転がる。
それを黙って市村は横目で見ていたが、しばらくして膝を抱え込んで丸くなった。
思い出した。一度だけ、この男と話したことがある。そのときも、確かそう、土方の話を少しだけしたんだ。
「……副長は……」
「……」
「どうやって亡くなりましたか」
風が吹いた。前は体に染み着いていた潮の臭いも、血の臭いさえも今はしない。
「彼は新選組を貫いたよ」
誰よりも。そうつけ加えて大鳥は目をつむる。
市村は顔を膝の間に埋めたまま、歯を食いしばり始める。
「副長は、何故俺だけ助けたんですか」
「………」
「何故俺は、新選組を貫けられない位置にいたんですか」
命を賭けると決めていた。覚悟なんかできていた。一緒に新選組として戦いに臨むと心に誓っていた。
それを土方は「去れ」と。
「土方くんはイヤになるほど君を可愛がっていたよ」
「………」
私も詳しいことは知らないんだが、と大鳥は続ける。
少年は未だに顔を上げない。
「土方くんが君を函館から逃がした後、久しぶりに昔の彼の笑顔を見れたよ」
「……」
「これは噂で聞いた話だからわからないんだが、土方くんはこう言っていたそうだ。『市村の奴のおかげで、俺は安心して死ねる。近藤さんと新選組の名の汚名を奴が濯いでくれる』とね」
大鳥は上体を起こして座り直すと、微かに震えている市村の背を小さく一度だけ叩いた。
「君は新選組を貫いたんだ。土方くんがそうしたように」
局長が死んだ。
仲間が死んだ。
副長は笑うようになった。母のようだと慕われた。
市村を逃がした。
副長が死んだ。
新選組が──
「大鳥さん」
「どうした?」
「俺、戦います。副長がそうしたように」
「……」
「俺は、新選組小姓――市村鉄之助です」
1877年の西と南の戦争で、一人の少年は土方の後ろ姿を追いかけた。
夢の日々を、現実にするために。
END
はじめは市村を主人公にしようと考えた訳じゃなくて、大鳥と土方以外の話を書きたかったんです。史実ので。
本当は宇都宮城攻略の際に土方が殺しちゃった隊士のその後の話(?)を書きたかったんですが、無理でした(笑)
そーいや市村と大鳥がツーショットで出てくる話を見たことがない。そんな感じで話が途中から市村と大鳥の話にしちゃえって(笑)
でも至る先は土方なんですが。
ちなみに市村は西南戦争で戦死したと言われたり、他の死に方をしたとかも言われてます。
なんか市村と野村の話とかみてみたいかも。面白そう。
(当時高二の作品)