『天を仰ぐ』 家族という名。大鳥圭介&土方歳三。
まだ出会ってから間もないときであった。寒さが残る季節に大人のくせに陽のように笑う男が、鬼のような冷血な目をした男に語りかけた。
「君はいるのかい?」
「……は?」
「家族だよ」
本人の口から初めて聞いたその言葉に、土方は目をほんのかすかに細めた。
土方の瞳に映るにこやかな奴は多分何も考えていないのだろう。しかし今のは確実に土方の胸の内を波立たせた。
「家族……」
「そう。土方君はいないのか?」
「いません」
何故いきなりこんなを話をしてくるのだと土方の目は語るが、このいかにも鈍そうな男はそれを察してはいないだろう。耐えない笑みを浮かべる── 大鳥という男は、また一つ言葉を吐く。
「何故君は家族を作らないんだ?」
「俺の人生には邪魔だからです」
土方はくるりとくだらない会話に背を向け、その場を立ち去ろうとする。だがその背中にぽそりと投げかけられた言葉は土方の胸に深く狭く刻まれた。
「……君は家族がいたらどんな人間なんだろうね」
「何を考えているんだ?」
「……何も」
仏頂面で土方は答えた。珍しく本を読んでいたらしいがページが進んでいない。
大鳥はその土方の様子に笑みを崩し、手を顎に当てて悩むふりをする。
「君の『何も』は何かある」
目を瞑って土方は本を閉じ、背に立つ大鳥に怪訝な目を向ける。何か言いたげだが、また前を向くと本を開ける。
さすがにそれ以上は大鳥も尋ねなかったが、今度は「あ」と短い台詞を放つ。今度はなんだと言わんばかりに土方はため息をついた。
「その本、『三國志』じゃないか?」
土方はぎくりとした。あまり気づかれたくなかったことらしく、大鳥のその発言を聞くとすぐに本を閉じ、袋にしまいこむ。
「三國志、好きだなんて意外だな」
「いや……好きとかではないです」
「じゃあ何故?」
「ただの思い出です」
窓から外を臨む。一面の銀世界がひろびろと横たわっており、つららが屋根に垂れ下がっている。
「思い出?」
「ガキの時の話です。あなたには関係のない事」
そう、ただの思い出。
土方は目を細めた。つららが光を吸収して綺麗に輝いている。目が、痛い。
「大鳥さん。前に……あなたが家族の話をしたこと覚えていますか」
「あー……覚えてるよ」
「今考えたらいました。あのときの“邪魔”は訂正します」
「どういう意味なんだ?」
「……」
土方はゆっくり振り返って席を立った。無愛想なくせに寂しそうな顔をしていて、一言大鳥の名を呼んだ。大鳥もこれにはさすがに眉間にしわを寄せる。
「土方く……」
「俺に……」
「……」
「俺に三國志をさんざん読み聞かせた奴がいたんです。正直興味もなかったけど、そいつがあまりに熱心に読むもんだから、ガキの俺はとりあえず横で聞いてました」
土方は一歩だけ大鳥に歩みよった。大鳥はなんとなくだが、土方が何を言い始めているのか薄々気づき始める。
「男のくせに感動屋で馬鹿みたいに泣く奴でした。血は繋がってなかったけど多分、本当の兄貴よりも近くにいました。他の奴らも馬鹿な奴らでしたが、いい兄弟でした」
でも、と土方は一呼吸置いた。のどの奥が詰まる。
「あいつらは色んなもん残して、置いていきやがった」
その先の言葉を彼は濁す。これが家族を持ってしまった土方という人間か。
大鳥は土方の乾いた目の奥をのぞき込んだ。何故こんなにも我慢というものができるのであろうか。これが長い時間をかけて育て上げた鬼の目なのであろうか。
「わかった、もういいよ」
そうとしかかけられる言葉が見つからない大鳥は、黙ってかかとを返した。
土方の傷はまだ癒えていなかったのか。そんなことを思いながら扉のノブに手をかけた時、ぼそりと彼を引き留める声が届く。
「大鳥さん……あんたの家族、置いていくなよ」
「土方君?」
「女だってガキだって……みんな気持ちは同じなんだ」
戦場には「死ぬな」なんて甘い言葉は転がっていない。だが、沢山のその気持ちは落ちている。
大鳥はふっ、と笑みを作り、ドアノブから手を離して土方の側まで歩み寄った。
「君は優しい人間なんだね」
「……馬鹿なことを言わないでください」
「優しくなければそんなことは言えない」
「あなたもあの馬鹿共の仲間入りをしたいんですか」
「喜んでするよ」
「また馬鹿な上司……」
そう言って小さく笑う土方が、函館に散ったのはそれから数ヶ月後のことであった。
「家族には会えたか、土方君」
天を、仰いだ。
END
大鳥さんに実は妻も子供もいると知って思わず書いてしまった物。好きだな、この二人。
ちなみに最初の部分はまだ近藤さんが斬首される前、です。
(当時高二の作品)