『桜笑顔』 斬首直前話。新選組とは、生きるとは。 近藤勇&女の子
「トシは元気にしてるかな」
「何か言うたか」
頭に長い赤毛をつけた男が、近藤の横を歩きながら問うた。
髭が生え、はじめはしっかりと結えられていた髷も、今では緩くなっている近藤は、苦笑しながら「いえ」と返した。
桜が咲いている。
ひらひらと舞落ちる中をゆっくりとした足取りで近藤は進んでいく。桃色は毎年同じ色をしていて、こんな時でも微かに笑みができてしまう。
「トシ、お前は……」
笑うか? こんな姿の俺を。
そう口には出さずに、彼はゆっくりと周りを見回した。
うぐいすが鳴いている。
少し歩いて小さな部屋に通された。そこはあと数時だけ使うための、ボロボロの部屋。
あの世への待合室。
「芹沢先生はどうしているだろうか」
こんな時に、ふとその酒を豪快に飲んでいる男の姿が脳裏をかすめた。一緒に新見や平山、新選組として初めて正式に切腹させた野口が浮かぶ。
「平間くんには長生きしてもらいたいな」
くくっ、と笑う。それは嘲笑ではなく素直な感想なのだが、そういうとき、どんな風に笑うべきなのかがわからなかった。それに気づくと、近藤は今度は苦い笑みを浮かべる。
(困ったな。生きてもらいたいときはどう笑えばいいんだっけ)
山南、河合、松原、伊東、藤堂、井上、山崎……考えてもいないのに次々と人物の名と顔が頭をよぎっていく。
本当なら生きていたかもしれない人々。どうして消えてしまったんだっけ。
「ああ……“新選組”か」
また、笑うしかなかった。
「おじちゃん、なんで笑ってるの?」
「?」
突然耳に届いた可愛らしい声に、正座をしながら床を見ていた顔を上げた。
まだ4、5歳くらいの少女。まんまるとした目を、障子の隙間から覗かせている。
「なんで笑ってるの?面白いこと?」
離れた場所から窺う瞳は好奇心に満ち溢れている。その子はそわそわと傍に寄ろうとすることを我慢しているようだ。
「うちのおっかあね、入るなって言われててね、だから入ったらいけないの。鬼に食べられるって。でもね、おじちゃん、笑ってるの、鬼は怒ってるしツノあるんだよ? おじちゃん、人間なのになんで入ったらいけないの?」
まだちぐはぐな日本語に、近藤は自分の子供を思い出す。確かちょうどこのくらいの年頃だ。
自然と緩む口元と目元は、柔らかく寂しげな光を宿す。
(鬼か……)
いくら徳川贔屓になりがちな江戸の人家だと言っても、幾人も殺してきた者にそうそう自分の家の子を近づけようなんて、そんなバカなことを親は考えないであろう。
新選組は、結局は人斬り集団にしかなり得なかったのだろうか。
「おじちゃん?」
政治も国も、もちろん新選組さえも知らない少女は扉の前で首を傾げる。
「何か痛いの?おっかあに頼んで痛いの薬もらったげる?」
「いや、いらないよ。ありがとう。大丈夫、どこも痛くないから」
「そうなの?」
「ああ」
「でも、じゃあおじちゃんはなんで泣いてるの?」
天子様のために。将軍様のために。容保さまのために。
新選組として誠を貫いてきた物は一体何であったのだろうか。死を与えるために作った組織なんかじゃなかったはずなのに。
(“新選組”は……何だったんだ。トシよ……)
近藤が何も言わずに俯いていると、女の子はそろそろと障子を開け、まっすぐに近藤の傍まで寄ってくる。
そして彼のすぐ前で彼女は立ち止まると、近藤の頭を小さな手でなでた。
「おじちゃん、悪い人じゃないでしょ?」
「え?」
「悪い人は痛くないのに泣かないって、死んだおばあちゃん言ってた」
開かれた障子の隙間から、桜の花びらがひらひらと一枚だけ迷い込んでくる。それが少女と近藤の間に留まると、ぽたりと一滴の滴で濡れる。たったひとしずくの水で床と一体化した桃色は風でそこから動くことはなくなった。
「おじちゃん、元気出したら、おっかあに頼んでうちと遊ぼうね。手鞠上手いから見ててね」
「……うん、わかった。ありがとう。約束するよ」
「あとね、お歌も歌うの。どっちがいっぱいしってるかやるの。まだ負けたことないんだよ」
少女は、近藤があと何年も、何十年も生きていくのだと思いながら笑う。それはもしかしたら、忘れてしまった笑顔なのかもしれないなと、彼は思う。
近藤は顔を上げて、去っていく小さな後ろ姿に手を振った。桜吹雪の中を走り回る背は、どこか昔の自分を見ている気がした。
築き上げた組織が、今後どの末路を辿るのかはもう自分にはわからない。
何かを終わらせるために投降した自分の判断も、もしかしたら土方の言うとおり間違っていたのかもしれない。それでも敵の陣地に降りたったのは、確か、全ては──
(“新選組”、か)
そう、それはまるでこの桜の花びらのような。
「トシ、生きてくれよ」
彼は、桜の笑顔をした。
END
新選組のたどった道筋は歴史的に見れば逆賊だけど、そのそれぞれの正義を理解してくれる人は絶対いるんですよね。
(当時高二の作品)