小さな傘とボク
ヨシエが降りてから、しばらくボクの側には誰も座らなかった。
車内も随分と空いてきていた。
ユウコと乗った時と同じか、あの時より少ない位になっていた。
「待ってっ」
ぼんやり外と車内を見ていたボクの耳に突然、大きな声が聞こえてきた。
ボクは声の主を探ろうと辺りを見てみた。
ちょうどボクの前の座席の前の、ボクとは反対側の手摺に、ボクと同じように引っ掛けられたままの傘が有った。
「うっそぉ……置いてかれたぁ」
その傘はボクとは違い、手摺からぶら下がって揺れていた。
カスミが言っていた、名前が書ける傘だ。
ボクは、車内を見渡した。
車内の他の傘は、その小さな傘をチラチラ様子を見ているようだった。
(どうしよっかな……声をかけた方が良いのかな)
ボクは困ってしまって俯いた。
同じ境遇のその傘が、ボクはとても気になった。
ただ、ボクが声をかけたところで、ボクもその傘も今の境遇が変わるワケではない。
その間にも、人々は入れ替わり立ち替わり、電車の乗り降りは続いた。
「ねぇねぇ、そこの赤い傘さん」
ボクがノロノロ考えているところに、当の小さな傘が声をかけてきた。
ボクはゆっくりその傘に目を向けた。
「アナタも僕と同じクチ?」
「まあ、そんなとこ」
フレンドリーな明るい声の小さな傘に、ボクはちょっと無愛想に答えてしまった。
「たはあ、ゴメンっ。声かけちゃマズイ感じ?」
「いや、そんなことはっ」
「あぁ、良かったぁ。参っちゃうよねぇ」
「そうですね」
ボクは小さな傘のハイテンポに上手くついていけず、緊張気味で硬い受け答えしか出来なかった。
(情けないな……)
ボクは少し悲しくなった。
「ほぉんとさぁ。忘れるくらいなら持って出掛けなきゃいいのにさぁ…」
口調は変わらないが、小さな傘の持ってる空気が変わったような気がした。
「何か、有りましたか?」
ボクは思いきって聞いてみた。
「まあね。なんせもう数も思い出せないくらい置き忘れされちゃってるし」
さらっと小さな傘が言った内容に、ボクは一瞬頭が真っ白になったような感覚に襲われた。
「ほら、僕って子供用の傘っしょ。忘れられるだけじゃなくて、間違えて持ってかれるしでさぁ」
小さな傘の話は、ボクにただただ衝撃を与えた。
「今日もこの天気っしょ。何回間違われるんだろうなぁ」
当たり前のように、小さな傘は話す。
ボクはだんだん怖くなってきていた。
(帰りにはユウコに会えると思ってた)
「もうさぁ、最初の持ち主何て覚えて無いもん」
「えっ?」
ボクは反射的に声を出していた。
「持ち主、覚えて無いんですか?」
小さな傘はしばらく考えて、クスリと笑った。
「なあんとなくだけどさ。持ち主の方々のこと、覚えてるけどさ。どの人が一番最初の持ち主だったかは、もう分からないや」
「そう、なんですか」
ボクと小さな傘が話してる内に、少し大きな駅に着いたらしく、人がたくさん乗り込んできた。
人に隠れて、ボクから小さな傘が見えなくなった。
ボクの隣には薄い板を操作する、背広を着た男性が座った。
(あの傘の隣にはどんな人が座ったんだろう)
いくつかの駅を通り過ぎ、人の隙間からチラリと見えた小さな傘が有ったはずの手すりには、何も引っ掛かってはいなかった。
(そんなっ)
ボクは突き付けられた現実に、ボクの回りから音が、光が全てが消え去った。