ヨシエと本とボク
ヨシエは座ると、手摺に引っ掛かっているボクをじっと見た。
「あら、忘れ物かしら」
ぽつりと呟いたが、それ以上ボクを見ることもなく、手元の本を読み始めた。
ボクは窓の外を見た。
雨がまた降りはじめていた。
(ユウコは大丈夫かな)
この水の糸からユウコを守るのがボクの仕事のはずなのに、ボクは一人、電車で揺られている以外何も出来ない。
(ボクは、使ってくれなきゃだよ)
車内には持ち主にしっかり持ってもらってる傘が、ちらほら居てる。
ボクを見つけ目をそらすもの、ボクを憐れな目で見るもの、ボクを見てイヤな笑みを見せるもの、ただ幸せそうに持ち主を見上げているもの、窓の外を険しい目で見ているもの。
傘にも色々居る。
それよりも更に人間は多い。
ボクはふと、ボクのすぐ横のヨシエを見た。
ヨシエは変わらず本を手にしていた。
(あれ?)
ボクはしばらく見ていた間に、ヨシエの手は一度もページを捲っていなかった。
ボクを回りを見回した。
雑誌や新聞を読む人は皆、ページを捲っているように見えた。
もう一度ボクはヨシエを見た。
ヨシエは視点も動いていないように見えた。
(何を見ているんだろ?)
そんなにじっと見つめないといけない何かが、ヨシエの持つ本の中に有るのだろうか。
ボクはとてもヨシエの見ているものが気になった。
ボクはそのまましばらくヨシエを見ていた。
「オマエ、俺がそんな気になんの?」
不意に声が聞こえた。
ボクは辺りをキョロキョロ見た。
しかし、ボクに話し掛けたらしい傘は見当たらない。
「どこ見てんだよ、こっちだこっち」
ボクは声がすぐ近くから聞こえてくることに気づいた。
だが、そんな近くに傘は1つも見当たらない。
「あぁ……。オマエ、傘探してんのか?俺は本だ。オマエさっきから俺を見てただろ?」
(本?)
ボクはヨシエの持つ、ページの捲られない本を見た。
「ボクは本と話せるの?」
ボクは恐る恐る尋ねてみた。
「現に話してるだろ?」
確かに、言われた通りだ。
しかし、ボクには驚きだった。
そうなると、ボクはもしかするとユウコの家の道具や家具達とも話せるのだろうか?
「俺の何が気になってんだ?」
本は続いて聞いてきた。
「あ、その、今開かれてるページには何が書かれてるのかと……」
ボクはやや緊張しながら答えた。
「ふうん。まあ、気になんだろうな。ヨシエはこのページ以外見ないからな」
本が答えたように、こうしてボクと本が話してる間も、ヨシエは全くページを捲っていない。
「その、ページは……」
「このページが目当てじゃないんだ、ヨシエは」
ボクがヨシエの目元をじっと見ながら、呟くように問い掛けると、かぶせて本は答えた。
本のその声に、ボクは少し淋しい想いが含まれているように感じた。
「このページには栞が挟んで有るんだ、去年亡くなった旦那さんが使ってた、さ」
さらっと本は何でもないことのように言った。
ボクは一瞬息が詰まった。
じっとページの一部を見ていたヨシエは、カバン中からハンカチを取りだし、目元に持っていった。
「あ、次だな。じゃあな」
車内のアナウンスを聞いた本が言うと、ヨシエは本を閉じて席を立った。
ヨシエは窓の外に目を向けてから、ちらりとボクを見た。
「持ち主の方、きっとお困りされてるでしょうねぇ」
囁くように言ったヨシエの声に、ボクは外を見た。
雨が、景色を隠していた。