カスミとタダシとボク
置き去りにされた窓の外に意識が集中していたボクは、さっきまでユウコが座っていた席に、別の人は座ったことに気づかずにいた。
傘と呟いたのは座ってボクをじっと見ている女子学生のカスミだった。
「何、忘れた?」
カスミの前で吊革に捕まり立っていた、学ラン姿のタダシが、カスミに声をかけた。
「違うよ、私のはここに有るもん」
そう言ってカスミは、鞄の中からピンク色の折りたたみ傘を少し出してタダシに見せた。
「誰だろ、素敵な傘なのに」
カスミがボクの持ち手をつつきながら言った。
「まあ、お前向きじゃないな、その傘」
ぽつりと言ったタダシの言葉に、カスミは小動物のようにボクとタダシを代わる代わるに見た。
タダシはクスリと笑った。
「そゆとこ、違うじゃん。その傘もっと大人っぽいってかさ」
そう言われカスミは頬を膨らませた。
タダシは柔らかく笑むと、カスミの頭をポンポンと軽く叩き、カスミの鼻先に人差し指を置いた。
「オレは、そゆ傘よりピンクとかの可愛い傘が似合う子の方が好きだけどさ」
カスミは真っ赤になって、でも俯かずタダシを見てにっこり笑った。
(こういうのを『付き合ってる』っていうのかな?)
ボクは何となく温かい気持ちになった。
二人を見てる内に、ボクは少し落ち着いてきた。
カスミはボクを少し手摺から持ち上げ、そっとクルリと回した。
「名前、書いてないみたい」
カスミがぽつりと呟いた。
傘には名前を書く傘も有ったことをボクは思い出した。
ボクらのような傘には確かに名前を書くところは無いけど、もっと背の低い持ち手の小さい傘には、持ち手の近くにぷらんとぶら下がった名前を書く物が付いていたり、持ち手に直接名前を書くところが有った。
そんな傘は、小さい子どもが連れていた。
「カスミ、行くぞ」
そういうと、タダシはカスミの手を引いてカスミを立ち上がらせた。
「ねっ、傘」
「降り損ねるって」
カスミはちらりとボクを見た。
(ありがとう)
ボクはカスミには届かないと知りつつお礼を言った。
タダシはカスミの手をしっかり握り、カスミを連れて人の流れに入った。
やがて扉が閉じ、カスミが座っていた席に、着物を着た妙齢の婦人ヨシエが座った。