開拓の諸侯と一万ドルの宝石
それから三十分。
吾輩とルドルフはすっかり意気投合していた。
「――と、いうわけなのだよ、ルドルフ君」
「いやはや、貴方のお話はとても興味深い。やはり現地で身体を張って得た生の情報に勝るものはない」
「はっはっは、それは買い被りというものだよルドルフ君。何しろ、つい三年前までは全くの素人だった男の話だ。くれぐれも割り引いて聞いてくれたまえよ?」
「とんでもない。そんな貴方の目と耳で得た情報だからこそ、価値があるのです」
「そう言ってもらえれば幸いだな。うむ、吾輩の話もひと段落したところで、今度はルドルフ君の話を聴こうか?」
「うーん、わたくしの扱う商品は、一口に宝石と言っても少々特殊な代物でして……貴方がアメリカにいらしたのなら、ご存じないかも知れませんね」
ルドルフは自嘲するような、それでいて思わせぶりな笑みを浮かべる。
「もったいぶらないでもらいたいな、ルドルフ君。吾輩とて大学で地学を齧った身。希少な金属や鉱物についても人並み以上の知識を持ち合わせている自負があるのだから、そう侮ってもらっては困るな」
「おっと、申し訳ありません。決して貴方を侮辱しようというつもりはなかったのです」
申し訳なさそうな顔をするルドルフ。吾輩は彼の肩を軽く叩き、気にしてはいないことを示す。英国紳士たるもの、当然のことだ。
「構わんよ。さ、その宝石の名前を言いたまえ」
では、と咳払いしたルドルフがそれを口にする。
「クリスタリス」
「クリスタル?」
とっさに聞き返した吾輩に、ルドルフは薄く笑うと首を横に振る。
「クリスタリス、です。やはりご存じない?」
残念そうな、そして軽蔑の混じった視線。
吾輩はとっさに否定の言葉を口にしていた。
「い、いや、そんなことはないぞルドルフ君。クリスタリス、だろう? ただの聞き違えだよ、よく似た名前だからな。ああ、クリスタリスのことならよく知っているとも。ああ、もちろんじゃないか」
「ほほう」
ルドルフが笑みを深くする。
「実は、ここに一カラットほどの原石があります。部下に南米で仕入れさせたものなのですがね」
ルドルフは小さな箱から原石をつまみ上げると、懐から出したルーペを前後させて観察を始める。宝石を見つめるその表情は、酷く悩ましげだ。吾輩は少しの間その様子を眺めていたが、ルドルフは顔をしかめたまま宝石から目を離そうとしない。その沈黙に耐えきれず、吾輩は疑問を口にしてしまう。
「それがなにか?」
待っていました、と言わんばかりにうなずいたルドルフが、原石とルーペをこちらへ差し出す。
「よければ、ご覧いただいても? その方が手っ取り早い」
「も、もちろんだとも、きみ」
クリスタリスを知っていると言った手前、吾輩はルドルフの差し出した原石とルーペを受け取らないわけにはいかなくなる。光の反射を防ぐため黒く塗られた真新しい繰り出しルーペを構え、吾輩はレンズを覗き込む。透明感のある紫は、原石のままでも美しいと見る者に感じさせる。磨いたらどれほど綺麗になるのだろうか。
「どうでしょう? 貴方の見立てを聞かせていただけますか? いや、わたくしも入手したはいいものの、本物かどうか確信が持てませんでね。ここでこうして貴方のような目利きの専門家に出会えたのは僥倖でした」
ルドルフはにこにこと人の良さそうな笑みを浮かべている。
ますます期待を裏切ることはできなくなる。
「う、うむ、そう、そうだな。なかなか、いい品なのではないかな? このくらいならば、うん、ちょっと相場をど忘れしてしまった上に、アメリカ暮らしが長くてドル表記に慣れてしまってね? ポンドだとどのくらいになるかな、はは……」
「仕事柄、ドル表記にも慣れております。ぜひお見立てを」
「そ、そうかね? そこまで言われては仕方がないな。うむ、そう、このくらいの品ならば、おそらくはじゅう……いや、いち……」「一万ドル?」「そ、そう! うん、一万ドルだな! 詳しいことはもっと精密に調べてみなければわからんし、カットの出来栄えにも左右されるだろうが、原石の値段としてはきみの思うその値段が妥当であろう!」
「なるほど、大変参考になりました」
「うむ、まあ、所詮は素人の見立てだよ。あとで専門の鑑定士に依頼してくれたまえよ、ははは」
「いえいえ、ご謙遜を」
危機は、過ぎ去った。ルドルフと和やかな会話を交わしながら、吾輩は内心で冷や汗を拭っていた。しかし吾輩の誘いはどうだ。ルドルフはまんまと乗って、彼自身の考える金額を口にしたではないか。この機転、これこそが生き馬の目を抜くアメリカで生き抜く秘訣なのである。
「それで、ですね……」
からんからん。軽やかなドアベルの響きに、ルドルフはびくりとした様子で視線を向ける。吾輩も釣られてそちらを見ると、そこには精悍な面構えの配達人が立っていた。彼はカウンターまで歩いてくると、麗しきマスターに荷物を渡して少年のような笑顔を向ける。
「やあ、アルマさん」
「トムくん。ちょうどよかった、お使いをお願いしたいの」
「いいよ。どこまでだい?」
「ホワイトホール・プレイスのロニー・ヴァランスさんのところまで」
「……急ぎだね?」
「ええ、よろしく」
トムと呼ばれた配達人は軽くうなずくと、颯爽と街へ飛び出していく。なんとなくその姿を見送り、それからルドルフと顔を見合わせる。
「ええと、話の途中でしたね。そう、実は、貴方にご相談したいことがあるのです」
「相談?」
「ええ、単刀直入に言いましょう。このクリスタリスを、千ドルで買い取って欲しいのです」
「ほう。それはまた、どうして?」
ついさっき、この原石には一万ドルの価値があるとの話をしたばかりだ。流石に警戒心が先に立つ。ルドルフは、そんな吾輩の表情を見て苦笑いを浮かべて頭を掻くのだった。
「いや、お恥ずかしい話なのですが……マスターさんも、聞いていただけますか?」
「はい、なんでしょう?」
「ええ、その、なんと申しますか。実はわたくし、これからクリスタリスを仕入れに南米へ飛ぶところでして、長旅を前にして最後にカフェでコーヒーをと考えてこちらに寄らせていただいのですが……どこかで、財布をすられてしまったようでして。しかも運の悪いことに、そのこと気付いたのはコーヒーを飲んでしまってからでした」
「ふむ、なるほど。合点がいったぞ。つまり、きみは当座の資金が欲しいというわけだな」
「その通りです。しかしわたくしが持っている金目のものはこの原石だけです。もちろん磨けば美しい宝石になるとは言え、このままではマスターさんにとっては『綺麗な石』でしかありません」
「いや、皆まで言わずともいいよ。確かに素人にとってはただの石に過ぎない――」
次の一言が効果的になるよう、たっぷりと間を置いて。
「――しかし、吾輩のような専門家となれば話が違う。きみが言いたいのはそういうことだろう?」
吾輩のウィンクに、ルドルフは我が意を得たりと言わんばかりに膝を打つ。
「全くもっておっしゃる通り。貴方ならばきっと腕のいい鑑定士や加工士のツテもございましょう。わたくしから千ドルで仕入れ、千ドルでカットし、七千ドルで卸して一万ドルでの販売とすれば、差し引き五千ドルが貴方の手元に残る計算になります。迷惑料と手間賃と考えてもいささか物足りない金額かとは存じますが、どうかわたくしを助けると思って、ここはお願いできないでしょうか」
ルドルフは席を立つと、深々と頭を垂れる。吾輩はそんなルドルフの肩に手を置き、頭を上げるよう促してから鷹揚にほほ笑んだ。
「顔を上げてくれたまえ、ルドルフ君。きみの申し出はもちろん受けるが、それは金額の多寡やきみへの同情心からのものではない。吾輩は、きみという知友を得られたことがただ嬉しいのだよ。だからこれは、これからもビジネスパートナーとしてやっていくための最初の一歩として捉えてもらえたい」
そんな吾輩の言葉に、ルドルフはただ恐縮するばかりだ。
「いや、そんな風に言っていただけるとは赤面の限りです。ええ、こちらこそよろしくお願いします」
「うむ、ところできみはこれから南米へ行くのだと言っていたね。ひょっとしたら、急ぐのではないかな? もし船に乗り遅れたとあっては吾輩としてもここで助けた甲斐がない。吾輩のことはいいから、君自身のことを考えたまえよ」
吾輩はそう言って財布を取り出す。確かぎりぎり千ドルは入っていたはずだ。
「本当に、ありがとうございます。このご恩は必ず!」
「いやいや、構わんよ。よい旅を!」
百ドル札を十枚数え、角を揃えてルドルフに差し出す。ばたん、と荒々しく扉が開かれ、足音も高く男たちが店に踏み込んできたのはそのときだった。
「いや、君の行く先は南米ではなく刑務所だよ、ミッキー・マグスマン君――」
最後に踏み込んできた、恰幅のいい中年男性が煙草に火を付けながら言う。
「――スコットランドヤードのロニー・ヴァランスだ。初めまして、よろしく頼むよ」
やつを捕らえろ。ロニーと名乗ったその男が呟くと、席を蹴ろうとしたルドルフは三人の警官によってあっという間に床に組み伏せられてしまう。彼はもう逃げ出せないと悟ると、歯をむき出しにして口汚く罵り始める。
「もうちょいだったってのに、ちくしょう! どっから嗅ぎつけてきやがったブタ野郎ども! 生意気にブタ風情がお上品にカフェになんぞ来やがって、放せこの野郎! ひばりと一緒にどぶにでも顔突っ込んで浚ってやがれ!」
つい先ほどまで和やかに吾輩と会話していた相手とは思えないほどの剣幕だ。
事態の急転についていけず、吾輩は助けを求めてマスターの顔を見る。
麗しきマスターは、ただ黙って微笑んでいるばかりだった。






