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深煎りの魔女とカフェ・アルトの客人たち  作者: 天見ひつじ
酔いどれ元炭鉱夫とカフィーズ・トゥービター
17/21

酔いどれ元炭鉱夫とオールド・ポーター

 そしてお師匠さまがいなくなった今も、老ディグは年に一回のカフェアルト来訪を欠かさない。もう七十五にもなるはずだが、今年もきっと来てくれるはずだ。からんからん、とカウベルの鳴る音にわたしは視線を上げる。そこに立っていたのは配達人のトムだった。


「やあ、アルマさん。注文の品を持ってきたよ」


「ありがとう、トムくん。はい、これ」


 彼が愛用の革カバンから取り出したのは一本の酒瓶だ。わたしは代金と引き換えにそれを受け取り、後ろの戸棚に安置する。今日のためにわざわざ用意したものだから、万一割ってしまったりしようものなら替えが効かない。彼はこの後も配達があるらしく、にこりと笑うと颯爽と駆けていってしまった。


 ディグがいつも通りの喪服に身を包んで店を訪れたのは、それからしばらくしてからだった。


「ったく、堅っ苦しい格好してると肩が凝っちまうぜ」


 ステッキをカウンターの端に引っ掛け、ネクタイを緩める老ディグ。


「っと、相変わらず行儀が悪くてすまねぇな」


「いいえ、構いませんわ」


「じゃ、お言葉に甘えるぜ。いつもの、頼む」


「ええ」


 トムくんに配達してもらった瓶を開ける。中身は黒エールだ。焦げた麦芽の独特な臭いが鼻孔に届くのを感じながら、ジョッキに注いでカウンターに置く。さて、いつもとの違いに気付いてもらえるだろうか。


「おう、これだよこれ」


 老ディグがジョッキをあおる。ごくり、ごくりと喉を鳴らして飲む様子はいかにも旨そうだ。しかし、ジョッキを下ろした彼はしきりと首を捻っている。旨いが、なにかが引っ掛かる。そんな顔だ。


「どうも、いつもより濃い気が……嬢ちゃん、一体どんな魔法を……?」


「魔法なんて、使ってませんよ。この味、覚えがありませんか?」


 その言葉で、老ディグは思い出す。そう、これはまだ彼が若かりし頃の味を再現したものなのだ。


「ああ、そうか。こりゃ、俺たちが若い頃の……」


「ねえディグさん。イングランドでのポーターの製造が終了するって話はご存じ?」


「ん? ああ、知ってるさ。今どきの若いもんはエールを好まないんだってな」


「そう、それでね。もう最後だから、昔飲んだ懐かしい味を再現しようって昔の製造法を忠実に守って限定生産されたうちの一つが、これなの」


 カウンターに酒瓶を置く。ラベルに記されているのは『オールド・ポーター』の銘。


「オールド・ポーターね。ふん、こりゃいい。奴の思い出を偲ぶにはぴったりじゃねぇか」


「そう、そう思って」


「ありがとうよ、嬢ちゃん」


「ううん」


 お師匠さまがいなくなってからもずっと、ディグさんにはポーターを出し続けてきた。もちろん、ディグさんが唯一ポーターと認める『イングランド産の』ポーターだ。けど、それも今年で終わり。イングランド国内の醸造所は閉鎖され、アイルランド産か大陸産のものを仕入れるしかなくなる。寂しいけれど、仕方のないことだった。


 だからこそ、今年はそれだけでは終わらせたくなかった。

 早速空っぽになったジョッキを前に、わたしは一つの提案をする。


「ね、ディグさん」


「なんだい、嬢ちゃん」


「次は、わたしに任せていただけない?」


「お? 構わんぞ」


「ありがとう」


 用意するのはエスプレッソだ。極上の深煎り豆を挽き立ての香り高いままにマキネッタへ投入し、二杯分を淹れる。できたエスプレッソを半分ほどジョッキに流し込み、その上からオールド・ポーターを注いでいく。軽く混ぜて、泡を整えれば出来上がりだ。


「さ、どうぞ」


「これは……ポーターにコーヒーを混ぜたのか? わしゃコーヒーは苦手なんだがな」


「そんなこと言わずに」


「ま、嬢ちゃんの頼みじゃ断れねぇ。いただくぜ」


 口ではそう言いつつも顔をしかめて飲み始めた老ディグの表情が、驚きを示すものへとみるみる変わっていくさまはちょっとした見物だった。実はぶっつけ本番、初めて作るカクテルだったのだが、結果は成功のようだ。


「こりゃ……うめえ。あいにく学がないもんだからうまく言い表せねぇが、とにかくうめえ。コーヒーなんて飲めたもんじゃねぇと思ってたが、こいつは別だ。名前は、なんてんだ?」


「名前は、ないの」


「あん?」


「ポーターさんをイメージして、わたしが創ったカクテルなの」


「……ポーターを?」


「そう。だから、このカクテルの名前はコーヒーエール『ライフポーター』と名付けたいと思うのだけど……その前に、ディグさんのお許しをいただきたいと思って」


「……おお、おお!」


「どうかしら?」


「もちろんだ! 使ってやってくれ! あの人の弟子が作ってくれたカクテルに自分の名前がつくなら、あいつも喜ぶにちげぇねぇ!」


「……よかった!」


 安堵に、思わず涙がこぼれそうになる。

 怒られたら、どうしよう。気に入ってもらえなかったら、どうしよう。普通の黒エールで試作してある程度の自信は持っていたが、一抹の心配は拭えなかったのだ。それも、今の言葉でようやく消えてくれた。オリジナルカクテル『ライフポーター』が、いまここに誕生したのだ。


「ねぇ、ディグさん。わたしも一杯いただいて、いい?」


「当然だ! 飲んでやってくれよ」


「ありがとう」


 残っていたエスプレッソで、自分用のライフポーターを小さめのグラスにフィルアップしていく。苦みと香ばしさを特徴とする黒エールは、元々コーヒーとの相性がいいのだ。真っ黒な液体は艶めく石炭を思わせ、香りとコクが深く複雑に絡み合って鼻へ抜け、フルーティーさに苦みが加わる。


「ポーターさんに」「ポーターに」


「嬢ちゃんのお師匠さんに」「お師さまに」


 二度、かちりと打ち合わせ。

 わたしは、ライフポーターのグラスを勢いよく傾けた。

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