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深煎りの魔女とカフェ・アルトの客人たち  作者: 天見ひつじ
開拓の諸侯とアメリカーノ・ドリーム
10/21

開拓の諸侯とジアザ・アメリカーノ

 抵抗空しく、ルドルフは警官たちに引き立てられていく。


「ご協力感謝いたします、マスター。このお礼は必ず」


「いえ。またのご来店、お待ちしております」


 おそらく刑事なのだろう、ロニー・ヴァランスと名乗った中年男は敬礼のために上げかけた腕を途中で下ろし、少し迷ってから深々とお辞儀をして警官たちの後を追っていった。それと入れ替わるように入り口に顔を出したのは、先ほどの配達人だ。


「トムくんもありがとう。なにか飲んでいく?」


「お安い御用さ。そうだな、少し汗をかいたし……カフェラテをアイスで飲みたいな」


「カフェラテ、好きだよね?」


「そりゃあ……」


 配達人はなにか言いかけて、結局は口をつぐんでしまう。

 マスターはそれを知ってか知らずか、くすりと微笑むとエスプレッソを淹れる準備を始めた。火にかけられた縦長のポットはマキネッタと呼ばれる道具だっただろうか。それなりに年季の入った風格を醸し出していて、この店の落ち着いた雰囲気にいかにも似つかわしい。配達人はと見れば、マスターが立ち働く姿やポットがぽこぽこと音を立てる様子を眩しそうに見つめている。きっと彼はマスターに恋をしているのだろうと思うと、大人として微笑ましい気分になる。吾輩も彼くらいの年齢のときには、年上の女性に憧れたものだ。


「どうぞ?」


 氷の入ったタンブラーに、たっぷりの冷たいミルクと淹れたての濃いエスプレッソが注がれて差し出される。白と茶、綺麗な層となったカフェラテは崩してしまうのが惜しいほどだ。配達人はマスターからそれを受け取ると、美味そうにぐいっと傾ける。マナーとしてはともかく、隣で見ている方が同じものを頼みたくなってしまうような、そんな飲みっぷりだ。


「旨かったよ、ありがとう。じゃ、仕事があるから!」


 配達人はことりと音を立ててグラスをカウンターに置くと、先ほどと同じように軽く手を振って店を去っていく。今どき珍しい、見ていて気持ちのいい若者だった。


「ヴィッカースさん?」


 閉じたドアを見送っていた吾輩は、突然後ろから名前を呼ばれてびくりとしてしまう。声の主は、マスターだった。カウンターの上で肘をついて顔を乗せているので、距離が近くてどぎまぎしてしまう。


「流石の話術、でしたね?」


「え?」


「ルドルフさんが詐欺師だと見抜いて、スコットランドヤードの方々がいらっしゃるまで引き留めて下さっていたでしょう。ご謙遜なさらなくとも、わかりますよ?」


 マスターはそう言うと、わずかに首を傾げて微笑む。


「お、おお? ああ、はは、も、もちろんだとも。わはは!」


 どうやらマスターは吾輩の振る舞いが全てを見抜いた上でのものだったと勘違いしているらしい。だが、その誤解はわざわざ解くほどのものではない。吾輩は、笑ってごまかすことにした。マスターはそれに応えるようににこりと笑うと、カウンターの隅に転がっていたクリスタリスをつまみ上げて光にかざす。


「クリスタリス……ただの紫水晶、ですね。ヴィッカースさんの鑑定眼を騙すには役不足、だったのかも」


「そ、そうだろうそうだろう!」


 紫水晶、つまりはアメジスト。貴石は貴石に違いないが、原石でそこまで高値がつくようなものではない。もし言われるがままに金を出していたら、大損をするところだったということだけは確かだ。いやはや、危ないところだった。アメリカではあまり目にしなかったものだから、ぱっとと見ただけでは見分けが付かなかった。しかし、そんな様子をマスターに見せて失望させるわけにはいかない。吾輩は胸を張って重々しくうなずき、余裕たっぷりにコーヒーに口をつけようとしたところで、カップが空になっていることに気付く。


「そうだ。ヴィッカースさんにも、お礼としてなにか作らせていただきますね?」


「ああ、いや、それには及ばんよ。うむ、だが、折角の申し出を断るのも失礼かな?」


「遠慮なさらずに。アルコールを入れても?」


「構わんよ。カクテルかな? さっぱりしたのを頼むよ」


「ええ、お任せ下さい」


 マスターは棚や冷蔵庫から取り出した瓶をカウンターに並べると、それらを手際よく注いでかき混ぜていく。最後にレモンの輪切りがグラスのふちに飾られると、初夏の季節にふさわしい鮮やかな紅茶色のカクテルができあがる。


「さ、どうぞ」


「おお、これは涼しげでいい」


 早速いただくことにする。一見アイスティーかと見紛うような色をしているが、顔を近づけるとレモンに交じってハーブの香りがする。この特有の匂いはカンパリだろう。口に入れるとほろ苦い甘みが広がり、よく冷えたソーダがすっきりとした後味を残す。


「さて、一息ついたところで、ヴィッカースさん?」


「なんだね?」


「ヴィッカースさんがどうやってルドルフさんを詐欺師だと見抜いたのか、わたしなりに考えてみたの。よかったら、聞いていただけないかしら?」


「うっ……うむ、構わんよ」


 終わったと思っていた話題を蒸し返され、思わず咳き込みそうになる。そんな吾輩の心境を知ってか知らずか、マスターは無邪気な笑みを浮かべて楽しそうに喋り始める。


「まず違和感を抱いたのは、日焼け」


「日焼け?」


「そう。ほら、ヴィッカースさんはよく日焼けしていらっしゃるでしょう?」


「うむ、アメリカの日差しはきついからな」


 吾輩は赤銅色をした自らの腕に目をやる。鏡で見れば、鼻の頭には日焼けで剥けた跡もあるはずだ。


「けど、あの方は真っ白だった。まるで夜の社交界を仕事場にする上流階級や、その人たちを相手に商売をする人みたい。お仕事で何度も南米と行き来している人の肌としては、ちょっと不自然に思えたの」


「うむ、なるほど」


「次に違和感があったのは、ルーペの扱い方」


「ふむ?」


「詐欺師さんがルーペを使う姿を見て、なにか変だなって思ったの。でも、なにがおかしいのかが分からなくて……しばらく考えて、それから気付いたの。ああ、知り合いの職人さんの使い方と違うんだ、って。ねえ、ヴィッカースさん。ああいうルーペって、顔の前で固定して使うものなんでしょう?」


「うむ、その通りだな!」


 そうなのか。知らなかった。


「それから、あの繰り出しルーペ。仕事でずっと使ってるものなら、こんな風になってるはず」


 マスターは引き出しの奥からルーペを取り出して手のひらに乗せる。


「これは新しいものを買うからって知り合いの職人さんから譲られたものなんだけど、こういうルーペって、使い込むうちに塗装が剥げてくるものなんですってね」


 彼女からルーペを受け取ってみると、確かに黒い塗装の下から金色の地が覗いているのが分かる。剥げているのは、主として可動部やふちの部分、手の指がよく当たるであろう部分だった。そのルーペの元の持ち主の大きな手がなんとなく想像できるような、年季の入った逸品だ。


「もちろん新調したって可能性も考えられなくはないけれど……あのルーペ、よく見たら上面に『×8』って刻んであった。けど、宝石鑑定に使うなら最低でも20倍は欲しいところ、ですよね?」


「う、うむ。マスターは色々なことに詳しいのだな」


 吾輩はと言えば、そんな部分まで見ていなかった。どう取り繕うかで頭が一杯でそこまで気が回らなかったと言ってもいい。しかし、マスターの言うことはいちいちもっともだ。もし吾輩が平常心を保っていたならば、きっと同じことに気付いていただろう。そう、あのルドルフが吾輩を惑わすような詐術を使ったから吾輩は気付かなかった、否、気付かないようにされていたに違いない。


「一つ一つは小さなこと」

 マスターは一呼吸置いて、そっと結論を口にする。

「けど、これだけ重なれば偶然とも思えない。もちろん、ヴィッカースさんも同じことに気付いていらっしゃった。だからこそ、わたしがトムくんにヴァランスさんを呼びに行ってもらったことを察して、あえて馬鹿のフリをして、詐欺師さんをお店に引き留めていた。きっとそうでしょう?」


「は、はは、いや、確かにその通りだが、マスターの推理力も大したものだ! 吾輩はそう思うね、うむ! いや、シャーロック・ホームズも顔負けだ、素晴らしい! さ、さて、吾輩もそろそろお暇せねばならん。お代はここに置いておくよ。なに、釣りはいらん。名前は知らんが、あんなに美味しいカクテルもご馳走してもらったことだしな! ああそうだ、後学のために、あのカクテルの名前を教えてもらえんかね? またロンドンに来た際には、ぜひこちらに寄って飲ませてもらうよ」


 そうして、吾輩はこのカフェ・アルトから尻尾を巻いて逃げだす羽目になる。

 マスターの、最後の言葉はこうだった。


「そう、カフェで飲むなら、アメリカーノだ。ぴりっとくるカンパリと、チンザノ・ベルモット。レモンの大きな輪切りを、ソーダで割って――――このカクテルは、アメリカーノと申しますの」

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