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第七話(サイドA)

 私は盆を手に台所へと廊下を歩く。

 ヒュー様のもとからどう下がったのか、まるで覚えてない。

 顔がまだ火照っているような気がする。いつものようにしているはずなのに、頭に霞がかかったようで。まだ夢の中にいるよう。


 ヒュー様の腕の中にいた、私。

 あの方を遠くから見ていた時とは、まるで違う。

 温かいぬくもりを感じた。唇も。私を抱き締める力強い腕。男の人なんだと、思った。私よりも大きくて、たくましくて、熱かった。

 男らしくて、なんだか、嬉しくて、怖くて。でも、離されたくなくて。

 どのくらい一緒にいたんだろう。


 茶器をのせた盆を台所へ返し、ふわふわと歩いていると声がかけられた。


「あら、あなた、屋敷の息子の愛人ね」


 クスッと笑いながら声をかけてきた女性は、私を見下している。嫌な笑い。

 しかし、そんなことより、その言葉に私は凍りついた。

 愛人?

 ヒュー様の、愛人……。

 彼女の背後にからキャリーが息を詰めて私を見ていた。他の使用人も私を見ている、眉をしかめて。

 ああ、そういうこと、か。

 私はようやく自分の立場を理解した。何を期待していたのだろう。

 私は使用人で、身分違いで、私の恋が実ると思うなんて。

 何を勘違いしていたんだろう。

 あの方は、あの方は貴族男性だけど、私の想いを受け止めてくださってると思っていた。

 でも、ヒュー様が面白半分に私を驚かそうとしていたのは知っていた。私の反応が面白くてやっているんだろうということは。

 他人が見たらどう映るかなんて思いもしなかった。恋人ではなく、愛人だなんて。


「誤解なさらないでください。ヒューイット様はそのような方ではありません」


 私はキッと見知らぬ女性に言葉を返した。私が蔑まれるのは仕方ないとしても、ヒュー様が使用人を愛人にするような方だと言われたくない。

 こんな何も知らない人に。


「あら、違うの? 庭で抱き合ってらしたのに? 中々お熱い様子でいらしたじゃない」


 彼女は私をあざ笑うかのように片方の口端を上げ、私を見据える。この女性はヒュー様を貶めたいと思っているような気がして、私は彼女を睨み返した。

 ヒュー様を悪く言わせるものですか。


「私は愛人ではありません。屋敷の者を愛人になさるような方だと、ヒューイット様を侮辱なさるおつもりですか?」

「侮辱するつもりなどないわ。ただ、貴族男性のごく普通の嗜みをお持ちだと」


 私の強い口調に気押されている様子の彼女に、後方から攻撃的口調の言葉が浴びせられる。


「うちのご主人様一家を、悪趣味な貴族達と一緒にしないでいただきたいわね」

「そうよ。うちは腐れきった貴族のお屋敷とは違うの。お宅はどうかは知らないけど」


 彼女の後方にいる女中仲間のキャリーとエリナが口々に彼女へ抗議の声をあげたのだ。


「私はこの目で見ているのよっ。せいぜい、噂にならないよう気をつけることね」


 彼女は捨て台詞を残し去って行った。

 しかし、彼女自身が、あちこちで噂をふれまわりそうだ。


「キャリー、あの人は誰?新しく入る人ではないの?」


「違うわ。ヒューイット様を訪ねてきた貴族娘の侍女よ。私達使用人とは身分が違うとか言って私達を思いっきり見下してて。腹がたって仕方なかったのよ」

「ほんと。お嬢様のお付きで来たらしいけど、あの侍女様ったら私達に命令口調でね。いつまで居座るつもりかと思ったわ」


 お客様の連れだったのか。よほど気にいらない女性だったらしい。

 それにしても。


「ごめんなさい。気まずい思いをさせてしまって」

「愛人ってのは驚いたけど」

「そうねぇ、ヒューイット様とまさか抱き合ってたとは」


 そういう二人は私のことを蔑むわけではなく、驚いたと言うわりにそれほどでもない。それどころか、ニヤニヤしているような。

 私はそんな二人の様子に戸惑った。

 もしかして、知っていた?

 驚いている私に、二人は笑顔を向けこう言った。


「まさか、知らなかったと思ってたの?」

「いやだわ、マリーン。あんなにわかりやすく恋に落ちたばかりの小娘しちゃってて、わかんない人なんて旦那様と奥様くらいのものよ」


 笑顔で呆れたように告げられた。ということは、働いている人はみんな知っていたということで。

 私は見る見る頬が熱く火照ってきた。

 みんな?

 思わず涙が滲んで視界が霞む。

 恥ずかしすぎる。


「泣かないでよ。あんたがヒューイット様命なのは最初から気づいてたわよ。想いが伝わったみたいね。よかったわ」

「キャリー……」


 きっと蔑まれると思ってた。身分違いのくせに馬鹿なことをって笑われると思ってた。こんな風に言ってもらえるなんて思ってなかった。

 わかってもらえていたなんて。

 でも。


「さっきの人、ヒューイット様が使用人を愛人にしてるって喋ると思う?」

「思うわ」


 私の背後から返事が返ってきた。

 振り返ると、ワゴンを押した女中仲間のシェリルが立っていた。彼女はヒューイット様とお客様へお茶出ししていたのだ。


「シェリル、お疲れ様」

「どういうこと?」


 キャリーがシェリルをねぎらい、エリナはシェリルの先程の発言を問いただした。


「あの貴族娘、ヒューイット様にいい寄るつもりで来たみたいだけど、ヒューイット様はまーったく相手になさらなかったわ」

「よかったぁ。あんな侍女を連れてる主人の性格がいいとは思えないもの」


 エリナが胸を撫でおろす。本当は先にワゴンを所定の場所へ運ばないといけないのだが、シェリルは興味津津で三人の話に加わるつもりのようだった。


「で、何かあったの?」

「後で話してあげるわ。今は先にヒューイット様のことを話して」


 キャリーが先をうながす。

 私を含め、みんなシェリルに身を乗り出すようにして耳を傾けている。

 シェリルは不満そうだったけど、とりあえず客とヒューイット様のやりとりを話し始める。

 こういうことは本来秘密にするべきことだけど仲間が関わっていることだしと彼女は事細かに見たことを語り尽くした。それはもう臨場感あふれる見事な語り口で。

 私達はシェリルの話を聞き終え、一斉に溜息をついた。

 その後。


「私はしばらくここからいなくなった方がいいと思うの。ヒューイット様に変な噂がたっては困るから」

「マリーン、しばらくってどのくらい?」

「一年くらい、かな」

「えーっ、どうしてそんなことに?」

「後で説明するって」

「あーん、話すだけ話させておいてぇ。私だけ話についていけないじゃないのよ」

「愛人の噂をたてられても、当の相手が領主館で働いてなければ嘘だってなるでしょ? ヒューイット様に妙な噂の的になっていただきたくないってこと」

「そうなの? でも、あそこって影響力あった? あの貴族娘のとこ、使用人が内情晒しまくりで評判悪いとこじゃなかった?」

「まあ、安全対策よ」

「そっか。で、何処に行くつもり?」

「町を離れることしか考えてないけど、何とかなるわ」


 私がそう答えると、一斉に呆れた視線を向けられてしまった。


「若い娘が知らないところへ行って、何とかなるわけないでしょ?」

「本当に。歳の割にぽーっとしているんだから、マリーンは」

「じゃあ、マリーン。女中頭に仕事辞めるって伝えてきて? 行き先は私達が検討しておくから」

「えっ、検討って……」

「はいはい、さぁ行った行った。悪いようにはしないから、安心して私達に任せて」


 戸惑う私をよそに、彼女達には何か考えがあるらしい。見合わせて頷きあっているところを見ると。

 背中を押されるようにして、私は女中頭のいる事務室へ向った。


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