第五話(サイドA)
ほとんど毎日のように、午後にはヒュー様が庭に出向いてお茶を飲まれるようになった。
執務室にいらっしゃる時とは違い、外では寛いだ様子になるのが何だか嬉しい。私と一緒にいるから寛いでいるわけではないけれど。それでも、お役に立てているような気がするので。
今日もお茶を入れる。少し温いだろうお茶を、ヒュー様は文句も言わずに飲み干される。
時にはお代わりされることもある。美味しいとは思えないのだけれど、気温が高くなってきたので喉が渇かれるのかもしれない。
もう少し湯の量を多くしてもらえるよう伝えた方がいいだろうか。
そんなことを考えながらカップにお茶を注ぐ。
今日は近くに鳥がいるようで、涼やかな鳴き声が響いている。
最近、ヒュー様はお茶の後、私の手を取り撫でている。
嬉しいし気持ちいいので私も手をそのままにしているけれど。
しかし、急にその手を引かれてしまい、前につんのめった。
「マリーンもそこに座ってくれよ」
悪戯っぽい笑いを浮かべてヒュー様が私にそう言った。この、少し甘えるような顔が、私の胸をわしづかむ。
普段ならこんな表情はなさらないのに。
そんなことが堪らなく嬉しい。
言葉に従い、私は岩に腰かけた。
にやっと笑ったヒュー様は、私の膝に頭を乗せた。
膝枕である。
どうやらヒュー様は何かを思いついては私を驚かせるのがお好きなようだった。
膝の上のヒュー様を見下ろし、硬直している私を満足そうに眺めてヒュー様は目を閉じた。
えっ。目を閉じた?
ヒュー様はごそごそと体勢を具合よく調節して、私の膝の上で眠ってしまわれた。
確かに程よい緩やかな風が吹き、サワサワと揺れる枝の音や鳥の声も落ち着いたのどかな空間で、木漏れ日がもたらす温かさもきつ過ぎず心地よい。
昼寝には快適な空間ではあった。
寝息を立てるヒュー様の邪魔にならないよう、大人しく座っていることにする。
こんな近くでヒュー様のお顔が拝見できるなんて。
でも、視線を感じては眠りの妨げになってしまうかもしれない。私はヒュー様を見下ろさないよう、視線を余所に向けた。ドキドキしている私の鼻息が荒くなっているような気もするので、両手を背後について思いっきり背中をそらすようにした。
毎朝、領地の各家を回って、家の修理を積極的に行っておられるので、ヒュー様はお疲れなのかもしれない。最近は以前にもまして領地のことに気を配っておいでのようだった。今年は新しい作物を栽培するらしい。
私の実家でも話題はそのことばかりだった。兄が今年の栽培には特に力を入れていた。子供の頃の憧れそのままに、兄はヒュー様の言うこと行われることには何でも力が入るのだ。失敗したこともあるけれど、最終的にはいつも成功へと導いてきたのだから、兄は熱心なヒュー様信望者の一人だった。
それはそれで、ヒュー様は大変なのだろうと思う。
のんびり過ごしておられる領主様と奥様が恨めしく思う。もう少しヒュー様の負担を軽くなさるようにしてくださればいいのに、と。
使用人の分際で余計なお世話だと思うけれど。
それほどに御二方はのんびりなさっておられるのだ。明日からはなんと御夫婦で旅行に出かけられるらしい。
こんなにヒュー様がお疲れになっていらっしゃるというのに。
「ヒュー様」
つい口から出てしまってはっとする。
外でのんびりしているものだから油断してしまった。
私はヒュー様の様子を窺ったけれど、寝息を立てていてホッとする。
気をつけないと。
私は空を見上げた。
木の枝の間から流れていく白い雲を見つめていると、時間を忘れてしまう。雲のようにゆっくりとゆっくりとでも確実に時が流れていく。
膝の重みは私がここにいる理由であり、私の存在を確かにする。眠りに誘われるけれど、辛うじて意識を保つ。
なんて役得な仕事なんだろうと思う。
ただ、ここでこうしているのは、仕事であることを忘れてしまうという最大の難点があるのだけれど。
ヒュー様が身じろぎなさった頃合に、ヒュー様へ声をかける。
「ヒュー様。ここで眠ってしまわれては風邪を召されてしまわれます」
残念だけれど、お起こししないわけにはいかない。
あまり長くここで風にさらされ続けるのは、お身体によろしくないだろうから。
「うぅん」
愚図るように膝の上で転がるヒュー様。
これはまた最高の光景で。
いつもはご立派な姿を拝見しているのに、この子供のような仕草には。
私のニヤニヤが止められなかったのはいたしかたない。
目を開けて下から見上げてきたヒュー様は、拗ねたような顔を見せた。
「何を笑っているの」
半分だけ瞳を開き瞼が重そうな顔で口をとがらせているのは、何とも言えず最高で。私の顔は止められないニヤニヤをどうにかしようとして妙な具合に歪んでしまったらしい。
ヒュー様は吹き出すように笑い始めた。
すっかり目覚められたようなので、よかったのだろう。私は恥ずかしかったけれど。
そうしてそれからは、お茶の後は膝枕という日常が続くことになった。