第四話(サイドB)
突然思い立ち、昔、領地の子供達を引き連れて遊んだ場所へ来た。マリーンを連れて。
おそらく、遊んだ子供たちの中にマリーンもいたはずだが、正直なところほとんど覚えてはいない。
女の子は数人交じっていたけれど、みな大人しく自分からは離れていた。一人二人はおしゃべりな女の子がいたが、それはマリーンではないと思う。おそらくだが。
朝、彼女が囁いた声を、もう一度聞きたいと思った。
だが、その後、聞くことはなかった。
そこでマリーンにお茶を運ばせるよう執事に伝えたのだが。
初日の緊張ぶりはかなり笑えてしまった。なんとか平静を装おうとしているのが、また何とも言えず。笑みを噛み殺すのにどれだけ苦労したことか。
下がり際に声をかけた時、彼女は目を丸くして硬直した。
その後、一気に顔を赤く染めたのは、印象的だった。すぐに頭を下げドアから出て行ってしまったが。
あんな風に顔が赤くなった女性は初めて見た。頬が赤い女性は多いが、あんなに耳まで赤くなるとは。
それから毎日彼女にお茶を運ばせるようにしたが、彼女は二度目から失敗することはなかった。最初も別に失敗というわけではない。ただ、あまりに緊張しすぎていたというだけだ。
日を追うごとに彼女の緊張は薄れ、難なくこなし静かに部屋をでていくことが何だか物足りなかった。
時折向けられる彼女の視線が自分を高揚させてくれることを、知っていたからだった。
その視線は、彼女が慣れるに従って自分へ向けられることがなくなってしまった。彼女がうまく視線をそらし感情を消してしまうからだ。
マリーンのことを執事に聞いてみた。領地の小作人の娘だと知り、それならば子供の頃に遊んだ中にいただろうと思った。
だから、ここへ連れてきたのだ。明るいところで彼女を見たいという思いもあった。
案の定、彼女は戸惑い、自分へと視線を向けてきた。何度も。その感情の籠った瞳で。
ぞくぞくする程それは自分の感情を高ぶらせる。眩いものを見るかのようなその視線が自分に向けられ、満足する。
岩に腰をおろした。
彼女はゆるゆると岩の隅へ盆を置き、カップへと茶を注ぐ。
風が鳴らす葉や枝の揺れて擦れる音がする中に、注がれる液体の音。しばらく、そのカップを眺めている彼女。
音もなく彼女のスカートを風が揺らし、耳元から首筋へと零れた幾筋かの髪の毛がなびいて動く。白い喉元から唇へと視線を上げると、小さく開いた唇から、吐息のような息がこぼれた。
「申し訳ありません。お茶を取り替えてまいります」
残念そうな彼女の言葉を理解するのに時間がかかった。うっかり考えることを止めていたらしい。
「かまわないよ。外だから、冷めているくらいが丁度いい」
わざわざ取り替える必要などない。これほど天気のいい日に、熱い茶が飲みたいわけではなかった。
彼女へと手を差し伸べると、彼女は驚いたように目を見開く。
視線を落としたが、彼女が照れたような口元を引き締めようとしているのがわかる。それにつられて、自分も口元が緩む。
早くカップを渡してほしい。
にやにや笑いながら手を差し出している自分が間抜けのようじゃないか。そう思うが。
彼女はゆっくりと、カップを差し出した。いいのだろうかと逡巡しているのか、何度もこちらを窺いながら。
その心配そうな様子は微笑ましく。
大丈夫だと思わせるように、一息にカップの中身を飲み干した。温くなったそれは、確かにいつものお茶より味が落ちる気はした。
しかし、彼女に一心に見つめられる今は、お茶の味など全く気にならないほど気持ちよかった。
飲み干したカップを受け皿に戻すと、彼女はほうっとため息をついた。そして、今までとは違う笑顔を浮かべたのだった。
取り立てて美人というわけではない。
しかし、その柔らかな穏やかな頬笑みは、木漏れ日の中でそよぐ風にとけるようだった。
それからは、天気が良ければ、彼女を連れて庭でお茶を飲むようになった。
彼女は執務室の時とは違い、わざと視線をはずしてしまうようなことはなく、時折望んだ笑顔が見られる。
天気が良ければ、ではなく、雨で無ければというほど頻繁にそうするようになった。執事が次第に嫌そうな顔をするようになったが、それには気付かないふりをし続けて。