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第三話(サイドA)

 いつもなら執事の役割であったのに、今日は私がヒュー様の執務室へ飲み物を持っていくことになった。

 仕事中のヒュー様が拝見できると思うと、緊張はするけれど、嬉しさの方が数倍も勝ってしまう。

 私はお茶の支度を整え、緊張しながら執務室を訪れた。


「お茶をお持ちしました」


 震えそうになる声で執務室のドアに向かってなんとかそう告げる。


「入れ」


 中から返る短い声に、ドキドキしながら私は顔が緩まないよう気合いを入れてドアを開いた。

 シンと静まりかえった部屋では、ヒュー様がペンを持ち書類を確認しては別の紙に何か書いている。ヒュー様が右へ左へとわずかにあたまを動かし、紙やペン先のこすれる音が忙しない。

 窓の外は明るくいい天気であるのに、この部屋はやや小さめの窓から差し込む光だけなので他の部屋と違って少し暗い。

 それがまた、あの方の顔や左肩に影を作り出し、ヒュー様の真剣な表情をより重々しく感じさせている。声をかけるのを躊躇ってしまうほど。

 私などが入っていいところではない。そう思わせる。

 部屋の隅にある台に茶器を乗せた盆を置き、カップにお茶を注いだ。静かな部屋に、湯の注がれる音が響く。

 カップから白く立ち上る湯気を確認して、私は、カップを手に振り向いた。

 そこには、ペンを持つ手を止め私を見ているヒュー様がいた。先程までの重苦しい雰囲気ではなく、少し微笑んでらっしゃるような。

 私ははっと視線を落とし、カップを手にヒュー様の机に近づいた。あの方が見ていると思うと、手も足も震えそうになるけれど。

 なんとか机にカップを置いた。書類の邪魔にならないよう、かつ、ヒュー様の右手が無理なく届く場所を選んで。間近にいるというのにヒュー様の表情を確認するどころではなく、私はすぐさま踵を返して部屋隅の台へと戻った。背中にヒュー様の視線を感じるのは気のせいだろうか。

 私は盆を手にドアへと歩み、室内へ振り向く。

 部屋を出る前にヒュー様へ退室の挨拶をするためだった。

 ヒュー様と視線が合う。あの方は微笑んで。


「ありがとう、マリーン」


 そうおっしゃった。

 私の名前をご存じだった。

 私は言葉もなく、ただ腰をかがめて礼をし、視線を上げることができないまま部屋を出た。

 部屋を出たとたん、足早に台所へと向かう。きっと今の私の顔は赤くなっている。なんだか、涙まで滲んできた。どうしよう。

 ヒュー様が使用人の名前も顔もみな覚えていらっしゃるのは当然のことなのだけれど。名前を呼ばれるなんて。

 私は妙な行動を取らなかった? 変な態度になっていなかった? ヒュー様はどうお思いになった?

 どう思うも何も、ただ使用人がお茶を運んだだけでしょうに。自分で自分の考えがおかしい。

 けれど、私はその後一日、舞い上がっていた。キャリーには変な顔になってるわよと言われた。

 真剣な姿、微笑む顔。

 そして、呼ばれた私の名前。

 何度も思い返してはニヤける自分を自覚はしていたけれど、止めることはできなかった。


 それから、執務室へお茶を運ぶのは私の仕事の一つとなった。最初は緊張していたけれど、今ではちゃんとヒュー様の様子も窺えるようになった。

 少しお疲れだとか、手元の書類は気に入らないことがあるようだとか。もちろん、私の勝手な想像でしかないのだけれど。

 そんな日が続いたある日、私がいつものように茶器をのせた盆を手に執務室へ入ると、ヒュー様が立ち上がった。突然のことで驚いたけれど、盆を落とすようなことはない。

 今日はどうしたのだろう、と思いながら部屋隅の台に盆を置こうとしていると。


「今日は庭でお茶を飲むから、それを持ってついておいで」


 えっ?

 その言葉に私が振り向くと、ヒュー様がドアへ向かってスタスタと歩いて行くところだった。

 そして、ドアを開けたまま、私の方を見ている。

 ヒュー様は私が行くのを待っているのだ。

 あわてて盆を持ち上げ、私はドアに向かって歩いた。

 ヒュー様はそれを穏やかな表情で見つめている。あまり見ないで欲しい。緊張して盆を傾けてしまいそう。

 私はヒュー様と視線を合わさないよう気をつけながら、盆に注意を向けているようによそおった。

 しかし、意識はヒュー様に向かってしまい、手元を見ているわりに注意散漫になっている。盆の揺れが大きい。茶器がずれるほどではないけれどカタカタと小刻みに陶器の音がする。

 ヒュー様は私の横に立つようにして庭へと歩いた。私の歩調に合わせているのだろう、ゆっくりと。

 歩くたびに、すぐそばに立つヒュー様から、何かの香りが漂っているのがわかる。お使いになっている香水だろうか。

 私の足はまるでふわふわと柔らかい雲の上を歩いているよう。領主館の廊下に絨毯はない。ただ、私の足が地についてない感触だっただけで。


 館を出ると、明るい日差しが一面に広がり、眩い。足を止めた私に、ヒュー様が振り返った。

 庭は新緑の明るい緑で覆われており、きつめの陽光がよりいっそう木々の季節の勢いを感じさせている。

 その中に立つヒュー様もまた、その新緑に負けず光り輝いているようにも見え。

 その存在感が、私には少しばかり遠い。

 私は盆の上で反射する茶器に注意を向けながら、足を進めた。


 ヒュー様は庭をどんどん奥へと入っていく。林のように大きな木々が生い茂った場所へと。

 そこは木々の葉や枝が陽光を遮り、まだらな点となって地面へと降り注いでいる。

 直射日光を受け続けるのは暑いと思う季節であるので、ここは涼しくて快適だった。

 子供の頃みんなで遊んだ場所でもある。

 大きな岩にヒュー様は腰をおろした。

 懐かしく思い出す。そこで将来を語ったヒュー様が、大人になりそこにいる。

 宣言通りの未来を歩いている。

 私は。

 盆を岩の片隅におき、お茶を入れる。カップから立ち上る湯気の量は少ない。かなり冷めてしまったようだった。


「申し訳ありません。お茶を取り替えてまいります」

「かまわないよ。外だから、冷めているくらいが丁度いい」

 そう言ってヒュー様はカップを受けとるため手を差し出された。

 

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