第一話(サイドA)
朝起きると服を着替えて一階の事務室へ行くことになっている。そこでは執事と女中頭が待っており、今日の仕事の指示を受けるのである。
私は薄茶色い服に着替えた。仕事の服は決まっているわけではないけれど、暗黙の了解でこれに近い色か灰色の服を選ぶこととなっている。だから、使用人はわりと服装が同じように見える。使用人は目立つべきではないということらしい。地味な色の服は、私には似合う、残念なことに。
同室のキャリーがもたもたしているものだから、私は先に階下へ降りることにする。
「マリーン、先に行ってて」
靴下を履きながらキャリーがそう声をかけてきたけど、私はすでに彼女へ背を向けてドアを出るところだった。
「先に行ってるわ」
いつものことなので、私は振り返りもせずそのままドアを閉じた。
屋敷はまだ静まりかえっているので、出来るだけ音をたてないように。
ゆっくりと、でも、素早く階段を下りる。
「マリーンです」
一階の事務室のドアをノックすると、中から女中頭の声が返ってくる。
「入りなさい」
ドアを開くと中には大きな机に執事が、その机の横にL字を描くように並べられた小さめの机に女中頭が座っている。
女中頭が顔を上げ、今日の予定を私に告げた。
「マリーン、今日もヒューイット様の部屋を担当して頂戴。昨夜、お帰りが遅かったようだから、ヒューイット様の目が覚めたら様子をみて報告して」
「わかりました」
私が事務室を出ようとドアを開けると、丁度キャリーが入ろうとするところだった。
「キャリーね、入りなさい」
「はーい」
彼女はのんきな返事をしながら部屋へ入っていく。私は彼女とすれ違い部屋を出た。
今日もヒューイット様の部屋を担当できることに、自然と口元に笑みが浮かんでしまう。
私は八年前からこのフロードラン家の領主館で働いている。領主館は、この町一番の広い土地を管理する貴族のお屋敷で、ここで働けるのは地元女性にとっては憧れだった。
私の両親は領主様の土地で小作をしている。家も領地内にあり、子供の頃からあの方のことは知っていた。子供は歳が近ければ共に遊びもする。私は、そうして小さな頃にあの方と遊んだことのある子供の一人だった。
私よりも三つ年上で、小さな頃からしっかりした方だった。将来は領主となる自覚を早くから持っておられたのだろう。はっきり言って、のんびりした領主様とは随分違うものだと子供心に思っていた。
領地の経営状態が悪いことは、領民も知っていた。領主様の姉の嫁ぎ先が、金に困って領主様に泣きつき金を貸したものの姉夫婦はその金を持って消えたと言う。どうにもならなくなったらしい。その頃から、領地の不作も重なり領主の経営が傾きはじめたのだった。一時期はうちの両親も不安そうな顔をしていた。
あの方は、十三歳になるとこの領主館ではなく王都の屋敷に住むようになった。そして勉学に励んだらしく、この時を境に領地の子供と一緒に遊ぶことはなくなった。
いつか、きっと領地をもっと豊かにして楽ができるようにしてみせる。子供の頃、あの方がそう語っていた姿は、今でも私の中にある。そう将来を語る未来の領主を誇らしく思ったのは私だけではない。共に遊んでいた領地の子供達は皆あの方の態度をさすが僕達の領主様だと自慢に思っていた。
そんなヒュー様に女の子が憧れを抱かないはずはない。町の女の子は誰もが憧れていたと思う。もちろん、身分違いで手の届かない存在の人にいつまでも恋心を抱いているほど、皆、子供のままではいなかったけれど。
もう二十三歳にもなるというのに、私はいつまでも子供のままだった。
身分も違い、叶うはずもない想いを捨てられない私を、家族は何も言わずにいてくれている。
休みの度に家に帰って私がする話といえばヒュー様がどうだったこうだったという話ばかりであれば、察しはついているのだろう。
そんな私でも二十歳の頃には、一応、幼馴染みの男性に結婚を申し込まれたことがあった。でも、私がヒュー様をお慕いしていることを知ってしまえば、どうなることもなく。結局、彼は他の女性を見つけていた。
結婚することにも憧れはあるけれど、他の男性に気持ちを向けることがどうしても出来なかった。そして今では立派に町の行き遅れ女になっている。普通は遅くとも二十二歳までには結婚するので。
私は、このままヒュー様のお屋敷でずっと働いていければいいと思う。
六年前にヒュー様が結婚のお相手を探して夜会に出はじめたと聞いた時は、さすがにショックだったけど。所詮は別世界の人なのだからと、時折、領地へ帰ってこられるヒュー様を拝見できるだけで満足だと思うようにしていた。ここを辞めることになれば、身分柄、姿を見る機会さえも失われてしまうだろうから。
ヒュー様は普段王都の屋敷に住んでらっしゃるため、この領主館でお会いできる機会は少ない。
この少ない機会にヒュー様の担当を受け持てるよう、日々仕事を頑張っている。旦那様と奥様の世話係は決まっているけど、ヒュー様の担当はまだ確定はしていない。
私が一番ヒュー様の部屋の担当になる回数が多いのは、たぶん、年のせいなのだと思う。女中は拘束時間が長いから結婚と同時に辞める場合が多い。だから、私は女中の中では年長なのだった。
私は静かにヒュー様の部屋に入り、持ってきた水差しと手桶を台に置く。そこのタオルを新しいものと取替え、小物を整えた。
それが終わると、棚から今日の服と靴を準備する。
といっても、肌着や靴下シャツなど下に着るものである。ヒュー様はいつも同じものを好んで着られる。靴もいくつか並べ、選べるようにしておく。同じ順番に並べておくと、毎日一つずつずらして選んでいくことを知ってからは必ず同じ並びで。
衣服の準備を整え終わると、私は窓に近づきゆっくりとカーテンを開けた。外はすっかり明るくなっている。
ヒュー様がこちらに滞在される時には、いつも早く起きて、領地を回られることが多いのだけど。昨夜はどこかの夜会に行かれていたのかもしれない。
少しだけ、やはり胸が痛む。まだ、寝台からは静かな寝息が聞こえていた。
いつかは、奥様を連れてこの屋敷に住まわれる。
その時、私は。
寝台へ近づくことなく、私はまだ目覚める気配のないヒュー様の様子を確認して部屋を出た。